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第四話 #今日の夕ご飯は炒飯希望①

「――というわけで、見つけたら捕獲に回ることになった」


 週が明けた月曜日。浅木地下ダンジョン下層上部。いつもより深めに潜った清巳は配信開始早々、にこやかな笑顔で宣言した。


  [惚気じゃない⁉]

  [どいういうわけ?]

  [捕獲? 野生魔物を?]

 毎週月曜日と木曜日のおよそ十時から。その行動パターンを知る物好きな三人が待っていましたと言わんばかりに視聴に加わって即座に突っ込みを放つ。

 それをいつものように流して独り言を続けた。


「俺の基準を満たし、なおかつうちの弟妹の利益になるものを貰っちゃ、やらないわけにはいかない」


 右手の死角から突っ込んできた魔物の武器を剣で受け流した。その流れで魔物の後ろに回り込み、跳躍する。

 一瞬遅れて杖が鋭く薙ぎ払われた。空振りに終わった攻撃。視線を彷徨わせるその横っ面に清巳は回し蹴りをたたき込んだ。

 着地した清巳は、ふらつくオグレスの首にすかさず剣を突き出した。

 喉を貫かれて絶命した魔物がゆっくりと後ろに倒れる。


  [相変わらずの超物理戦法]

  [普通は隙をついて挟み撃ちにして、魔法師が魔法を絶え間なく打つ間に後方に

   回った前衛が後ろから倒すのが定石なんだが]

  [物理極振りで見てて気持ちいいからこれはこれであり]


 自分の戦闘スタイルに関するコメントも綺麗に流して、清巳は浮き足だった声で話を続けた。


「報酬はネックレスとブレスレットでな。ブレスレットは妹に渡した。可愛いって大はしゃぎで、朝も見て見てって見せびらかしてきてまじで可愛かった。ネックレスは弟にやったんだが、そっけなかった。でも朝起きたらちゃんとつけてくれてるんだよ、うちの弟妹最高だろ」


 声を弾ませながら、手元はしっかりと解体に動く。オグレスの角を素手でへし折り、爪を剥ぐ。オグレスは雌だからオーグルよりも硬度が低いため価値が落ちる。だが、下層にいる魔物は上層の魔物と比較すると能力が上だ。爪や角などの素材になりうるものも強化、変質しているため、上層のオグレス比較するとそれなりの価値にはなる。


  [兄の基準を満たしたのがすげえ]

  [気のせいだった。安定の惚気にほっとした]


 オグレスから得られる素材を全て剥ぎ取り、ダンジョン産不思議鞄――空間収納付き魔法鞄に放り込む。残った、素材にもならないものは通路の端にまとめて置いておく。

 十分もすれば地面に溶けて消えて無くなるという、衛生的仕様だ。


「最高と言えば、海鮮の漬け丼美味しかった。あのあと、けっこう帰るのが遅くなったんだよ。連絡するのが遅くなって、二人に心配掛けてなー」


  [ギルティ]

  [一報は必要]

  [こんな生存報告配信してるのに]


 定時報告という案は、連絡がなかったらなにがあったか分からないから嫌だと却下された。ふたりが授業を受けている以上、通話を繋ぎ続けるという手段も難しい。

 二人がいつ見てもわかるように配信という手段を講じてからもう四年が経つ。


「例の如く海鮮丼を用意しててくれてたわけだけど、刺身って傷むのがはやいから、わざわざ漬けて長持ちするようにしてた弟が優秀。反抗期のただ中に見せるこの優しさ、可愛くないわけがないよな。弟の優しさ漬けの海鮮丼がうまかった」


