「なに」
不機嫌そうに目をすがめた静が、いつもより一段と低い声で言葉を発する。
だが、敦は目を見開いて呆然としており、立ち尽くしている。清巳の頬から手を離して向き直った静は、歩きながら大きさの合わない指を引き抜き、空間収納から取り出した鞘に納められた刀を取り出す。
そして敦の手から安物の剣を取り上げ投げ捨て、代わりにその二つを手のひらに置いた。
「はい、返す」
「――っ、駄目だっ!」
「覚えてないなら約束は無効。返す」
押し付け返そうとした敦は動きを止めた。
約束。その言葉にはっと何かを思い出した顔をして敦は指輪と刀を見下ろした。緋色の刀を納める鞘は美しい螺鈿で桔梗の花と桜が描かれている。そして桔梗の花と同じ色合いの宝石を使用した指輪。
つぅっと、敦の頬を透明な雫が伝った。
「約束を……今度こそ、間に合うように……、……
言葉が出てこないのか、悔しげに敦が唇を噛む…はらはらといく筋もの涙が頬を滑り落ちては地面にはじけて消える。
それを見ていた静がぼそり呟いた。
「こっちも泣き虫、あっちも泣き虫……」
「どうして、君のことだけがなにも思い出せない……?」
絶望した顔で敦が静を凝視した。
「会わなければと思ったのに、それは確かなのに、なぜ君のことだけが……」
「奇跡に代償はつきものだよ。だからといって約束は有効にはならないけど」
「奇跡……? 代償……?」
胡乱な顔をした敦の顔から、すっと表情が落ちた。瞳が赤く染まり、空気が瞬時に張り詰める。
「『幼子よ。代償を求む』」
目をぱちくりと瞬いた静は小首を傾げた。
「
「『『生きて幼子に会う』願いは果たした』」
静はさらに体を傾けて問いを重ねた。
「それでどうして私に代償を求めるの」
「『身共は軍師より使命を賜った。幼子よ、『人としての幸せ』の答えを求む』」
「む……。……、………………ない、じゃ駄目?」
「『見つけることが誓約。そのためにこの人間が必要と判断。しかし、記憶を戻すにも代償は必要。ならば幼子が払うべきもの』」
静は体を起こして、激しく首を横に振った。
「私は別に求めてないし、幸せとかどうでもいいんだけど……」
「『誓約は幼子がいまだに幼子たる所以。緋色の誓約を覆すこと、まかりならぬ』」
「えぇ……」
どう足掻いても拒否することは許されないらしい。静はげんなりした声で嘆き、肩を落とした。
「わかった……。代償ねえ……現時点において効能だけは保証する魔法薬一本」
「『五本』」
「まだ実験途中なの。磨くほうが好きだから進んでないし、そんなには無理。二本」
「『三本で手を打とう』」
「聞いてよ。もう……副作用しんどくても知らないんだから」
黒い小瓶を三本、静は武士に差し出した。彼が手をかざしただけで小瓶は跡形もなく消える。
武士は大仰に頷いた。
「『確かに。幼子よ、汝が人間という存在にどのような答えを出すか、みな、楽しみにしている』」
「可愛がってくれるのは嬉しいけど、今まで人間に見向きもしなかったって聞いてたよ。みんな私のところに来るしさ、なんでまたそんなことに」
「『我らの同胞となれるものが人間という種族に存在する。見定める価値はあろう』」
「理屈としてわからなくはないけど……わかった」
静は小さく首を縦に振った。
敦の体が揺れる。それを受け止めつつ勢いをころしながら屈んだ静は、その場に敦を転がした。
空間収納から取り出した掛け毛布を雑にかけて清巳の元に戻る。
「……おかえり?」
口を挟むことなくやり取りを眺めていた清巳は、かける言葉に迷いながら静を出迎えた。静が膨れっ面で清巳の隣に腰を下ろす。その髪の色と瞳の色は普段の色に戻っていて、清巳は見慣れた色に安堵を覚えた。
「幸せなんてわからなくても困ったことはないのに」
返す言葉を見つけられなくて、清巳は視線を静から横たわる敦へと向けた。
胸が僅かに上下しており、聞こえる呼吸からもただ眠っているだけなのがわかる。やや顔色は悪いが、隻腕隻脚で明らかに安物の剣で深層まで来たのならば無理もない話だ。
「……みさ、……敦さんは、大丈夫なのか」
「知らないもん。大丈夫でしょ、武士がついてるから。……なんで人間は幸せを望むんだろうね。人でいることのなにがいいのさ」
「……静は、人間が嫌い、なのか」
