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第六話

「あなた、今までどこに行っていたの⁉」

「ぴっ」


 フロントに響いた叱責に静が小さく鳴いた。清巳も声がした方へ首を廻らせる。

 顔をベールで隠した女性が早足に近づいてきていた。身に着けている青と白の制服は協会のもの。

 清巳は僅かに目をすがめた。


 手にしている薄氷の杖には女性の手のひらよりも大きいクリスタルが輝く。ベールで顔は見えないが、協会でその杖を持つ人は一人だけだ。元金青パーティーの魔法担当、清山院せいざんいん麗華。彼女が得意とする氷の魔法は半径五メートルを一瞬にして凍らせることも可能だ。空間を凍らせるのは高度な技術であり、氷魔法においては随一の威力と能力を誇る。

 所属していたパーティーの解散と同時に引退して以降は、協会幹部の秘書をしている。

 東都は連盟の総本山とも言える都市であるため、協会所属の人間が足を踏み入れることはまずないが、研究機構が拠点を置く都市は目こぼしされる。逆もまたしかり。ここのところ続いているダンジョンの異変に関する話し合いでもあったのだろう。

 特に協会に籍を置く者ならば羨望を一身に集める存在だが、協会そのものへ強い不信感を抱いている清巳は会えてもまったく嬉しくもなんともない御仁である。できることならば視界にも入れたくない。


 清巳の背後で、まるで蜘蛛が巣を張り巡らせる様に薄い薄い殺気が広がる。ぞわぞわと悪寒が這うような居心地の悪さに、清巳も緊張を高めた。

 それに気づかないわけではないだろうに、その女性は申し訳なさそうに清巳に声を掛けた。


「申し訳ありません。彼女が迷惑かけました」


 そう告げて後ろに回り込んだ女性が静に手を伸ばす。

 その手を切り落とさんばかりに殺気を高めた静と彼女との間に割り込み、清巳はその手を掴んだ。

 ここで殺生沙汰は避けたい。


「いきなりなんだ。あなたから謝罪を受けるようなことはないはずだが」

「彼女は我が協会の探索者です。事故があって以降、音信不通だったのですが、保護して頂いて感謝致します。さあ、あなたのごかぞぶべっ」


 清巳が気づいた時にはすでに静は清山院の背後に回っていた。変わらず放たれている薄い殺気。巻き込まれまいと手を離し、二歩下がる。

 跳躍した静は身体を捻って回し蹴りを清山院の横っ面にたたき込んだ。

 秘書の身体は一直線に壁へと飛ぶ。豪快な音を立てて壁に突き刺さった。一瞬遅れて持ち主と同じく壁に叩きつけられた薄氷の杖が砕け、煌めきながら氷の残骸とクリスタルが床に転がる。

 しん、と一瞬にしてフロントに静寂がおりるなか、静は軽い身のこなしで着地し、満足げに笑った。


「ん、これでよし」


 頭を壁に埋めて四肢を投げ出している協会の女性はぴくりとも動かない。

 為す術もなく蹴り飛ばされた清山院を引いた目で眺め、清巳は小さく首を捻った。

 あれくらい、生きてる……はず。たぶん。見るからに為す術もなく食らったように見えるが、一応仮にも元金青ランクの一員が、まさかそんなことはあり得ないだろう。

 疑念を払拭し、目の前に立つ静に視線を戻した。


「なにもよくないぞ」


 静は不思議そうに首を傾けた。


「協会のしもべはつっかかってくるなら潰して良くて、連盟の脳筋はとりあえずぶん投げておけばいいんだよ。知らないの?」


 即座に違うと否定できなかった。いや、違うには違うのだが、それを彼女に教えた人の協会と連盟に対する心象に同意したい自分がいる。

 清巳は口を閉ざして明後日の方を向いた。


「何ごとだ!」


 破壊音を聞きつけておくから人がわさわさと人が出てくる中、真っ先に声を上げたのは研究機構東都支部の副部長、高垣律子だった。探索者上がりの職員で、右目に眼帯をしている。


「清山院⁉ なぜこのようなことになっているのだ、だれか説明せよ!」


 がたいの良い、青と白の衣装を纏った壮年の男性が怒りを滲ませながら叫んだ。清山院が秘書として使えている協会幹部で、名を冷泉れいせん巌雄いわおと言い、清山院のパーティーメンバーで盾師を務めていた人物である。

 詳しい説明は周囲に任せ、清巳は視線を戻し言い含めるように静に告げた。


「そういうのはダンジョン内だけにしておけ。こんな場所で手を出したら普通に紛争になるから」

「それの何がダメなの?」


 まっすぐに見上げる瞳はどこまでも純粋だった。それは善悪を知らない幼子のようで、清巳は腕を組んで考え込んだ。


「馬鹿者、いつまで呆けている! さっさと負傷者を救護室へ運べ! そこの受付二人は担架を持ってこい! そこの壁際の五人は清山院秘書を慎重に引き抜け! 他は瓦礫の撤去、一部始終を見ていたやつは代表して誰か説明に来い!」


