七月も上旬になった。上層下部でビッグボアの解体をしながら、今日も清巳は惚気ていた。
「もうすぐ妹の誕生日でな。今年もプレゼントは保留って言われたなんで。ふたりとも物欲に乏しすぎて兄としては心配。まあそういう所もかわいいんだけど」
「きーよー、惚気てねーで俺にもちょっとは構え」
「しっかり者の優しい子に育ってくれてる嬉しい反面、もう少しわがまま言ってくれないかなあ。それはそれで可愛いから是非とも見たい。可愛くないわけがない」
後方から掛けられる拗ねた声を無視して、清巳はボアの上に置かれた魔宝石をつまみ上げて地面に置いた。根元からもいだ牙を腰のポーチに収める。
「はあっ⁉ 魔宝石⁉」
たまたま出くわしてついて来ていた顔見知り――松永涼太がぎょっと声を上げる。
耳の近くで騒ぎたてる、同じ年頃の成年を睨みつけた。
「うるさい」
「目を離してもないのに、こんなもの混ざってたら誰だって驚くわ」
涼太が指し示したの清巳が取り分けた魔石だ。魔力の含有量は上層で獲得できる物よりも遥かに多い。そもそも、魔宝石は加工品としての名称だ。魔鉱物の状態でなければおかしい。
清巳は視線を涼太よりも後方へ向けた。
「魔宝石を解体場所に置かない」
ここ最近すっかり習慣と化している注意を投げた。
[座敷童子ちゃん登場]
[やっほー。といっても見えてないけど]
[ストーカーは通報案件で良いと思うんだけどなあ]
呆れたようなコメントが視界の隅を流れる。
研究機構で分かれてから二日後の木曜日、表書きに『奉納』と書かれた熨斗紙つきの箱を差し出されたのは鮮明に記憶している。
『奉納』は神社や神様に供えるときに使う表書きだ。神社とは縁もゆかりもない人に渡すものへ使う言葉ではない。
お詫び、と首を傾けながら押し付けられたので、一応受け取り今も鞄の中で眠っている。だが、その後もせっせと貢いでくる。意味が分からない。
本当に意味が分からないうえしつこいが、困ってはいないので通報はしていない。
押しつけられた結果、鬼ごっこになったり、魔宝石の雨が降ってきて鬼ごっこになったり色々あるが困ってはないのである。
清巳の視線を追って、後方四メートルにちょんと佇む人影を認めた涼太がひきつった声で問いかけた。
「清、あの子なに? 誰? いつから? なんでつきまとわれてんの?」
矢継ぎ早に質問を無言で躱し、清巳は立ち上がった。
ふと風を切る気配を感じてポーチを押さえた。刹那、静の手が上から重なる。
「む」
「人の鞄に忍ばせるのもやめろと、何度言えばわかる」
聞き分けの悪い子どもを見るような目をしながら静に向き直り、彼女の額を指で弾いた。
右手で額を押さえながら静が不満げに口角を下げる。
「――へっ⁉ 早っ! 気配ないっ! よく反応できたな⁉」
わめき立てる涼太の素直な反応を右から左に聞き流し、清巳は足を引いた。
不意に、左手を掴まれた。引っ張られるがままに身体を傾ければ、襟ぐりを引っ張られた。そこからゴロゴロとした物が肌を伝って落ちて、服の中に貯まる。
楽しそうに口角を釣り上げた静がぱっと身を翻し、交差路を右に曲がって消えた。
清巳は深くため息を吐き出した。背中側の服の裾をズボンから取り出して広げた。からんからん、と魔宝石が地面にいくつも散らばる。
素早く周囲を見渡すと、清巳は予備動作なく上に跳んだ。
天井近くの岩にしがみついて気配を殺していた静が逃げるように反対側の壁に飛び移る。
清巳も片足で壁を蹴って後を追う。
下に。右に。上に。左に。二人は縦横無尽に跳び回る。
「え、えっ、えぇぇぇぇぇぇぇ?」