「難儀なことばかりで理解できない。時の流れるままに、存在のあるがままに、心の赴くままに在る。それだけでいいと思うけど。わざわざ幸せなんて価値をつけなくたって、私が私であることに変わりはないのに、人間って小難しいことばっかりで」
膝を抱えて静が膝に顎を乗っける。
「ほんと、意味わからない」
「……望む姿でいることが難しいから、そうあろうとしたくて、そうあれることを幸せと言うんじゃないのか」
「ほら小難しい。……大きいのも、私に『幸せ』を見つけなさいって思う?」
清巳は目だけで横にいる静を見やった。その横顔は、わかってくれないことへの不満と寂しさが募ったもの。
なんとなく、見てはいけないもののような気がして胸元を見下ろし、ネックレスの先を右手で触れた。左の手のひらでは顔を羽根に埋めるようにして小鳥が眠っている。
ずっと考えていた。和名で橄欖石と呼ばれる宝石の名を。両親が身につけていたこの石の名称は、ペリドット。『太陽の宝石』とも言われ、希望や幸福を導くと言われている石だ。
小鳥をそっと足の上にのせ、疲れでおぼつかない腕をなんとか駆使して首飾りを外した。そしれそれを、すっかり意気消沈している静の首に下げる。
「なに? これ返したの」
「静が、『幸せ』を見つけられますように、と言う願掛け……?」
必ず幸福になる、と言う確約はできないけれども、太陽と呼ばれる強い輝きを関する言葉が使われるくらいだ。きっと、幸せを探す道を照らしてくれるだろう。
じっとネックレスを見つめた静は、やがてゆっくりと口もとを緩めた。
「やっぱり美鶴さんの子だねえ」
どこかはしゃいだ声で静が笑う。
「なら、私も願掛けする」
拒絶するより早く、頬に指が添えられ、耳たぶに湿った吐息が当たる。
正確にはピアスに口づけを落とした静はすっと体を離して胸を張った。
「大きいのがまた『幸せ』を望めますように、『幸せ』を怖がらなくなりますように、って祈った」
つんと鼻の奥が痛んだ。止めるまもなく涙が滲んで視界を揺らす。その情動を咎めるように耳の奥に響いた罪の音に、一瞬にして涙が引っ込む。
どんなに逃げても罪がついてまわる。幸せに怯えなくなる日はきっと来ない。きて欲しくない。
「……望めない。……たくさん、置いてきた……たくさん見捨ててきた……。祐介だけじゃない。近所のおじさんも、おばさんも、他の友人も、たくさん……、全部、置いて、見捨てて来て……。……今回だって、俺は……なにも……っ」
「死んだ人間が化けて出てきてそんなことを叫ぶのなら、その口を封じて深淵に投げる。それを理由に『幸せ』になるな、と大きいのを呪う人間は私が呪い返す。後悔が自分を呪う理由なら、これからは大きいのが守りたいものは私も守る。手の届かないところには、私が代わりに行く」
熱烈な告白に、清巳は泣きそうな顔で静を見上げた。その闇色の瞳は至って真剣で、ともすれば決意が崩れそうになるほどに鋭い。
「そして、大きいのが地獄の底に落ちたいと望むのなら、私もついていく」
「っ……」
清巳は二の句を継げなかった。そんな言葉を言われるなんて思いもしなくて、拒絶しようにもそんなのは関係ないと言わんばかりについてきそうで、何よりまっすぐに突きつけられた言葉がどうしようもなく嬉しくて。
唐突に理解した。
抱えきれなくて、苦しくて、背負ったもので押しつぶされそうな自分に、それでもいいと言ってくれる人が欲しかった。清巳のせいではないという慰めでも、仕方がなかったという諦めでもなく、ただ、背負ったものを一緒に背負ってくれるような誰かが欲しかったのだ。そこまで言うなら仕方がないと言えるような、そんな免罪符が欲しかった。そばにいても許されるような、守らなくても許される、そんな免罪符が。
「『幸せ』がどうとかは置いておいても、大きいのについていくのは確定事項だから、なに言われてもついて行くから」
何度目かもわからない涙が溢れた。
自分では守れない。守るよりも、きっと弟や妹を優先するだろう。これだけ後悔してるのに、いざというとき守れないとわかっているから、誰も近づけたくなかった。どうせ、自分が置いていってしまう。
だから、関わりを避けていた。自分より明らかに実力が下でなものを置いていけば、どうなるかは想像に容易い。
――お前の隣に立つことを今度こそ認めさせてやるからな!
