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第三話

 西暦二一九七年。世界中に突如としてダンジョンが出現してから一世紀が経った頃。

 東都の浅木地区にあるダンジョンでは、変異個体による探索者の死傷が確認されていた。異変は浅木地区の周辺地区でも確認されており、その多くは中層や下層といった複数名での探索が推奨されている階層であったため、探索者自身の油断や実力不足が槍玉に挙げられていた。

 だが、上層ともなれば話は変わる。上層は半人前探索者の鍛錬の場所だ。ただでさえ人材不足が謳われている探索者業界にとって、見習い探索者の損失は後継にも大きく関わる。


 なにより、七年前に初めて確認された『奈落』と呼ばれる闇の穴が出現したときにも同様の異変が見られていた。『四国事変』の再来ではないか、と末端の現場ではまことしやかに囁かれている。

 変異個体が大量に流出し、見たこともない化け物が徘徊し、さらには四国と瀬戸内海を挟んで対極にあった陸地の一部をごっそりと削り取るようにして闇の穴に飲まれた一連の事変の原因は未だに解明されていない。

 研究機構としては早急に本格的な調査を行う方針だが、研究機構の探索者だけでは人手が足りない。東都『エフィシア』の管理運営をしている連盟の協力は必須である。


 その調査がいつになるかはまだ不透明だが、機構とて何もしないで手をこまねいているわけではなく、清巳のように日常的にダンジョンに潜っている機構所属の探索者には可能な範囲での情報収集を依頼されている。

 その一環としてデータを提出した際に聞き取り調査も行われた。そして、いつものように、最近続発している変異個体の出現に関する調査に加わってくれというお願いを清巳はなんとか拒否して、だが、捕まってしまった。ひとりの女性に。


 曰く、ダンジョンのどこかに絶対いるはずだから、あの少女を引きずってでも連れて帰ってきてほしいという、ごく個人的な話だった。

 組織を通さない非正規の保護依頼。怪しさ満点のそれを断るのは当然のこと。だが、かなり食い下がられ、週末に彼女に関する詳しい話を聞いてから判断することを条件に、ようやく解放されたのだ。

 いくら十キロほどの距離で、安全第一で走れば二十分程度で帰れる距離とはいえ、出る時間が遅くなれば着く時間も遅くなるのは必然。結局、家に着く頃には日付が変わってしまっていた。


「ただいま」


 疲れた声で清巳は言った。

 煌々とともる電気。普段ならば寝ている二人が起きているその理由も十二分に把握している。


「きよ兄!」


 玄関に上がった清巳に、リビングの奥の部屋から飛び出してきた少女が飛びついた。

 それを苦もなく受け止めて、しがみつく妹の頭を撫でる。


「ただいま、明美。遅くなってごめんな」

「おかえりなさい。……よかった、帰ってきた……っ」


 悲痛に震える声が清巳の胸をつく。


「ごめん」


 リビングに繋がる扉の前に立ち、しかめっ面で睨みつけてくる弟にも謝罪を送った。


「克巳も。遅くなって悪かった」

「謝るくらいなら早く帰れ。あと遅くなるって連絡が遅い」

「ごめんって。あそこまで捕まるとは思わなかったんだよ」


 清巳は疲れた声で肩を落とした。


「明日も学校なのに、遅くまで待っててくれてありがとな。ふたりとも眠くなったら早めに寝るんだぞ」


 素直に頷いて離れる妹の髪が指先を通り抜けて、彼女の胸元にぱさりと落ちた。その一房を背中にそっと払いのけ、俯く妹の頬を撫でる。

 あからさまなため息の音に清巳は顔を上げた。

 克巳が眼鏡を押し上げながら背中を向けてリビングへと入る。年相応に素っ気ない態度に苦笑しながら清巳は家に上がった。洗面所で手を洗う様子を廊下から見つめる妹に濡らしたフェイスタオルを差し出す。

