待てども待てども再起動しない彼女にしびれを切らし、緩慢に口を開いた。
「とりあえず、手、離してもらっていいか?」
ゆるりと上げられた彼女の表情に、清巳は息を飲んだ。
能面のような顔。魔宝石の話題に一喜一憂していたとは思えないほど、その表情からは感情を見て取れない。
すっと視線を下げ、腕を辿るように再び顔を上げた静は、投げるように手を離した。
その場で膝を折り曲げ、地面に転がる魔石を手に取る。ぽいぽいと後方へ投げる魔石が宙で消えた。背後に空間収納を展開しているのだろう。
魔石を拾っては投げるのを淡々と繰り返す彼女を観察する。
拗ねた。ふて腐れた。いじけた。どの言葉も、今の彼女にはどこかふさわしくない。強いて言うなら、こちらへの興味はもとから存在しない、と言うべきか。
居心地の悪さに気まずさを抱えながら重い口を開いた
「さっきは驚かせて悪かった」
返答はない。
「この前の件で確認したいことがあるんだけど」
一瞥することさえなく、黙々と魔石の回収する。始めから聞こえていないかのような態度に目が据わる。
端末の音声を切り、浮遊カメラを掴んで地面に向ける。
ダンジョン配信は実名でしかできない。探索者証の名義でしかアナジテニアに登録できないからだ。だからといって、配信でフルネームを公表するのはリテラシーに関わる。いくら調べればわかるとしても。
「研究機構には俺から言っておくから、せめて名前だけでも……ああ、俺は伊地知清巳だ。お前は」
反応の期待はしていなかった。それならそれで、そうと報告すればいい。
そんな思いに反して彼女は振り返った。敵意や害意、侮蔑を含んだ顔ではなく、訝しげな顔で。
「いじち?」
うろんに聞き返した彼女に、清巳も疑問を抱く。
「ああ。それがどうかしたか?」
残っていた最期の魔石を空間収納に放り投げて静が立ち上がり、――背中を向けた。
[
[そこも突っ込まないお約束です]
[いつもとおかしいから中層にも出てきたってことにしておくのが賢い]
[ここは惚気と温度差を楽しむ所です。その他の些事には目を瞑りましょう]
[えぇ……些事とは?]
視界の隅をこそこそコメントが流れていくのを片目に、清巳はため息を飲み込んだ。
会話にならない。相手にその気がない状態で成立させることは困難を極める。諦めよう。そう決めたとき、微かな息づかいを感じた。
はっと顔を上げると静は背中を向けたまま佇んでいる。
うなり声が隧道に響いた。
清巳は剣を握り直し、道の奥、彼女の背中の先を見つめる。
正面から来る魔物の気配は一つ。こちらを捕捉しているだろうに、歩いているのか移動はゆっくりである。
背中を向けた時点で彼女は気づいていたのだろう。
実力差に苦い思いを抱きながら清巳は声を掛けた。
「すごく失礼なお願いをしてもいいか」
彼女がその気になっているのならば、反応がなかったとしても伝えておくのが誠意というもの。
期待はせず言葉を続けようとした清巳は、しかし肩越しに顧みた彼女に言葉を失った。
無言で見つめてくる瞳は続き促しているように見える。そう思うのは都合が良すぎるだろうか。
理解できない彼女の身の変わりように戦々恐々としながら声をかけた。
「一応、中層っていう
獣のうなり声に蛇が威嚇する音と山羊の鳴き声が重なり、隧道に反響する。
見つめ合うこと三秒。彼女はなんの感慨もない様子で顔を背けた。
[兄は弟妹が全てなので、それ以外は些事です]
[珍しく鬼ごっこしてたけど、弟妹へのプレゼントを貰ったのが最大の理由 だから些事なんだよなあ]
[兄だから。全てはその言葉が解決する]
[聞いてみるんですが、弟妹チャンネルの頭についてる【拡散禁止】もそういう
感じなんです?]
