スマホを耳に当てる。少し、緊張した。
コール音が三回鳴ったところで、通話が始まった。
『蒼か? どうした、急に』
その声を聞いたのも随分久しぶりに感じる。
「あ、えっと、突然ごめん。いま仕事中?」
父は長距離トラックの運転手をしており、勤務時間も不規則だ。積み荷の出し入れをしている時だったら、邪魔してはいけないからすぐに切ろうと思った。
『そうだけど、ハンズフリーで話してるから大丈夫だぞ。ちょうど高速走ってて暇だったんだ。それにしてもお前から電話してくるなんて珍しいな。何かあったのか?』
話したいことは決めていたけれど、その前に念のため訊いておこう。
「父さんって、水無月白亜っていう名前の女の子って知ってるかな? 僕の幼馴染らしいんだけど……」
『うーん、ミナヅキ、ハクア……? いや、聞き覚えないなぁ。そもそもうちの近所に同じ年の子もいなかったと思うけど』
「そっか、ありがとう」
『その子がどうしたんだ?』
「いや、いいんだ。ところで父さん……その、僕の母さんって、どんな人だった?」
父は少し沈黙した。突然の質問に躊躇っているのか、返答を考えているのか、表情の見えない電話では分かりにくい。やがて静かな声で父は言う。
『……そりゃあ、優しくて、綺麗で、心の強い人だったよ。俺の自慢の妻だ』
「病気で死んだんだよね?」
『ああ、そうだな……。小さなお前を置いていくことを、とても哀しんでいた』
「母さんは、僕を、大切に想ってた?」
『当たり前だろう! 母さんにとってお前は、世界の全部よりも大切な存在なんだ』
僕ははっと息を呑んだ。忘れてしまった僕が書いた手紙にも、似たようなことが書かれていた。
人は時に、自分の命よりも、世界の全てよりも大切なものを、心の中に持ってしまうんだ。
「時間があればでいいんだけど、もっと教えてよ、母さんのこと。どこで出会ったのかとか、どうやって結婚に至ったのか、とか」
『ああ、もちろんだ。……あー、でも、いいのか?』
「え、なにが?」
『親のノロケ話を聞かされるって、子供からしたらキツくないか?』
僕は笑った。確かにそういうものなのかもしれない。でも。
「いいんだ。今は、すごく知りたい気分だから」
『そっか。じゃあとことん付き合ってもらうぞ』
それから父は、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
父と母は、小学生時代の同級生だったらしい。入学から卒業まで六年間同じクラスだったそうだ。お互いにクラスメイトとして存在は知っているものの、言葉を交わしたことはなかった。
六年生になって、席替えで隣に座ることになった。ある日の授業中、静まり返った教室で、誰かのお腹の音が鳴り響いた。悲しげな子犬の声のようだったという。ざわめき出すクラスの中で、隣の席の女の子が耳を真っ赤にしてうつむいている。そこで父は、大声で言った。
『先生! 腹減ったんで、給食室行ってきていいですか!』
教室は爆笑に包まれた。教師も「具合悪いんで保健室行っていいですかはよく聞くけど、給食室行っていいですかは初めてだぞ」と言って笑う。友人たちからも愛のあるからかいが飛び交い、和やかな空気で授業は終了した。その数日後、母からのお礼の手作りクッキーが、こっそり机に入れられていた。
そこから少しずつ手紙のやり取りをするようになり、別々の中学校に行っても頻繁に互いの近況を伝え合っていた。母と同じ高校に行くために父は猛勉強し、無事合格。高校入学後に再び同じクラスになり、そこで父から告白し、付き合うことになった。
「……いい話だけど、なんかやっぱり、親の馴れ初めを聞くって照れ臭いようなくすぐったいような変な気分だね」
『だろお? だから最初に言ったんだよ。お、そろそろ電話切らないとだ。続きはまた今度な』
「あ、最後に一つ訊いていいかな」