 彼女の僅かに赤らんだ目も愛らしいが、明日に差し障る。

 素直にタオルを受け取った明美の、空いている手を握りしめてリビングに戻る。


「漬けてあるから」


 どん、とテーブルに置かれた海鮮の漬け丼。すでに冷蔵庫から取り出されて広げられているおかずが三種小皿に取り分けられている。

 つんけんとした態度に懐かしさを覚えながら、清巳は礼を述べて席についた。右の椅子には明美が着席する。


「いただきます」


 しっかりと漬け込まれたマグロを口に放り込んで、清巳は頬を緩めた。

 白米を刺身で包み込んで食べる。

 舌に広がるタレとマグロの濃厚な味。それに絡む白米もほどよく味がついていて、美味しいと言うほかない。

 右横の椅子に座り、じっと手元を見つめる明美を横目で見て、刺身を小さく箸で丸める。無言で口元に差し出せば、きらきらと目を輝かせて妹は漬けマグロ巻きに食いついた。

 頬を両手で押さえて特上の笑みを浮かべた明美が右手の親指を立てる。

 それに丼をテーブルに置いて、左手で親指を立て返した。


「甘やかしすぎ」


 清巳の左手に広がるリビング。そこに置かれた年代もののソファに腰を下ろしている克巳が目を眇めていた。


「太るぞ、そいつ」

「そんなことないもん!」

「どんな明美でも俺の可愛い妹だから大丈夫だ。克巳もな」

「キモい」


 混じり気のない率直な拒絶に苦笑した。

 反抗期に入ってから口調がかなり雑になったが、それでも優しい弟であることは知っている。少々性格がひねくれたのは残念ではあるけれども。素直で可愛かった弟も好きだが、反抗期はちゃんと育っている証し。寂しくはあるが、嬉しくもある。