一つの身体に二種類の頭を持つ獣が迫る。左に獅子、右に山羊。そして、威嚇するように、蛇がしゅーっと唸る。
キマイラは魔物のランクづけでいうなら、Aランクの個体だ。通常ならば深層にいる個体で、地上で暴れよう者なら大地震や大津波などの大災害レベルで都市を複数破壊することも容易な魔法の威力を有している。
踊る宝石袋も下層以下に出てくる魔物だが、そこはコメントにあった通り、異変で内部の生態系も変わりつつのあるのではないか、と対外的にはゴリ押すつもりである。
六対の赤い瞳が死を宣告するように弧を描き、キマイラは泰然と隧道を歩く。自らを覇者と疑わない、強者の風格をもって近づいてくる。
「――いいよ、死なないなら」
彼女との会話が成り立った。先程まで無視一辺倒、満点の敵意はどこにいった。
奇妙な気色悪さを感じながら清巳は答えた。
「帰らなきゃ泣くやつがいるから、死ねない」
しばしの沈黙の後、拗ねたような声で彼女は告げた。
「そう言っておっちゃん帰って来ないもん」
「縁起でもないこと言うな」
清巳の声に獅子の咆哮が重なった。牙を剥いてキマイラが飛びかかる。前に伸ばされた鋭い爪は静に向けられている。
その後ろ、キマイラの尾でもある蛇は短く鋭く鳴いた。拳大の火球が約十、清巳を目がけて放たれる。
[そこは禁止なんだとしか思ってなかった]
[俺もー]
[そういうこと。やってることは上位探索者のそれだから]
[と言うと?]
着弾すれば丸焦げ必須。避ければ追尾してくるという探索者泣かせ仕様のそれに迷ったのは一瞬。清巳はいつものように剣を薙いだ。
ぱきん。
乾いた音が耳朶をつく。ふっと右手が軽くなる。
切り裂かれた火球が威力を失い消失したのを確認してから視線を滑らせた。
刀身の半分以上を失った剣。振るった勢いで飛んでいった切っ先が、隧道の壁に突き刺さっている。
「…………だよなあ……」
肩を落として、戦況を確認すべく清巳は前を見た。
獅子の手と首が地面に転がっている。切り落とした蛇の頭を踏み潰した静は、足掻く山羊の頭を無造作に切り落とした。
赤子の手を捻るように容易にキマイラを、それも変異個体を片づけたその実力に疑いの余地はない。
特有の魔力の揺らめきを持つ緋色の刀を携え、汚れ一つなく立つ姿を清巳は眩しそうに見つめた。
逃げられるのは当然だ。自分では到底至れない高みに彼女はいる。武器頼みで力業に任せている自分が追いつける訳がない。
――緋緋色金の武器を扱う彼女との差は歴然だった。
首をめぐらせた静がかたまった。手に持っている剣の半分と壁につき刺さる刀身の間を視線が揺れ動く。
折れた原因に気づいたであろう。
「気にしなくていい。……いつかは、壊れるんだ」
隧道の壁に突き刺さる刀身に寄り、浮遊カメラを脇に挟んで柄を持ちかえる。右手でそれを引き抜いた。
地面に壊れた刀身と柄を置いた。
[黄金ランクのパーティーのメディアに対する愚痴を見れば、ソロな兄の懸念も
当然。追いかけ回されてすっぱ抜かれて、本人や家族が病むのはそこそこある
話。病んで自死するのも良くある話]
[ブラコンシスコンな兄がそれをよしとするわけがない。万が一でもそんなこと
になったら東都が崩壊する方に一票]
ダンジョン内で壊れた武器も、置いておけばやがて吸収されてなくなる。思い入れがないと言えば嘘になるが、現実を知った以上、手放すべきだと思った。
そうでなければ、その剣さえあればできたのにと、過去の栄光に縋ってしまう。折るしかなかった自分の未熟さを棚に上げて驕るようなことはしたくない。
地面に置いた金青の剣から目を離し、予備の鋼の剣を鞄から取り出した。
「用事と言ってもたいしたことじゃない。この前の救助活動でお前が使ったポーションを知りたい」
静は訝しげな顔をした。しばし考え込んではっきりと告げる
「してない」
「先週の水曜日、上層に出た変異個体倒したのは君だろう」
こてん、と首を傾けた。悩むように俯き、思い出すように天井を見上げる。
「…………イエロートルマリン?」
首を僅かに傾けながら、自信なさげな声がぽつりと落ちた。
闇色の瞳が自信なさげに清巳に向けられる。
「死にかけに使ったやつ?」
清巳はぱちりと目を瞬いた。
死にかけ。確かに、危うい状態で表現としてはそうなのだが、重症とか重体とか重篤とか、他にも言いようはあるのに。
釈然としないが、間違ってはいないので清巳は首を縦に動かした。