 慈愛の滲む声。緩む頬。和む目元。愛しくて仕方がないと言った顔をしながら、腹部目がけて足下から飛び上がったアルミラージの角を手で鷲掴みにした。


「妹も妹で可愛くてな。起きて待っててくれたうえに帰ったらかけよって来てくれてな、その時点で可愛いだろ」


 右手に持っていた剣を地面に突き刺して、牙を剥いて暴れる兎もどきの首を手で縊る。骨を砕く感触が手に伝わる。

 魔物の肢体がだらりと垂れた。動かない脚をもって逆さ吊りにして首を落とす。


「俺の食べる海鮮漬け丼を物欲しそうに見てる姿が更に可愛い。食べさせてあげたら、ほっぺ押さえて身もだえてるのがもっと可愛い。そのあと眠そうに船を漕ぐ姿に可愛さ天元突破した。寝顔がかわいいかわいい。結論妹超かわいい」


 淀みなく妹の魅力を語りながら、右手で地面に落ちたウサギの頭から角をむしり取って、ウエストポーチの口に当てた。手品のように忽然と角が消える。


  [うん、ごちそうさま]

  [弟妹惚気ごち]

  [弟君のご飯を食べたい]

  [初見です。話している内容と映像の温度差に頭がバグってます]


 入れ替えるように取り出した三十センチメートル四方の薄皮を取り出した。それで傷口を覆い、再び逆さに持ち上げる。

 したたり落ちていた血は薄皮に吸収されて消えた。


「俺が悪いのはわかってるけど、二人して起きて待っててくれて本当に本当に可愛い。弟もな、口悪くいいながら、ちらちらと様子をうかがってるんだよ、可愛いだろ。眠そうに欠伸をしながらがんばって起きててさ。結論弟も超かわいい」


 処理を終えたウサギをポーチに収め、清巳は歩みを再開した。


  [初見がいようと惚気続ける、さすが兄]

  [ここは弟妹の惚気と自慢が延々と繰り返されます。温度差は仕様です]

  [魔物の角って、素手でむしり取れるものでしたっけ?]

  [兄なので]

  [兄だからしゃーなし]

  [それが兄です]

  [えぇ……?]


 視界の隅にぽつぽつと流れるコメントを追う。追うだけで反応はしない。

 配信者とやり取りをしたいならそれをしてくれる余所へ行け、というのが清巳の持論だ。

 ちなみに、一般的には解体用のナイフでごりごり削って根元から採取するのだが、中層程度ならばダンジョン産の鋼――魔鋼の刃物であれば簡単に切り落とせる。金青オリハルコンならばなおのこと。それをしないのは、本当の意味で角をまるごと使えると研究職や生産師の面々が嬉々とするからである。勿論、その分はしっかりと買取額が上乗せされる。大して手間は違わないならば、高額で買い取ってくれる手段をとることは必然であった。

 のんびりとした足取りで隧道を奥へと進んでいく。


「可愛くて可愛くて仕方がないふたりが弟妹でいてくれて本当に可愛い。寝るのがいつもより遅かった分、朝、ふたりとも眠そうな顔してたのがこれまたかわい――」


 十字路で清巳は足をとめた。


「にょほ、ほほっ!」


 直後、右手の道から響いた緊張感の欠片もない奇声に、清巳は遠い目をしながら壁際に背をつけた。

 見なくても分かる。会うのは二度目でも分かる。

 そっと顔を覗かせれば、想像に違わず魔石に頬ずりをしている少女がそこにいた。


「………………一報を入れるか」


 浮遊カメラの追尾機能を一時的に切り、手動で道の向こうを映した。

 登録していない個体は自動的に探索マスコットキャラに自動変換される。姿や顔はわからないだろうが、あの独特な行動は依頼主ならばわかるだろう。たぶん。

 依頼主へ向けたメッセージを打つ。


  [なんだ? 踊ってる]

  [こけましたね]

  [捕獲ってこの子?]