情けのない声を上げながら涼太は茫然と頭上の攻防を眺める。ときおりぱらぱらと落ちてくる小石に徐々に顔が引きつっていく。
「なんで壁に立ってるんだよ、それ以上になんでダンジョンの壁が抉れてるんだよっ! いつの間にか修復してるのがダンジョンなんだけどっ! なんだけどっ、現代兵器で傷一つつけられない、究極魔法でも傷つかない、今の人類では破壊不可能って言われる強度を誇るダンジョンの壁がなんで素手で破壊されてるんだよ⁉ 俺もやったけど骨折れたかと思うくらい痛かっただけで罅すらいれられなかったんだけど⁉」
涼太の、囁くような、けれども渾身の叫びは二人には届かない。
無論、痛いだけで済んだ涼太も一般人からすれば十分化け物である。
知り合いの嘆きなどお構いなしに鬼ごっこを繰り広げていた清巳は、彼女の視線を追って自らの軌道を無理矢理逸らした。
足場とした場所から放射状に地面まで罅が延びる。
「みっ⁉」
空中で目を剥いた静の腰に腕を回して捕まえ、左右の壁を往復して勢いを殺しながら地面に降り立った。
なされるがままにくの字に垂れ下がる静を地面に下ろして、清巳は両手の拳を彼女の側頭部に当てた。
「みぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」
容赦なく拳をぐりぐりと押し当てられた静が悲鳴を上げた。
即座に解放された静は側頭部に両手を当ててしゃがみ込み、涙目で清巳を睨み上げる。
「お片付け、しような」
清巳はにこりと笑って見せた。
「あげたの」
「悪戯だろ」
「あげたの」
「貰った覚えはないな」
口のへの字に曲げて静は魔宝石を拾い上げた。すかさずポーチに忍ばせようとした手をはたき落とす。
「けち」
じっとりと見つめ、――やがてその目を伏せた。
それが攻防の終了の合図だ。肩を落とす彼女の横を通り抜けて、清巳は隧道を進む。
「それだけ⁉ 色々突っ込みたいことばっかりだけど、一番はお前、前にストーカー被害をうけたときの教訓はどうした!」
慌てた様子で横に並ぶ涼太を睨みつけながら、清巳は普段よりも低い声で言い放った。
「動線の邪魔、足手まとい、あるいは探索者のわりに危機管理が不足が目に余る、オリハルコンの剣が目当てで近づいてくる奴らと比較しても、素材を貢いでこようとするだけなんて可愛いものだろ。同列に語るな」
怯んだような顔をした涼太は、けれどもすぐに眦をつり上げて反論する。
「そこじゃねえよ! ストーカーはストーカーだし、譲渡も規則違反なの」
[俺も兄に貢ぎたいです]
[それ。投げ玉したい]
[収益化……する未来が見えない……]
[そして視聴者はやっぱり誰も突っ込まない件]
「規則的には魔宝石などの加工物は含まれない。あくまであれの目的は、ダンジョン内で高ランクが低ランクに素材を提供して不正にランクを上げられないするための防止策だ」
「そうだけどよぉ……」
ちらりと後方を顧みた涼太が肩を震わせた。
「やっぱあれ怖いって。弟くんや妹ちゃんに害があってからじゃ遅いんだぞ」
「警戒するだけ無駄だな」
彼女がその気ならば対処したところでどうにもできない。敵わない。
意見としては理解しているが、実力でどうこうする気が彼女にない以上、警戒し続けるのはアホらしいという結論は微塵も揺らがない。
それにしても、珍しいこともあるものだ。いつもなら諦めたら消えるのに。
「お前本当に清だよな? 偽物だったりしないよな? いつもの勘はどうした?」
「さあな」
「いつにも増して清が素っ気ない!」
「うるさいからな」
淡々と返しながら、造作もなくはぐれ魔狼の首を斬り捨てた。