 清巳はサラダに手を伸ばし、オクラを口に放り込んだ。そして一口サイズに切られているトマトとオクラを一緒に箸でつまみ、妹の口へ運ぶ。


「はっ、だっせえ」


 鼻で笑った克巳を、清巳はじっとりと横目でめつけた。

 わかっていてやっているのは知っていた。それは許す。だが、こうも挑発されるのは可愛い弟とはいえ、いささか癪に障る。


「覚えてやがれ」

「やれるもんならやってみろ」

「喧嘩?」


 眦を下げて弱々しい声で尋ねる明美の方を向いて、清巳は首を横に振った。


「なんでもない。眠そうだな」

「ねむくない」


 目をこすりながらも、断固として認めない妹に苦笑した。

 椅子に背中を預けて明美が力なく座る。清巳は箸を置いてその頭を撫でた。

 食事に戻ろうと離した右手が掴まれた。その手を自らの頭の上に置く明美に目元を和ませ、清巳はもう一度ゆっくりと頭を撫でる。

 それほど時間が経たないうちに、案の定、明美は寝息を立て始めた。

 ちらりとソファをみると、ちょうど克巳も大きな欠伸をこぼしていた。


「克、片付けはするから寝ていいぞ」

「……捨てたらわかっからな?」

「いくらなんでも捨てはしない。食ってくれるなら喜んでやるが」


 鼻で笑った克巳は立ち上がった。

 清巳はしかたがないと言わんばかりに苦笑し、次の瞬間には表情を真剣な者へと変えて克巳に告げた。


「念のためだが、持ち出したい荷物はまとめておいてくれ」

「調査はまだだろ。さすがに気が早すぎないか」

「最悪は想定してしかるべきだ。……何も持ち出せないまま逃げるよりはずっといい。明美には朝にでも伝えるよ」


 眉間にしわを寄せて唇を引き締める弟に、申し訳なさげに眦を下げた。


「本当に、今日はごめんな。おやすみ」

「…………るっせえ」


 最後まで連れない態度で克巳の姿が二階に消える。

 寝落ちした妹と残された清巳は小さく肩を落とした。


「似なくていいのにな、反抗期」


 とはいえ、反応が返ってくるだけ昔の自分よりましな態度である。

 明美に向き直り、両腕で抱え上げた。二階の彼女の自室へ運ぶ。

 そっとベッドに横たわらせて薄手の布団を肩まで掛け、穏やかに眠る妹の頭を撫でる。


「心配かけてごめんな。何があってもふたりのもとに帰るよ、絶対。――おやすみ」


 決意を新たに清巳はそっと妹の部屋を後にした。

 リビングに戻り、渋い顔をして卓上を見下ろす。海鮮丼は残り少ない。三種類あったおかずのうち、二つはすでに空だ。


「こんな嫌がらせ、どこで覚えたんだよちくしょう」


 しかめっ面を作りながら着席した。箸でつんつんとトマトをつつく。

 そして、意を決した顔でオクラとトマトのサラダを飲み、海鮮丼をかき込んでなんとか食事を終えた。

 使った食器を片づけたらさっとシャワーを浴びて、清巳は廊下の奥にある和室に足を運んだ。

 床の間の上。ひと昔以上前に存在した、仏壇と呼ばれるものの前に足を崩して座る。

 その佇まいが気に入ったと、祖父がどこからか購入してきたものらしい。ただ、仏壇に置かれる道具は一切ない。扉を開いた中、胸元くらいの高さにある棚に写真が二枚飾られている。

 これまた祖父が、わざわざ紙に印刷して飾るという古風なことを好きでしていた時の名残だ。

 データ自体は克巳も明美も持っているため、この仏壇を開く頻度は清巳が一番高い。

 その写真を前に両手を合わせた。瞑目して祈りを捧げた清巳はゆっくりと手を下ろし、ぎゅっと眉根を寄せた。


「あの子がいなかったら俺は間に合わなかった……、救えなかった」


 弟妹の前では見せないほの暗い顔で清巳は弱音を吐いた。

 さあさあと雨の降る音が窓から聞こえる。梅雨入り宣言はまだだが、近づいているのを思わせるような湿度の高さに空気が澱む。


「贖いにもならないよな、こんなの。……やっぱり、俺は二人でいっぱいだな」


 目を閉じて目頭にぐっと力を込める。膝の上で拳を握りしめた。

 遺された苦しみを、なにも帰ってこなかった悲しみを、怒りを、清巳は知っている。形見と言えるようなものが帰ってくることが幸運であることも。


 ――……。


 耳につけたままにしているピアスに触れた。

 日常的に使う者がいなくなり侘しさを醸す室内に、深呼吸が響いた。緊張させていた筋肉を弛緩させて、清巳は瞼を開く。

 手にしたポーチから、愛用の剣と手入れ道具を取り出した。黙々と手入れ作業を行い、片づけて仏壇をまっすぐに見据える。

 もう一度両手を合わせて短く黙祷した。


 ――……。


「じゃあ、またな」


 ぱたりと仏壇の扉を閉じた。











「改めまして、うちは一ノ瀬佳弥といいます。先日は見苦しい姿見せたことと、あのアホが迷惑かけてすんません」


 週末。研究機構の東都支部の一室で、件の依頼者が深々と頭を下げた。年は清巳と大きく変わらない二十代の女性だ。

 首の後ろでくくられた癖のある髪。白いショートパンツにカーキ色の丈のあるシャツを纏っている。右手の水晶の腕輪には透明な石が光を反射して輝く。

 清巳は首を横に振った。


伊地知いじち清巳です。彼女がいなければ、俺は救助には間に合いませんでした。だから、気にしないでください」

「あれはただのアホなので、そういう訳にはいきません。あれはただのアホなので。あれは、ただの、アホなので!」


 三回も、それも三回目はかなり強調して同じ事を告げた。

 あの奇異行動といい、知り合いである彼女の少女に対する評価であるといい、一筋縄ではいかない人物であることは理解できる。

 面倒なことにならなければいいが。

 あまり気乗りはしないながらも、話は聞くと応じた手前、無碍にすることはできない。


「顔を上げてください。彼女の保護と伺ってますが、詳しく伺っても?」


 佳弥はゆっくりと頭を上げる。


「保護やない、捕獲や」

「――はい?」


 耳を疑う清巳に、佳弥は重々しい面持ちでもう一度告げた。


「捕獲や。保護なんて生やさしゅう言葉はいらん」


 きっぱりと断言されてしまった。

 佳弥が腕の端末を操作した。室内のスクリーンに画面が映し出される。


「まずこの動画を見てほしゅうてな」


 誰かの配信画面のようだ。左下には黒字で『石狩チャンネル』という表示がある。

 黎明期において情報共有を目的に始まったダンジョン配信は半ば娯楽化して久しい。協会と連盟の言動のあれこれはさておいて、一般人からすれば非日常を仮体験できるというのが大きな要因だろう。