「そうだな。深層クラスのものか?」
「めっ」
両手の示指を口の前で交差させて静は短く返答した。
言うなと誰かに口止めされているのか、あるいは言えないような品なのか。どちらにしても、深掘りしない方がいいだろう。
そう判断し、清巳は詳細不明で報告する際の注意事項を尋ねた。
「使用したポーションに対する還元がなくなるが構わないか?」
不思議そうな顔をしつつ頷いた静の視線が地面に向けられた。
「剣のことは本当に気にするな」
静は身体を小さく左右に揺らした。口を開いては閉じる。
「聞きたかったことは聞けたから、行って良いぞ。――協力感謝する」
清巳は静に背中を向けた。中層へ続く道を引き返しながら、予備の剣に視線を落とす。
魔法を駆使して魔物ごとに適切な対処ができるならば、魔鋼でも中層攻略は可能だ。ただ、武器の性能に任せて敵を叩き切る清巳のスタイルでは武器がもたない。
ざっ、と後方から足音がした。
一定の距離を置いてついてくる気配がある。
「……機構には報告しておくから、先行くなら行って良いぞ」
「ん」
肩越しに振り返った先で、静が頷いた。だが、足を早める様子はない。
正面に視線を戻し、前方から飛んできた水の球を剣で叩き切った。いつもの武器より伝わる反動が大きい。魔鋼製とはいえ、刀身強化の付与魔法が施されているそれなりな武器だが、やはり金青の剣に比べるとまるで頼りない。
間を置かずして水の球が飛来する。それも三つ。今までのように叩き切れば確実に武器が負ける。だが、下層の魔物相手に手を抜くこともできない。
清巳は一歩足を引いて、片手で持っていた剣に左手を添える。武器を捨てる覚悟で柄を握り直したとき、風が横を切った。
緋色の一閃が横一文字に走る。慣性を無視してぴたりと動きを止めた水球が一瞬にして霧散した。
その間約二秒。再び通り抜けた風が清巳の髪を揺らす。
[東都崩壊はさすがに言い過ぎでは?]
[でも、黄金ランクは一軍相当の戦力って言われてるんだぞ。崩壊はともかく
半壊くらいはあり得る気がする]
[ダンジョンの解明が生業の探索者に街が滅ぼされるのは笑えないんですが]
[十数年前、理由は公表されてないけど、西都の一角を軽々ぶっ飛ばした探索者
がいます。現実に成り得ます]
無言で構えを解き、なんとも言えない顔で身体ごと振り返った。何ごともなかったかのように佇む静をじっとりと見つめる。
基本的に、戦闘している魔物を横合いから奪うのは御法度とされる。素材の所有権は討伐した者あるいはそのパーティーに帰属するためだ。
オグレスを倒しておきながら、なにもせずに後方待機姿勢に戻ったということは横取りする気はないという意思表示なのだろうけれども。
「所有権は討伐者のものだからな」
そう告げて清巳は魔物の横を通り過ぎた。
彼女の行為は褒められたものではないが、武器を壊さずにすんだのも事実だ。
ゆえに目を瞑ることにして慣れない手の感触に剣を見下ろした。
妙に胸がざわつき、頬がむずむずする。 清巳は頬を乱暴に肩にこすりつけた。
予備の剣も壊れたらしばらくは素手で対応するしかない。それで壊れるほど柔な身体はしていないが、見ていて弟妹は不安に思う要素は避けたい。
だが大概の武器は簡単に壊れてしまうため、コストパフォーマンスが悪い。それならば、
――いや。そんな剣はそうそうない。あの剣が折れてしまった以上、潮時なのかも。
胃の辺りを不快な感覚が渦巻く。
ふと、すぐ後ろに気配を感じた。
視線を右後方へ滑らせると、細い指がポーチの蓋を持ち上げている。口に近づけられている鋼鉄製の杖に、考えるより早く身体が動いた。
彼女の額に肘鉄が当たる。
「ぴぎゃっ」
「なにしてんだ馬鹿」
罵りながら清巳は数歩彼女から距離をとり、剣を左手に持ち替える。
ポーチの蓋を上から押さえ身体ごと振り返った。
オグレスの杖を忍び込ませることに失敗した静は、前頭部を押さえながら左手で杖を差し出した。
「ん」
「却下だ」
不服そうな顔で杖を見た静は、空間収納から取り出した紫色に輝く魔石を添えて再び両手を差し出した。
「ん」
「ダンジョン内での譲渡はトラブルの種だから応じない」
清巳はきっぱりと断りをいれた。
静は差し出した手を所在なさげに引っ込め、瞬きひとつで二メートルほど後方へ移動した。
[そういや、昔なんかあって西都が半壊して、協会から機構に人が流れたんだっ
け?]