  [魔物は睨まないであげて……ってまって変異個体の群れ⁉]


 視界の隅を流れるコメントから伝わる状況は間抜けとしか言い様がない。

 送信ボタンを押して、清巳は壁から背を話した。

 捕獲するとしても可能ならば穏便にいきたい。あの時は逃げられたが、なんとか会話を成り立たせたいところだ。


 ――どうやって。


 清巳は初めてその思考に思い至った。

 だが悩んでいる暇はない。逃げ出されたらまたやり直しになる。

 分岐を曲がり、姿を見せた清巳は恐る恐る声を掛けた。


「えーっと……ちょっといいか」

「ぴっ⁉」


 鳥のような鳴き声をあげて少女が飛び上がった。振り向いて凝視してくる闇色の瞳に浮かぶのは警戒だ。

 その気持ちはわかるが、依頼ゆえに引き下がることもできない。


「あ、えっと、悪い、驚かせたかったわけじゃ、あ」


 後ろにステップを踏んで飛び退いて、その勢い乗って身を翻し脱兎の如く逃走した。


「おー……見事に逃げられた……」


 急速に遠のく気配に清巳は小さく肩を落とす。

 探知魔法が使えたならばもう少し探しやすいのだが、生憎と清巳は魔法を使えない。

 事務的な会話以外で、自分から話しかけたのはいつ以来だろう。ここまで言葉が出てこないとは思わなかった。

 ちらりと地面に横たわる魔物を見下ろす。魔法と近距離を得意とする厄介な狼――魔狼の群れだ。紫の毛並も、地面に落ちる首に着いている赤い眼も、コメント通り変異個体だ。ご丁寧に魔物の核たる魔石だけはくりぬかれており、その他は全て投げ捨てられている。

 一個体ならばともかく、群れ全てが変異個体となると、ダンジョンの異変はかなり進行しているのかもしれない。

 頬の痒みを手の甲で拭って、清巳は顔を上げた。


「うん、正攻法は無理だな。障害物鬼ごっこ頑張るか」


  [【注意】ダンジョンは遊技場ではありません]


 視界の隅に見えた突っ込みは無視して、彼女を追いかけるべく走り出す。


[門限破ったら飯ねーから]


 ちょうど業間なのだろう。ぽつりと送られてきた弟のコメントに清巳は目を剥いた。


「えっ、帰る! 遅くなっても帰るから、後生だから残して!」


 その叫びに、返信はなかった。


「晩ご飯までに帰る絶対帰る、帰るったら帰る。でも知ってる、ああ言いながらちゃんと食べる物残しててくれてるんだよな。うんかわいい」


 呟きながら下へ続く道を駆け抜ける。洞窟だけが続いて旨みがない浅木地下ダンジョンをベースとしている探索者は少なく、パーティーとすれ違うことさえないため、さくさくと下へ行くことができた。


  [夕食かかってるから張り切ってるなー(棒)]

  [それでも惚気を忘れない、よっ、兄の鑑]

  [え、パーティーは? え? まさかないの? え?]

  [そこは突っ込まないお約束です]


 各階層で人の気配を探りながら来たのもあり、下層ボス部屋まで三時間がかかった。それに加え、中層上部と比較すると下層下部はほぼ変異個体に置き換わっている。

 魔素濃度測定器を取り出して地面に置いた。

 そびえ立つ扉を見上げて、清巳はため息を吐いた。


「今頃二人とも授業かあ。可愛いよなぁ。授業参観、弟教えてくれないの。行きたいのに。ちゃんと惚気は自重するって言ってるのにあえなく却下されて。そこもかわいいんだけど」