 良くも悪くも有名な配信探索者がいる。石狩変人と呼ばれるチャンネルの主人は、そのうちの一人だ。その正体は不明。ただ、希少価値の高い魔石の動画を不定期に上げているらしい。


 ダンジョン配信に限らず、そういった娯楽に興味がない清巳が唯一知っているチャンネルと言ってもいい。理由は、動画詐欺疑惑――要は動画で取り扱われている魔鉱物も魔宝石も偽物ではないか、と炎上した記事を知り合いに見せられたためだ。

 最新の投稿は二週間前、五月二十六日。

 他者に叩かれようとも一切の弁明もなく、淡々とチャンネルを続けているあたり、清巳は同族の匂いを感じた。視聴者の数も、登録者の数も、配信の再生数も、清巳にとって無意味であるように、このチャンネルの主もそうなのだろう。

 再生されたものは配信のアーカイブらしい。カメラは浮遊型ではなく装着型を使っているらしく、撮影者の姿は映っていない。


 不意に、画面が揺れた。

 ひび割れた画面にブラックウルフが映る。紫色の毛並に赤い目を爛々と輝かせているそれは、変異個体だった。

 獣が跳躍したところで、機械が壊されたのか映像が途切れる。

 胸の内を冷たいものが滑り落ちた。

 二週間前にも配信事故があったことは把握していたが、まさかこのチャンネルの主のことだったとは思いもしなかった。


「このチャンネルの主、あのアホやねん」

「――は?」


 思わぬ言葉に思考が停止する。

 その意味を清巳が理解するより早く、佳弥は言い募った。


「あのアホやねん。このあと一切連絡取れなくて、上にも諦めろと言われ悲嘆にくれてた所に、ひょっほー、と叫ぶアホがいてみ? 兄ちゃんどう思う⁉」


 室内に置かれている机に拳を叩きつけて、佳弥が叫んだ。

 探索者専用動画配信アプリ『アナジテニア』。そこは探索資格――通称、探索者証を持つものだけが配信、動画の投稿ができる。

 彼女が探索資格なしで活動する「もぐら」ではないことは確定だが、それはそれとして救援後の情報発信や素材の確保を他人に押しつけて良い理由にはならない。

 閑話休題。

 とにもかくにも、親しい関係にあったらしい佳弥の憤りは当然であると言えた。


「だから、捕獲」

「そう! あのアホ、ひょっほー、やないねん! ぴっ、でもないねん! 無事やったら無事と顔を見せるくらいのことしいや、どアホ!」


 佳弥は拳を机に叩きつけた。

 肩で息をしていた彼女に憐れみの視線を向けた。顔しか知らない相手だが、問題の少女はかなり自由な人のようだ。

 佳弥はその拳を口元にあて、ひとつ咳払いをした。


「あのアホのランクはうちも知らんけど、野生アホ生物を捕獲可能な人材いうたら、黄金でも厳しいやろうな。たぶん金青こんじょうやないと無理やと踏んどる」


 佳弥の見立ては正しい。呆気にとられたとはいえ、ほんの二、三秒のうちに気配を掴みきれない所まで移動できる実力を少女は持っている。そんなことができるのは最高ランクの緋緋色金ヒヒイロカネならば確実、次点の金青ならばもしかしたら、と言ったところ。