 高垣の指示に我に返った者たちが慌ただしく動き出す。

 それを横目に捕らえながら清巳は思考を巡らせる。

 倫理道徳を説くべきか、あるいは政治的観点からの利益不利益を説くべきか。はたまた、単に巡り巡って迷惑だからやめてくれと言うべきか。

 回答する視点をどうするか悩む清巳に静は問いを重ねた。


「なんでダンジョン内じゃないとだめの? 理由がないなら、つっかかってきたのあれだし、別に潰しても問題ないよね?」

「逆に聞くが、なんで協会の使者を蹴り飛ばした」

「あの人間、私を捕獲しようとしてたから」

「捕獲?」


 一瞬、一ノ瀬の「捕獲や」と叫ぶ顔が浮かんだ。

 頭を振って思考を現実に引き戻す。


「協会所属の探索者……って言ってたが……それにしては確かに敵意が……」


 清山院が言ったように静が協会の探索者ならば、静の協会に対する言動はおかしい。協会に反する言動は封じられる。改めないならば懲罰が下る。そんな場所にも関わらず、反協会的発言をする静を協会に所属させているのは道理にそぐわない。

 それ以外にもなにか引っかかるものがある。だが、喉まで出かかっているのにその違和感は判然としない。


「ん」


 空間収納から取り出したのは、黒い石が埋め込まれた水晶の腕輪。――研究機構の探索者証だった。

 清巳が確認したのを見るやいなや静は速攻で空間収納に投げ収める。

 ようやく違和感の理由が分かった。チャンネル名の色は黒だった。協会所属ならば青、連盟なら赤とわかりやすく色分けされている。そこの色は登録した探索者証に紐付いているので、黒色でチャンネル名が表示されている彼女が協会所属であるわけがない。