 下層の一階から降って、現在は十階。次からは深層と呼ばれ、これまでとは雰囲気が一転する。扉を見上げて清巳は腕を組んだ。


「捕獲対象はまた更に奥……ねえ……」


 行けないことはない。ただ、配信しながらでは、深層であることが詳らかになってしまう。それは少し都合が悪い。

 清巳はボス部屋に続く扉をじっとりと睨みつけた。

 彼女は逃走一辺倒。自分は彼女の姿を探しながらで速度は落ちていた。とはいえ、追いつけなかった。

 上には上がいることは理解している。ただ、探索者になって足下にも遠く及ばない現実を叩きつけられたのはこれで二度目だ。


「……………………………………………………癪だな」


 ぽつりと、清巳は呻いた。端末を確認するが、依頼者からの返信はまだない。

 この先に行くことは日常を崩すということ。佳弥からの依頼は、組織を通さない非正規なもの。依頼主自身も無理はしなくて良いと告げたくらいだ。

 チャンネル名に拡散禁止と掲げているが、清巳とて下手に話題になるような状況は回避したい。諦めるのが最善と分かってはいるが、癪なものは癪なのだ。

 自らの力の無さに対する不快感を胸の奥底に押し込める。

 腕の端末が小さく振動した。清巳は地面に置いた測定器を回収する。


「いや、無事に弟のごはんが食えると思えばあり。あぁいいながらも取っといてくれるけど、やっぱり一緒に食べるのがいいからな。かわいい弟とかわいい妹にの顔を見――」


 気持ちを落ち着かせようと弟妹のことを考え始めた思考は、着信音に遮られた。端末に表示された名前を確認して、すぅっと目をすがめながら応じた。


「どうも」

『にーちゃん、ほんまごめん。手が離せんくて。アホ逃げたんやね』


 逃げた。――逃げられた。それは事実だ。だが、改めて突きつけられると自分の驕りを自覚せざるを得ない。簡単に捕まえられるとは思ってはいなかった。ただ、ここまで追いつけないとは思いもしなかった。その事実が清巳の苛立ちと悔しさに拍車を掛ける。


「ものの見事にな」


 踵を返し、とん、と地面を蹴った。

 使用している浮遊カメラがついてこられるぎりぎりの速度で地上に続く道を進む。

 正面から突進してくる魔物がいた。体長が一メートル以上の一角兎アルミラージを、力のままに叩き斬り、無言で処理をする。

 素材の確保が終わるや否や再び駆け出した。


『……なんや、すまんなにーちゃん。苦労かけて』

「構わない。そういう依頼だしな」


 いつもより低い声が放たれた。


  [……なんか、おこ?]

  [こらっ、しー]


 こそこそするようにコメントも静まりかえる。

 下層九階へと続く昇り階段が見えた。


 ――からん。


 そのまま駆け上がろうとして、ふと足を留めた。カメラが数十メートル進みながら停止し、清巳の元へふよふよと戻ってくる。


 からん。

 からん、から、からん。

 から、からん。


 どこからか音が聞こえる。硬いものが転がるような音だ。

 清巳は進行方向を変えた。


 この音を、知っている。


『えっと……どうかしたん?』


 取り憑かれたような心地にの清巳に、佳弥の言葉は届かない。


  [どした?]

  [また変異個体がいるとか言わないよな]

  [ばか、フラグを立てるな]


 端末が拾わないくらい遠い。けれども、人より優れた感覚が音を拾い上げられるほどには近い。

 ダンジョン内では耳にしない音色を清巳が初めて聞いたのは、もう四年も前のことだ。

 深層をひとりで攻略しようと無茶をした。なんとかボスを倒し、けれども満身創痍で出血も酷く、残っていた下級ポーションを口にしたところで倒れてしまった。

 ふと意識を取り戻したとき、傍に誰かがいた。


 ――きやすめ……だけど……。


 からんからんと澄んだ音を響かせて、幼い少女の声は訥々と言葉を紡いだ。

 朦朧としながら寝て起きてを繰り返し、ようやく動けるようになったとき、傍にはもう誰もいなかった。

 まるで夢のようだったと、今思い返しても思う。彼女を探したこともあったが、なんの手がかりもなかった。

 今までは。

 警戒しつつも、期待を隠せず早足になる。

 分岐を一つ超えた。

 からん。

 からからん。

 音はまだ続いている。

 清巳は道の先から感じられる探し人の気配があった。思いもしない気配に、動かしていた足が重くなる。


  [なんの音?]