 余談だが、探索者ランクはその下に黄金、白銀、青銅、黒鉄と続く。


「ただ、うちもうちでアホ以外の探索者とあまり絡まんし、伝手もなくてな。そこに、ちょーどええにーちゃんがおるなら、頼まなん手はない」


 話ながら佳弥が黒のショルダーバッグを漁る。


「あのアホ、人を見たら警戒して逃げるさかい、ソロで金青の実力は、うちにとっても理想やな」


清巳はぴくりと片眉を上げた。


「で、うちが兄ちゃんに返せそうな利点ゆうたらこれや」


 佳弥がバッグから二つの箱を取り出した。一つは手のひらより少し大きめの正方形、もう一つは長方形の黒い箱だ。

 箱の蓋を開きテーブルの上に広げられたそれを一瞥し、清巳は眼前の女性に厳しい目を向けた。

 視線に気づいた佳弥はふっと口元を綻ばせ、ひらひらと手を振る。


「そう怖い顔しなさんな。誰にも言わへん」

「どこまで調べがついてる」


 凄む清巳に、佳弥は堪えたようすもなく肩をすくめた。


「にーちゃんのチャンネルくらいしかわからんかったって」


 配信しかしておらず、アーカイブも一切残していない空っぽのチャンネルにたどり着けただけでも、十分すぎるほどの情報収集能力である。

 どうやって口止めをするか。ソロで金青をとったことは流布していない。

 パーティーで金青を取れるような者ならば、上層をソロで徘徊することもなくはない。腕輪の石は隠していたのに、どこから情報がもれたのか。

 口外されれば、主にメディアのせいで、家の周りがうるさいことになる。確実に弟妹に迷惑がかかるからそれは避けたい。

 ダンジョン内で身につけることが推奨されている探索者証――金青こんじょう宝石がはめ込まれた腕輪外し、かつ一人でいても怪しまれない上層から中層上部を中心に過ごしているというのに。

 警戒を高める清巳を余所に佳弥は言葉を続けた。


「でも、『弟妹チャンネル』って名にするくらいやから、ごっつう大事にしとるんやろ? うちがお勧めできる、最高級品を持ってきたんや」


 佳弥は手にひらを上に向けて机の上を指し示す。

 黒の土台に置かれたのは白銀の鎖と濃い赤色の宝石でできた二種類の装飾品だ。

 ネックレスは、シンプルに赤い宝石だけが石座に留められている。

 対してブレスレットは、小指の爪半分ほどの赤い宝石がおおよそ等間隔に五つ並んでいる。宝石の間を繋ぐ銀の鎖は細く、華やかさを備えながらも繊細な印象を与える。

 自慢げな顔で商品を提示している佳弥を清巳は睨め付けた。

 一見、ルビーに見えるが、使われている魔宝石の中心に見える特有のゆらぎ。

 バレないとでも思っているのならばみくびられた物である。


「新たに緋緋色金が発掘されたという話はこの数年はなかったはずだ。独自に入手したとして、それほどの腕前なら証拠品として提出することも可能なはず。ついでに一昨日の俺を調査隊に引き入れるための魔法具プレゼンテーションにでも出せば、頷くかどうかは置いておいても吟味はしたはずだ。それをしない理由はなんだ」


 佳弥は浮かべた笑みを、ぴくりとも動かさなかった。

 鉱石を加工する技術を持つ者は、国内で三人。その名前の中に彼女の名はない。最年少で生産部門のトップランクである金剛石に上りつめる技術があるのと、緋緋色金の加工技術があるかどうかは別問題だ。