『おう、なんだ?』
「母さんのお墓の場所を教えてほしいんだ。しばらく行ってなかったから、行き方が分からなくて」
『じゃあこの後メールで送っておくよ。久しぶりに顔見せに行けば、母さんも喜ぶと思うぞ』
実はさっき会ったんだよ、とは言わないでおいた。
「うん、ありがとう」
『こっちこそありがとうな。電話くれて嬉しかったぜ』
通話を切った後も、温かなものが胸の中に残っているのが分かる。親子の繋がりのようなものを、本当に久しぶりに感じた気がする。
「さて、行くか……」
僕は立ち上がり、外出の支度をした。家を出て、近所のバス停に向かう。小さな頃に父に連れられて何度か行ったことはあるけれど、父が家を空けるようになってからは、まったく行かなくなってしまった。親不孝な子供でごめん、と心の中で謝る。
バス停でしばらく待ち、やがて到着したバスに乗り込んだ。車内は部活帰りと思われる学生がちらほら乗っている。空いている座席を見つけて座り、バッグから先ほどの手紙を取り出した。僕が僕に宛てたその不思議な手紙に、再度目を通していく。
突拍子もない内容で、いまいち信じきれないことには変わりないけれど、手紙を読みながら僕はあることを考えていた。それは以前本で目にしたことのある、「ユニバース25」という実験のことだ。
1970年頃にアメリカの動物学者ジョン・B・カルフーンが行った実験で、理想郷を与えられたネズミがどのような社会を形成するのかを観察することを目的としていた。その内容から「楽園実験」とも呼ばれるらしい。
天敵のいない安全で清潔な世界と、タワーマンションのような繁殖に必要な十分すぎるほどのスペース、無限の食糧と水。研究者は、そんな環境の中に、八匹のネズミを解き放った。ネズミたちは突如与えられた快適な世界を探索し、縄張りを作って、巣作りを始める。実験開始から約一年ほどは、ネズミたちは順調に繁殖を続け、約六百匹にまで増えた。しかしその後、楽園はゆっくりと終焉へ向かっていく。
十分なスペースがあるのに、一つの巣箱に過密に詰まって暮らし、ネズミたちの社会にカーストのような序列ができた。そこからあぶれたネズミは無気力になり縄張り争いにも繁殖にも参加しなくなる。一部のオスやメスは狂暴になり、子への虐待や子殺しなども起きていく。
ネズミとしての習性や社会性も崩壊していき、乳児死亡率は90%まで上昇。やがて出産も完全になくなった。そして実験開始から約三年後、かつて楽園を手にしたネズミは、全滅という最悪の結末を迎える――。
これはあくまでもネズミを使った実験であり、そのまま人間に当てはめることはできないと言われてはいるが、僕はその楽園の結末を、人類の未来の示唆のように考えずにはいられない。
僕たちが住んでいる地球は、時に「奇跡の星」と呼ばれる。恒星からの距離、惑星の成分、潤沢な水の存在など、無数の軌跡の組み合わせによって生命が存在できる条件が重なった。灼熱、極寒、水や大気のない他の過酷な星からしたら、地球はそれこそ「楽園」と呼んでもいいような環境かもしれない。でもそんな楽園の中で僕たち人間は、分断し、序列を作り、欺き、奪い、争い、殺し合っている。この手紙の内容が本当なのだとしたら、現実の世界では人類はとっくに滅亡しているそうじゃないか。
生命というものはあまねく滅亡の運命を、あるいは種としてのタイムリミットのようなものを、生まれた瞬間から背負わされているのかもしれない。
でもそんな中で、MOTHERは今もこうして世界を繰り返している。滅びの定めに抗い、無限の可能性の中から、本当にあるのかも分からない、たった一つの正解を見つけ出すために。
それは、まるで――
バスが目的地に到着したアナウンスで、思考は中断された。慌ててシートから立ち上がり、運賃箱に料金を入れ、バスを降りる。
外はもう夏の夕暮れの空気が、どこか切なげに漂っていた。