 多重発行はできないため、静が複数所持しているというのもあり得ない。

 言いがかりをつけてきたのは協会の幹部秘書である以上、倫理も道徳も政治的観点も静には通用しないだろう。

 清巳はひとつ首を縦に振った。


「白昼堂々、もっともらしい言い分で誘拐宣言されたら、確かにぶっ飛ばすな」

「それが君たちの言い分か」


 事情を聞き終えたらしい冷泉の重々しい声とともに威圧が放たれた。重くなった空気が肩に乗る。


「ひ、ひぃぃっ!」


 震えながらフロアの人間が蹲った。悲鳴を上げて這うように逃げる者もいる。

 そこまで怯えるものだろうか、と思いながら清巳は気だるげに男を横目で睨みつけた。威圧が拙すぎて逆にこそばゆい。

 ため息をつくと、清巳は彼の威圧を上回る殺気を男に飛ばした。そわそわとした空気がなくなりすぐさま殺気を引っ込めて静に視線を戻す。

 彼女もまた平然とした顔でそこに立っていた。視界の隅で男が一歩足を引いたのが分かる。


「そのまえに逃げるなり上に報告するなりしろ、馬鹿者どもめ」


 やや血の気の引いた顔をしながら、毅然とした態度で高垣は二人に苦言を呈した。

 それを涼しい顔で受け流していると、静がくいっと服の裾を引っ張った。

 痺れを切らしたのか先程よりも機嫌のよろしくない顔をしている。


「なんでダンジョン内じゃないとだめなの」

「今回の場合、巡りに巡って俺の弟妹の生活に影響が出るのは俺が困るから」


 一応、連盟のお膝元ではあるため滅多なことにはならないが、協会の顰蹙を買えば当然報復が待っている。西都に行く予定は今後もないが、呼んでもいない客が来ることはある。


「蹴飛ばしたの私なのに?」

「半分当事者だからな。下手に他人を巻き込まないところと言ったら、ダンジョンだろ」

「むー……。つっかかってきたのあっちなのに」


 不承不承といわんばかりに薄く広がっていた殺気が消えた。

 政治うんぬんも倫理道徳も通用しなさそう、という推測は当たったらしい。他人に迷惑をかけない、という重要な教育が根付いているのは何よりである。


「二人ともその口を閉ざせ」


 叱責する高垣を、冷泉は底冷えするほど冷たい視線で射貫いた。


「我らへの敵対行為、みすみすと見過ごすわけにはいかん。このことは厳重に抗議させて貰う」

「じゃあ潰そう」


 冷泉の言葉に静が初めて反応を見せた。

 高垣が腰に佩いていた魔動拳銃を取り出し照準を静に合わせようとして、所在なさげに銃口を揺らした。静を見失った高垣の視線が素早く左右に揺れる。

 清巳はそっと嘆息すると、上に飛んでひた隠した敵意を高垣と冷泉に向ける静を見上げて清巳も跳んだ。

 はっとした顔で空間収納から出しかけた緋色の刀を収めた静を小脇に抱えて地面に降り立つ。

 大人しく小脇に抱えられた静が厳めしい顔で清巳を睨み上げた。


「なんで邪魔するの」

「色々壊れるだろ。片付けとか捕獲に狩り出されるだろ。俺が帰れない」

「……じゃあ帰る」


 重心を前にずらして清巳の腕から滑り堕ちた静は地面に両手を突いて転回する。その勢いのまま軽やかに百八十度回転すると扉へと駆け出した。


「大沢、白木、本永、追え!」


 高垣の指示に三人の男女が素早く動いた。

 建物から出ようとする静に、清巳は持っていた傘を投げつける。三人を追い越し、背後に迫る傘を 振り向きざまに掴で、静は不満げに目を細めた。


「風邪引くから持ってけ。予備はあるから」


 悩むように首を傾けた彼女は、やがて小さく首を縦に動かした。

 その隙に距離を縮めた男二人が更に静に迫る。女――白木は立ち止まって左手の手のひらを前に突き出した。


「雷撃!」


 人差し指につけている紫色の指輪が淡く光る。手のひらから可視化した紫色の電気が放たれた。

 鋸歯きょしのような線を描きながら、雷は二股に分かれ、二人の男の背を突いた。


「ぐおっ⁉」

「あぐぅ⁉」

「えっ⁉」


 これには清巳も目を丸くした。

 雷撃は細かい刻み目のような軌跡を描くが、途中で二つに分かれることはしない。現象としてはあり得ないものだ。それも、あたかも静を避けるように大沢と本永に当たったのは偶然と言うにはあまりにも不可解な現象だった。

 静は驚く素振りも見せず、とことこと建物の外に出てぱっと傘を広げた。傘地から弾けた水滴が雨に紛れて落ちる。

 静は肩越しに振り返って事もなさげに告げた。


「その子の英断に感謝することだね。そうじゃなきゃ殺してたから」


 彼女の姿はそこで消えた。


「どういう意味だ?」


 しばし訝しんだ高垣はすぐさま切り替えて彼らを治療室へ運ぶよう指示を飛ばす。


「高垣副部長。この件についてはまた後日」


 冷泉が粛然と研究機構をあとにする。


「魔法干渉……? でも魔力構築から発動まで特に違和感はなかったわ。触媒の魔石にも変化はない。それなら何に干渉したというの? 『その子』って誰のこと?」


 白木の呟きを聞き留めて、清巳も考え込んだ。

 自分たちには見えていないものが静は見えている。それは確実だろう。

 余所のダンジョンでは見えない敵がいる。古来より存在する神や妖怪、悪魔の名を関する魔物もいる。それらを魔物と呼ぶことについては度々議論が繰り広げられているが、重要なのは、その中にも特定の人物しか見えないという厄介な存在がいるのだ。

 原理としてはそれと同じなのか、はたまた誰にも気づかれないほど高度な隠蔽魔法なのか。

 魔法に関する基礎知識はあっても専門知識は十分とは言えないため、清巳はそこで思考を打ち切った。

 背後で暗雲を垂れ込めた高垣が腕を組んで仁王立ちする。


「伊地知。なぜ追わずに逃がした」


 鋭い詰問に清巳は悪びれた様子もなく応じた。


「答えの分かりきっている鬼ごっこは不毛なので」


 そんなことのためにこれ以上帰宅時間が遅くなるつもりはない。

 高垣に向き直り、清巳は用件を手短に述べた。


「先に報告だけいいですか。データの提出はあとからするので」


 反省も内省も罪悪感もない清巳に渋い顔をしながら高垣は首を縦に振った。


「場所を変えよう」


 身を翻した高垣のあとを追って副部長室に足を踏み入れた。

 疲れたように椅子に腰を下ろした高垣が両肘を机について手を組み、額を押し当てるようにしてうな垂れる。


「あの娘は、お前よりも強いと?」

「本気で逃げても振り切れませんでしたから」


 むしろ余裕さえあるようだった。なにより、清巳では緋緋色金を扱えない。これで自分の方が強いと思い上がるほど清巳は自惚れていない。今の自分では叶わないと素直に認められるほどの人はこれで二人目だ。