「流石やな、にーちゃん。表に出んというか、出せんのが正しくてな」


 ショルダーバッグから巻かれている紙を取り出した。

 紐を解いて、重ねられていた紙をそれぞれテーブルの上に置く。

 鑑定証明書――俗に、鑑定書と呼ばれるそれを覗き込んで清巳は眉間にしわを寄せた。


「なんだこの馬鹿げた効能」


 鉱石の名称。大きさ。鑑定を保証する個人名。そこはまだいい。

 ネックレスの効果、結界。十メートル四方内で調整可能。最小持続時間、五時間。起動方法、魔力譲渡。譲渡量により効果範囲の変更可能。装備条件、なし。

 ブレスレットの効果、結界。五から二十メートル四方まで調整可能。最小持続時間、十時間。起動方法、魔力譲渡。譲渡量により効果範囲の変更可能。装備条件、女性限定。

 通常の倍以上はある効果範囲。継続時間もお化けだ。何より結果サイズを調整可能という機能は、今の魔法具の域を超えている。世界初と言ってもいい。


「せやろ? 馬鹿げとるねん。出したら死人が出るのは確実、最悪焦土になるねん、国が」

「なんてものを作ってんだよ」

「その文句はあのアホに言うてくれへん?」

「………………………………………………は?」


 佳弥は不気味なほどの綺麗な顔で繰り返した。


「その文句はあのアホに言うてな」


 この流れで、あのアホ、と彼女が称するのは件の少女に他ならない。

 実力はある。二週間前に変異個体と遭遇したのち音信不通だったが生存していた。自前の緋緋色金を少なくとも複数所有している探索者。実力はあるが名は通っていない。

 いまいち少女の人物像を掴みきれない。


「ちなみに緋緋色金に宝石加工を施したんもあのアホやで」

「待て、情報が多い」


 佳弥はからからと笑った。


「ま、そういう諸々の理由で大々的に表に出すわけにはいかんのや。けど、効果は保証するで。あのアホ、悔しいことに腕はうちより上やからな。ほんま意味わからん」

「それは……だいぶ意味がわからないな……」


 魔宝石へ加工技術は一朝にして成らない。なかでも緋緋色金は最難関を誇る。なにせ緋緋色金に認められなければ加工ができない、と言われるような代物だ。緋緋色金専用の加工道具があったとしても、誰も彼もが手を加えられるわけではなく、技術の差で決まるわけでもないという。

 緋緋色金への魔法付与技術は確立されていない。

 そんな偏屈な鉱石の加工と付与を成している彼女は、天才という言葉では言い表しきれない才能の持ち主だ。


「せやから、うちも黙るさかい、にーちゃんも黙ってな」

「爆弾をより大きな爆弾で制するのやめてくれ」

「一応ちゃんとそれらしい理由も用意はしとったんで。協力制度あるやん。うち誰とも結んでないけん、下手に手ぇ出すとバランスを崩しかねんのや、て。もっともらしいやろ」


 探索者と生産者。それぞれの同意のもと協力関係を結ぶ事で、生産者は探索者から獲得物を、探索者は生産者から装備品等を、割安で購入することができる。

 だが、佳弥のように出る杭が出しゃばりすぎると打たれるのが世の習いだ、残念なことに。軋轢を生む存在であると自覚しているからこそ、制度を利用していないのだろう。


「……俺が指摘しなかったらどうするつもりだったんだ、それ」

「これと全く同じ、せやけど石はちゃんとルビーのものがあるねん。達成報酬いうことにすれば、その間にすり替えるのは簡単や」


 腹黒く、ずる賢くあること。それは世の中を渡り歩くために、その中で生き延びるためには必要な手段だ。

 不愉快ではあるが、理解できないわけではないので清巳は眉をひそめるに留めておく。


「引きずってでもと、この前は動揺のあまり言うたけどな。ようよう考えれば、あのアホが大人しく引きずられるわけがないねん」


 悟った顔で佳弥は告げた。


「ちゅーわけで、依頼内容は、あれを見つけたらうちに連絡をいれること。できれば通話を繋いでもらえると助かる。報酬は前払い。期限は三日。それまでに見つからんかったら、それでええ。生きてるのは分かったから、探し出せとは言わん。見つけたらでええ」


 思っていた以上の好条件に清巳は目を瞠った。


「そんなんでいいのか?」

「ええねん。肥やしにするしかないそれに、日の目を見せてやれる。三日いうのも、あれのための期日やしな。うちはなんも損はせえへん」


 今まで通りなら、三ヶ月もすればふらりと石を収めに来るだろう。

 そう言って佳弥は問うた。


「どうや? にーちゃんにも悪い話やない思うけど」


 ブレスレットとネックレスにかけられている結界魔術。半径十メートルの展開が可能で、非常時に簡単に発動でき、身に着けられるもの。

 ダンジョンの影響がいつ何時どう出るか分からないこのご時世において、弟妹の身の安全は最優先だ。


「二人が装備しても大丈夫なんだな? 緋緋色金でも」

「信頼できる筋に、これは大丈夫とお墨付きもろとるで。安心して貰ったって」


 そういう事ならば、自分の労力とふたりの安全を天秤にかけてどちらに傾くかなど、考えるまでもなかった。








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