 ふたつめの分岐が近づいて、ようやく音を拾い上げたのだろう。コメントが動いた。

 分岐の手前で足を留めた。そこに留まり続けている気配。音はまだ続いている。捨てきれない望みを抱きながら、慎重に顔を覗かせた。

 飛び跳ねる袋型の魔物がいた。ダンジョンごとに生息する魔物は異なるが、共通して見られる魔物もいる。その一体が『踊る宝石袋ダンシングジュエリーバッグ』と呼ばれる極めて稀な魔物だ。ちなみに、袋の色は紫の変異個体である。

 緩んでいる袋の口から飛び出た魔石が地面に落ちる。


 からん。

 から、からん。


 少女は手を上に突き出したり、下ろしたりしながら、左右にちょこちょこ揺れ動いた。

 上下運動しながら横飛びをする魔物。


 からん。

 からん。

 ――からん。


 動いた拍子で袋から飛び出た魔石が地面を叩く。僅かに袋がしぼんだ。

 少女は右手を口の前に並行にかざし、左手を腰に当てて、首を前後に動かしながら左右を往復する。

 解けている袋の紐を器用に動かしながら少女の動きを真似するように、魔物が動く。


 からん。

 からん。

 ……。

 からん。


 少女は、脇を締めて左右に広げた手を羽のようにぱたぱたと動かしながら飛び跳ねた。

 魔物は飛び跳ねて、解けている袋の口の紐を上下にぶんぶんと振り回した。


 からん。


 袋の口から飛び出した魔石が転がる。

 無言で顔を引っ込めた。額を抑えてうな垂れる。

 見てはいけないものを見てしまった気がする。同時に、美化している訳ではないが、思い出が穢されたような気がして落胆を隠せない。

 端末に直接メッセージが届いた。


  [このまま通話を繋げておくさかい、捕獲頼むな]


 からん。

 先ほどよりも音の間隔が広がっている。

 清巳は思い出を胸の奥にしまい込み、意識を切り替える。彼女との間合いを詰めるために地面を蹴った。


 ――からん。


 直後、彼女の体が沈んだ。宙に赤い一線が走る。しかし、腕を振り切った彼女の手に得物はなかった。

 あの一瞬。空間収納から取り出して敵を切り裂いて得物を空間収納にしまう。ただそれだけのことだ。だが、使い手の限られる空間収納魔法を流れるように使えるあたり、屈指の魔法使いでもあるのだろう。