涼太が最後にそう叫んだのは、それに気づいていたからだろう。
清巳は隠しきれない安堵した顔で呟いた。
「そうか。……静との鬼ごっこは、負ける気しかしないな。……本当に、逃げられないんだろうな」
「決めたから逃すつもりはないよ。大きいののそばにいる」
「……それなら、仕方がないなあ……本当に、仕方がない……っ」
嗚咽を噛み殺して清巳は肩を振るわせた。
ひとしきり泣いて落ち着いた清巳は、緊張が解けたあって強まった眠気に目元を覆った。自分の手のひらの温もりが心地よい。
「大きいの、やっと落ち着いたよ」
嬉しそうに飾りに静が報告する。情けのないところを見せてしまったことが恥ずかしくて視線を逸らし――ふと、今まで欠片も思い出さなかったものが脳裏に浮かんだ。
忘れる前にとポーチから取り出した白い箱を静に差し出す。
「あげる」
「なにこれ」
不思議そうな顔で受け取った静が蓋を開け、瞳を輝かせた。
「みょ――……みょ? この石、私があげたやつ」
蓋を閉めて差し出し返された箱を、首を横に振って拒絶する。
「返品は不可だ」
静は加工されていない、魔鉱石のままの石を取り出して片手を差し出した。
「ん」
「妹の、お願いだから」
へにょん、と彼女の口角が下がった。
白い箱と清巳を見比べて、静は周囲に視線を彷徨わせる。
「でも、こういうのよくわかんないし……」
「……髪、触っていいならやろうか?」
ぱっちん、とひとつ瞬きをした静は腰を浮かせると清巳の前に移動した。背中を向けて座る静に小さく口元を綻ばせる。
「櫛はあるか?」
「存在は知ってる」
その返答は予想外だった。最低限の身だしなみを整えるくらいで、それ以上着飾ることに興味はないことはわかるが、そこまでとは思わなかった。
「じゃあ、余ってるやつもあげる」
お出かけの際にも使っているポーチには、色々と入れたままになっている。定期的に見直してはいたが、弟や妹に関わるセットはまるっと残していた。
取り出した櫛で丁寧に彼女の髪を丁寧にくしけずる。左右と後ろを見て、後ろの髪をヘアクリップでざっくりと留めた。やや髪の長い左側の髪を一房手に取り。耳の上辺りから後ろにかけて髪の毛を編み込む。毛先をゴムでまとめ、さらに耳の後ろで固定する。
箱の蓋を彼女の手のひらにおき、妹と同じく一本の軸で作られた簪を手に取った。
編み込みに簪の先端を入れ、地肌に沿わせるように奥へと差し込む。
透明度の高い赤紫色の星形の花が、彼女の側頭部に咲いた。大中小三つの花の後ろ、根元から伸びる銀色のチェーンに、小指の爪ほどの淡い緋色の丸石がつぼみのように揺れた。
「できたぞ」
静が頭を振った。簪から垂れ下がる宝石が音を奏でる。
頭を振る。かつ、かつん、と小さく魔宝石がぶつかり合う。
「ぬふー」
彼女はにまりと口角を釣り上げた。
ふるふると頭を揺らして魔宝石を当てて遊ぶ。
「あんまりやると落ちるぞ」
ぴたりと動きが止まった。そうかと思った瞬間、先程より小さく身体を揺らす。
楽しそうに、喜ばしそうにしている静に目元を和め、清巳はあくびを噛み殺した。疲れているところを無理して起きていたが、それももう限界に近い。
「大きいのも寝ていいよ。まだ連れて行けないのは残念だけど、そばにいるから」
腕を引っ張られて抗う気力もなくそのまま体を横たわらせる。
「おやすみ。二人の安息はちゃんと守るから」
静の声が頭に響いた。不思議とそれが心地よくて、耳の奥に反響していた罪の音が硬質な音にかき消され、意識が解けていく。
自分の幸せを簡単に望むことはできないけれど、家族ではない他人の幸せを祈ることくらいは許してほしい。眠りの淵でもう一度祈りを捧げる。
――静が、幸せを得られますように。
彼女の胸元で、清巳の耳元で、新緑が刹那に煌めいた。
[なんとかちょっとは浮上したっぽい?]
[よかった、本当によかった……!]
[安心はできない。メンタルの問題は長引くから]
[ところで、全部垂れ流しなのいつ気がつくんだろうな]
[弟妹さん的には複雑だろうけど、無事だったのは喜ばしい]
[映像がないのが残念です。アオハルが見られない]
[お前は少し自重しろ]
[配信事故というよりもう
[言うな。寝れなくなる]
[御坂氏の声が急に雑音と化したのはマジで鳥肌がたった]
[奇妙な甲高い不快音と会話する座敷童子ちゃん]
[時々、声が聞き取れなく不可解現象]
[通常の端末の稼働時間を超えてるのに充電切れにならないこととか]
[ありえなくらい寝てたのにピンピンしてるのとか]
[そして時々聞こえる、からーんからーん、しゃっしゃっ、という奇妙な音]
[やめろっっっ! マジで! 寝れないから!!]
[そして夜は更けていく――]
[いま昼だぞおまいら]