「誕生日なあ。メインは決まってるから副菜はなににしようかな。ケーキは妹のお気に入りのお店でお願いしてあるから、喜ぶ顔が楽しみだなあ。誕生日の醍醐味だよな」
「唐突に惚気始めるのやめろ。ねえ今、俺と話して」
「服も装飾品も日用生活雑貨だから誕生日でなくたって買ってあげるのに、普段、ふたりともあまり言わないんだよな。成長期だから服もなにも小さくなるのはわかってるのに、ちょっとくらい、って我慢しちゃう二人が可愛いよな。存在が至高だよな」
「……、……清! 自前の武器が壊れたってマジ⁉」
「何を着ても何を身に着けても可愛い二人が更に可愛くなるだけなんだけど、やっぱり好みはあるからなあ。何を着ても何を身に着けても可愛いけど、やっぱり二人が好きな服を着てるのが一番可愛いよな。梅雨も明けたし、新しい服を買うか。一シーズンに一セットのみなんて縛りがなければ大量に買うのに」
「いやそれ大量に買いすぎたから雷落ちたのでは」
「装飾品に至っては希望制だからなあ。いやでも、髪の毛結んで、ってねだってくる妹が可愛いからな。装飾品なんてなくたって可愛さ天元突破してるから着飾ろうものなら宇宙の果てまで可愛さが知れ渡るどうしよう」
「……、…………清が無視するって弟くんに言いつけるぞ」
清巳は地面を蹴った。同時に魔狼の遠吠えが隧道に反響する。
剣を構えた涼太の右手にある一振りの剣を抜き取った清巳は魔狼の群れに正面から突っ込んだ。
「ん? あ、人の武器をとるなっ!」
抗議の声を黙殺し、左手にもつ魔鋼の剣を横に薙ぎ払った。一瞬遅れて、血しぶきを上げながら先頭にいた赤目の魔狼と他に数匹が斃れる。
予備の武器よりは質が良く、魔法付与もされているためか手応えはましだ。だが、中層に降りればやはりすぐにガタがきそうなほど脆い。
先頭にいた、群れを率いるボスが何をするまでもなく斃れたのもあり、敵の統率が崩れた。退散していくそれを見送り、血糊を払う。
「使い心地はどーですか、盗っ人さま」
半目で睨みつけてくる涼太に武器を投げ返した。
「悪くはないけど、オリハルコンに比べたら弱い。出直せ」
「そらそーだ。あんないいもんそうそう手に入るもんじゃねえよ。調査に加われ」
「却下だ。あの人の差し金か」
「そゆこと。お前がいるだけで結構戦力が違うんだけど……あ、じゃああの子は?」
涼太が後ろを指し示した。
「無理だな」
清巳は再び即答した。
「かなりの実力者だろ、あの子」
「そんなに推薦したいなら、あいつの実力を正式に認めさせてみろ。できればな」
話の途中で気配が消えた。
それに気づかず清巳の挑発にのった涼太が口角を釣り上げる。
「言ったな? 絶対、認めさせてやる」
言いながら涼太は後ろを振り向いた。
「え、いない⁉」
驚きの声を上げて、涼太は来た道を引き返していく。
遠のく気配に安堵の息をつく。
傍に人がいるというのはどうにも落ち着かない。
後ろに気配が現れた。申し訳なさげに微笑を浮かべ、首の後ろを擦る。
恨みがましい視線がちょっと痛い。
「頑張れ。あいつ、しつこいから。本当にしつこいから」
視線が更に痛くなった。
だが、それ以上の抗議はなく、清巳は意識を切り替えた。
「妹の今年のリクエストはパスタでな。二種類のパスタで悩んでいるみたいだったんだけど、それがまた可愛くてな」
あたかも今まで惚気続けていたかのように、再び弟妹の惚気を垂れ流し始めた清巳はのんびりとダンジョンを練り歩く。
以後、平和に惚気を語り終えた清巳は空を見上げた。まだ梅雨明けはしていないが、曇り空の合間に見える空は茜色に染まっている。
「どうするかなぁ……」
ダンジョンを出た後も距離を置いてついてくる気配に呟かずにはいられなかった。