 多才というにはあまりにも規格外だ。

 魔物を倒してその場にしゃがみ込む彼女の背後に着地する。彼女はまだ反応しない。


「にゃはっ、ぴぃぃ⁉」


 落ちている魔石を手にした彼女が勢いよく立ち上がったその瞬間に襟首を掴む。それからは本能だった。

 反射的に体が動くのと、今まで沈黙を守っていた通話相手が叫ぶのは同時。


『ストップ、ストップや静! うちがその人に頼んでんねん!』


 彼女の大声にかき消されるように金属音がめりこんだ。耳元で嫌な音もしたが、首を横一文字に斬られるよりかはましだ。

 回転する勢いで捕獲の手から逃れると同時に、振るわれた刀身の赤い刀を金青の剣で受け止める形で静止すること三秒。


「宝石の人?」


 静と呼ばれた少女は不思議そうに視線を滑らせた。

 視線を彷徨わせながらも、少女に隙はない。


『あんたが今まさに真っ二つにしようとしとった兄ちゃんに通話を繋げてもろとるんや! 端末壊したやろ⁉』

「あ、そっか。……宝石の人の知り合い……」


 納得はしたようだが、警戒を隠さない顔で彼女が刀を下ろした。

 少なくとも命の危険はないと判断した清巳も倣って剣を下ろす。

 魔石をしっかり片手に抱えたまま、すすす、と静は二メートルの距離をあけた。

 なお収まらない殺気に清巳も警戒を続ける。


『その人睨むんは違うで。元はと言えばあんたが……あかんあかん、これは後。一回こっちいや』

「この前行った」

『ならパープルダイヤは見んでええな』

「え⁉」


 一瞬にして間合いを詰められた。思わず反応しそうになった右腕に意識をとられたすきに、端末のある左腕を掴まれた。


「ほんと? ほんとにパープルダイヤがあるの⁉」


 掴んだ左腕が持ち上げられて、食いつくように少女が端末に顔を近づける。

 先程とはうってかわった喜色に満ちた声。放っていた殺気はすでにない。


「魔宝石ダイヤの中でも稀にしかないあの魔宝石パープルダイヤ? 二一五六年にアンドレア=フィルスが世界で初めて魔宝石精の存在を報告した際に宿っていたと言われるあの? 別名魔宝石精の宿と呼ばれて人気が高すぎるうえ産出量が多くないから超希少なあの⁉」


  [唐突なヲタクトークで草]

  [魔宝石ヲタク、ここに爆誕!]

  [完全に空気ですね]

  [温度差が売りだからしゃーなし]


他人事のように笑うコメントに片目をすがめつつ、清巳は沈黙を守る。


『その。まあでも、手伝いに来たくない言うならしゃーないな』

「行く。行く、行く行く行く! 今から行けばいい⁉ 間に合う⁉」


 見事、餌に釣られている少女をなんともいえない目で見つめた。

 綺麗さっぱり存在を無視されているのは良いとしても、なにかが釈然としない。


『にーちゃんとやることを今日中に片付けて、にーちゃんの行ってよしという許可が下りたらええで』


 聞き捨てならない佳弥の発言に、清巳は口を挟んだ。


「ちょっと待て飼い主」


 やること、というのは研究機構への報告のことだ。名前と所属、使用したポーションの確認。救助の際に使用された薬の代金は、救助した者が所属する組織から本人たちに請求され、救助対応者へ分配される。だが、瀕死の状態を一瞬で回復させるほどの治療薬となると億は下らない。黒鉄の半人前探索者には不可能だが、そこが考慮されることはなく、請求は三親等以内の縁者にも累が及ぶ。

 清巳とてそのことは把握している。ダンジョンの異変に関しては些細なことでも報告を義務づけられているため、この配信データも提出しなければならない。見なかったことにすることも可能だが、そんなことをしてあげる義理はないため、必要な情報はとる算段でいた。

 だが、それはそれ。なぜ二度目ましての人間の手綱を自分が握らなければならない。


『生憎、飼うんはうちの手に余るんや。にーちゃんの方が年下の面倒見るの得意やろ?』

「弟妹と一緒にするな」


 清巳の抗議をさっぱりと流して、佳弥は静に忠告した。


『静、そこのにーちゃんにさっきのことちゃんと謝りぃな』

「後ろに立つのが悪い」


 敵意を隠そうともしない黒い瞳が見上げてくる。

 それを受けて、清巳も挑発するように笑みを深めた。


「正面からだろうと、話しかけただけで逃げ出したやつがなにを言う」


 なに言ってんだこいつ、と言わんばかりの懐疑に満ちた目を向けられた。

 だから、なに言ってんだお前は、と同じ視線を向け返す。

 記憶を長時間保持できない病でも持ってるのだろうか。

 そんな憐れみを込めながら見つめれば、それが癪に障ったようで顔を歪めた。

 佳弥が呆れを隠さない声で言った。


『あんたが端末壊さな、にーちゃんに頼む必要もなかったんや。したくないならしたくないでもええよ、無理してあんたに声かけるのやめるさかい』

「ごめんなさい」


 嫌悪に満ちた表情をかき消した静が頭を下げた。実に欲望に忠実で素直である。

 だからといって、はいそうですかいいですよ、と受け入れられるわけでもない。


「欲望だけの謝罪をもらってもな」

『ほな、来るならにーちゃんからちゃんと赦しを得て、やること片づけてから来てな』

「え⁉」


 首を勢いよく上がった。ただ、端末を凝視するその表情まではよく見えない。


『ちゅーわけで、頼んだでにーちゃん』

「おい!」


 制止の声も虚しく、通話が切れた。


  [これは貧乏くじ引いたな]


 清巳は硬直したまま動かない頭を見つめた。


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