[そ。上澄みも上澄み、数十年ぶりの緋緋色金がぶち切れたあの事件。あれも
その程度で済んで良かったねレベル]
[うそだろ]
[金青パーティーでも実力的には都一つ落とすの簡単よ。更にその上、それも
ソロで成り上がった人が本気だったら、都一つといわず、周辺数十キロは荒れ
野にできる]
ダンジョン内での問題事例には事欠かない。それ故に、ダンジョン内での譲渡は原則禁止とされている。鞄に忍ばせようとするのはもってのほかだ。
歩みを再開して程なく、再び前方に躍り出た静が一太刀で目の前の魔物を倒した。梟頭の熊――アウルベアの変異個体である。魔石を手際よくくりぬいて、清巳の前に来た彼女は先程の獲得物と一緒に両手を差し出した。
「ん」
すぅっと頭の方から身体が冷えていく。心臓が、悲鳴の代わりに一際大きく跳ねた。不意に、それらの感覚がふつりと消えた。ぱちりと眼を瞬いてまるで身体が切り替わったかのような奇妙な感覚を覚えながら、震える指をごまかすように剣を強く握りしめた。
「だから、譲渡には応じない」
淡々と答え、静の横を通り過ぎて先を行く。
しばしして、赤目のホワイトフォックスを静がさくっと倒す。額に埋め込まれている魔石を抉り取って差し出した。
「ん」
「なんどされても同じだ」
素気なくあしらい地上に向かって進む。
やはり、清巳より早く大栗鼠を倒した静は、魔物が持っている実の中にある核と、今までの獲得物を両手に抱えて掲げた。
「ん」
「全部だせばいいものでもない」
ぴしゃりと言い放ち、差し出されたものは決して受け取らずに先を進む。
だが、諦めるという言葉を知らないのか、静は屈することなく手つかずの、茶釜狸の死体を指差した。
「ん」
「……嫌がらせか?」
彼女の行動に引きながら清巳は足早に進む。
本当に何を考えているのだろう。手のひら返しがあからさますぎるうえに貢いでくる意味が分からない。
清巳は左手で顔を掻いた。
魔物に遭遇する度に、これまで獲得してきた物の山を差し出す。次に差し出されたものの中には、綺麗に加工された魔宝石が数個、光をうけて煌めいていた。
「ん」
「明らかに今まで獲得したものじゃないものを混ぜるな」
エスカレートしている押し付けに頬が引きつる。
再び魔物を倒した彼女は、今までの獲得物に加えて魔宝石の小山を差し出した。からん、と山からこぼれ落ちた魔宝石が澄んだ音を立てる。
「ん」
「量を増やせばいいってものでもない」
回数を重ねれば重ねるごとに多くなる品々。度を知らないのか貢ぎ物は増えるばかりで埒が明かない。
清巳は小脇に抱えているカメラのレンズを隠し、地面を蹴った。
[調べましたごめんなさい大人しく拡散しません死んじゃう]
[するつもりはなかったけど、俺も]
[怒らせたらだめなのは理解。あれはえぐい西都の半分が荒野って何]
[理解力があってくれていいなあ……それに比べてマスコミときたら全部塵芥と
還してやりたい]
[おい、唐突に闇オチしたぞ。大丈夫か?]