「それも含め、先程の件については報告書と始末書を提出しろ」

「なにを反省しろと? 止めなかったことですか?」

「協会との関係悪化は免れん。自分は悪くなかったとほざくか」


 僅かに顔を上げた高垣の睨みに、けれども清巳はうろたえることなく反論した。


「嵌めて欺いて他人を貶めるのは協会の常套手段でしょう。正当防衛の範囲内かと」

「過剰防衛だ馬鹿たれが」

「仮にも一応金青パーティーの一員ともてはやされていた人間が全く反応できず、一撃で落ちる方がおかしいでしょう」


 静は明らかに手を抜いていた。わかりやすく殺気を張り巡らせたうえで、腹いせに軽く蹴飛ばした程度。深層の個体に比べたら可愛いものである。

 高垣は眉根を寄せた。


「お前は自分が規格外だってことを自覚しろ。ソロでダンジョンに潜る馬鹿のうち、お前のようなやつは両手で事足りる。現役か退役かは置いておいても、パーティーでやってきたやつと、ソロでやれるやつの能力がイコールなものか」


 大仰に嘆息して高垣は椅子にもたれかかった。


「それで、報告とは?」

「先程の彼女はポーションについて黙秘。その分の補填はなくていい、ということらしいです」

「……言われてみれば背格好はそれくらいか」

「だから連れてきた……というか、ついて来たんですよ。名前は静。苗字は不明。探索者ランクは黒鉄」

「は?」

「先程見せて貰いました」


 考えてみればあり得る話ではあるのだ。探索者のランクは攻略したダンジョンのランクとその数によって決定づけられる。黒鉄の上、青銅ランクになるにはE級ダンジョンを七つ攻略しなければならない。

 飛び級も可能だ。逆を言えば、攻略しなければランクは上がらない。上がらないだけで、ダンジョンへの入退場はランク毎の制限を掛けられるほどの人材はなく、完全に自己責任であるため、なんら問題はない。規則上は。

 救助要請は黄金ランク以上の探索者にのみ通知が行く。先日の彼女はただたまたま偶然その場所に居合わせただけだったのだ。後始末もなにもない。


「……人材の損失だな。やはり、探索者ランクの昇級資格は早々に見直さなければならないか」


 難しい顔で高垣が呟く。


「宝石師・一ノ瀬の知り合いです。彼女の方が自分より詳しいかと。それから、下層はほぼ変異個体に置き換わっていたので、調査をするなら早いほうがいいですね」

「なに?」

「下層上部の魔狼は群れごと変異個体になっていましたので、黄金ランクでも実力者を集めた方が安全かと」

「お前が参加してくれるなら悩まなくていいんだが」

「愛用していた武器が壊れたので無理です」


 簡明に清巳は述べた。

 高垣が訝しげな顔で問う。


「武器はオリハルコンだったと記憶しているが」

「折れました。残骸は捨ててきましたし、折る要因となった人は帰ってしまったので証明のしようはありませんが」


 清巳は喉に力を込めて淡々と事実を告げた。

 ともすれば声が震えてしまいそうだ。気づかれていないか、清巳は探るように高垣を観察する。

 だが、それどころではないらしく高垣は深く考え込んでいた。


「配信データはこのあと提出しますので、どうぞ調査の参考にしてください。以上です」


 一礼して踵を返した清巳を高垣は呼び止めた。


「待て。せめて一週間、下層の調査に加わってくれ。武器がなくてもお前なら余裕だろう」

「家に帰れないので嫌です」


 考える余地もなく清巳は断言した。


「そこそなんとか」

「なんともならないですね」


 取り付く島もない回答に高垣は首を横に振りながら両手を挙げた。


「協会は楽観的、連盟は我関せず、うちもうちで消極的。比較的危機感を抱いている伊地知は非協力的。どうしろと……?」


 匿名で浅木地下ダンジョンの報告書が上げられている。主に深層から下層のものだが、そこまで行って確認できる探索者は多くない。研究機構にもまったくいないわけではないが、清巳と同じ金青こんじょうランクのソロ探索者はフィールドワークで北から南に飛びまわっており捕まらない。黄金ランクのソロたちも似たり寄ったり。パーティーを動かそうとするとあちらこちらから横槍が入る。

 頭を掻きむしる高垣に清巳は追い打ちを掛けた。


「やばそうなら弟妹つれてさっさと移籍します」

「伊地知!」

「これ以上、誰かの命を預かって、預けるなんてごめんです。そんなもの俺に期待しないでください」


 再び止められる前に清巳は足早に部屋を出た。受付で今日の分のデータを提出して建物を出る。

 そぼ降る雨を見上げ、ゆっくりと足を踏み出した。ぽつぽつと身体に水が当たる感触に顔が強ばるのがわかる。

 身体の奥から沸き起こるものを自覚する前に奥底に押し込んで、清巳は走り出した。

 誰かの悲鳴が、断末魔が、鼓膜の奥で木魂する。


 ――もしも。もしもまた奈落が開くというのなら、もう一度ふたりを連れて逃げるのだ。両手はすでに弟と妹で埋まっている。それを手放してまで成したいことなどなにもない。










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