[なんかあったんだな]
[兄はあんなゴミ虫に煩わされることなく惚気てて欲しい、切実に]
[うん、そうだな(この件には触れないでおこう)]
[化け物じみたことを惚気ながらしてるギャップがいいからね(賛成)]
[(唯々諾々と従います)]
道中の障害物を片づけようと剣を持ち上げた直後、猿の魔物――カクエンがみじん切りになって絶息した。
想像だにせぬ光景に清巳は思わず足を留める。後方二メートルに気配が降り立つ。誰の仕業かは尋ねなくても分かった。
……どこまで着いてくるんだ。
全てが釈然としない。複雑な顔をしながら清巳は再び走り出した。
その後も清巳が手を出すより早く魔物は全て木っ端微塵に切り刻まれた。現象から考えて彼女の魔法によるものだろう。無詠唱と発動速度はそこらの探索者の比ではない。
魔法を使えなくなって以降、弟妹で世界が完結している清巳はめっきり魔法から遠った。辛うじて新魔法が発表されれば情報を確認することはしているが、その中に魔物を木っ端微塵に切り刻む魔法はなかったはず。彼女のオリジナルなのか或いは複数同時行使なのか。どちらにしても規格外は規格外である。
そういうのは見て見ぬ振りが一番。幸い、データにも残らないので、これ幸いと記憶の彼方で焼却する予定である。
その後も静の貢ぎ物を躱しながら中層一階まで戻り、清巳はぴたりと動きを止めた。
後方にはしっかりと彼女の気配がある。
ついてきて本当に何をしたいのだろう。自分では撒くこともできない。
諦めるしかない現実に清巳はため息を飲み込み、後ろを振り返った。
「そろそろ、配信再開するつもりなんだが」
「ん」
首が縦に振られた。
離れるそぶりは見せない。
「このままついてくる、のか……?」
「ん」
がっくん、と首が縦に動いた。
「……………………………そうか」
もうは何も言うまい。
中層の一階から上層十階に昇り、浮遊カメラを飛ばした。
映像と音声を再開した清巳は、後方で揺れた気配に、反射的にポーチの蓋を押さえた。
「あ」
ポーチを押さえていた手に、彼女の指先が触れる。
ゆっくりと肩越しに振り返った清巳は、静をじっとりに睨みつけた。
「油断も隙もないなおい」
「ん」
両手で抱えた鞄を得意げな顔で差し出された。
清巳は渋面をつくると、大仰にため息を吐き出した。
「カメラも回してるのに堂々と譲渡しようとするな……」
[あ、おかえりー]
[おかえりなさい]
[なにしてんの]
[随分とお楽しみだったようで]
静は地面に品々を置き、先程よりも大きな魔宝石の小山を二つ、指で差した。
「ん」
「獲得権の放棄をしたところで、トラブルの火種になるから拒否する。あと、ちゃっかり魔宝石を付け加えるな」
いちゃもんは、つけようと思えばいくらでもつけられる。態度が激変した理由がが分からない以上、警戒はやめられない。
「…………わかった」
渋々といった顔で小山を袋に詰めていく。
やっと分かってくれたと安堵したのも束の間、先程の獲得物が収められた袋が、ずいっと目の前に差し出された。
「ん」
「袋に入れればいいってものでもないから。頼むから人の話を聞いてくれ……」
疲れたようにため息を吐いて、清巳は静に背中を向けた。
その後も袋に綺麗なリボンを巻かれたり、無地の生地にきらきらと魔宝石を飾り付けられたり、改良を施された袋を差し出されたり。
いつになったら諦めてくれるのかとうんざりしながら逃げるように地上へ走る。真剣に逃走する清巳の後方をぴたりと着いてくる静に苦々しい顔が隠せない。
[兄の惚気が少ない回がこようとは]
[振り回されてる兄も良き]
[アオハルですか? これはアオハルの始まりですね⁉]
「早く家に帰りたい……」
惚気る間もなかくダンジョンの入り口につき、清巳は愚痴りながらカメラを振り返り、配信を閉じた。浮遊カメラを回収して、予備の武器とともに鞄に押し込む。
身体を襲う、いつもより強い疲労感に深呼吸を繰り返す。
それでも妙に息が切れる気がする。頬を掻いて清巳は端末を操作した。
『まだかかると思う。お菓子リクエスト受けるから夕飯残しててくれ』
いつもより鈍い指先でメッセージを弟に送り、清巳はゆっくりと息を吐き出した。
傘を差しながら地上へ出た。ぱらぱらと雨粒が傘地を叩く。
後ろをついて歩いていた気配が動かないことに気が付いて、ふと足を留めて振り返った。
ダンジョンの出現とともにできた四メートルほどの山の麓に、ぽっかりと入り口は開いている。その内側で、静は地上の境界線を仇でも見るかのように鋭い視線を向けていた。
……そのうち帰るだろう、たぶん。
結論づけて、清巳は研究機構への道を歩く。
そぼ降る雨音に武器を失った哀惜が募る。置いてきたのは自分の意志だが、やはり七年も世話になった相棒を、そう簡単に忘れられるわけがない。
気を抜けば崩れ落ちてしまいそうで、清巳は意図して足に力を込めた。
ぱしゃん。
後方で水音が跳ねた。気配が後ろをついてくる。
肩越しに振り返った清巳は疲れの滲む声で尋ねた。
「……機構に行く予定なんだが、まさかついて来るのか?」
「ん」
フード付きの上着を羽織り、顔を隠すようにフードを目深にかぶった静が首肯する。
清巳が歩き出すのを待っているのか、そのまま静は立ち尽くして動かない。
しとしとと降り注ぐ雨が静の上着を濡らしていく。
清巳は小さく嘆息すると踵を返した。
「入ってけ。風邪引くぞ」
きょとんとした顔つきで沈黙していた静は、ん、と首を縦に振った。