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辞退

「みなさん、やめてください」


 不意に美都の悲痛な声が響いた。その声に弾かれたように、全員の表情がはっと驚きに変わる。


「……長良さん」


 善樹は呼び慣れた彼女の名前を呟いた。彼女の瞳は湿っていて、泣いているのだと分かった。


「私は、誰のことも犯罪者だなんて思いたくありませんっ。この課題を遂行することを——私は辞退します」


 衝撃的な宣言に、善樹の身体は凍りついたように動かなくなった。横目で今田の方を見やる。彼は、何も口を挟まない。辞退したいなら勝手にどうぞ、とでも言いたいのか。


「ちょっと待って、まだ時間はあるし——」 


 そう言いかけたところで、テーブルの上のタイマーが鳴り響いた。

 午後四時を知らせるベルだった。


「はい、それでは午後の議論はここまでとします。お疲れ様でした」


 何事もなかったかのようにタイマーを止めた今田が、淡々と終了を告げる。

 先ほど辞退宣言をした美都はぎゅっと口を噤んで、先生に説教をされるのを待っている生徒のように見えた。


「長良さん」


 今田が美都の名前を呼んだ。美都の肩がぴくりと跳ねる。


「辞退するのはきみの自由ですが、少なくとも私は、きみに期待をしています。もう一度よく考えてください」


「……」


 それだけ言い残すと、彼は「それでは次は会社説明なので、大広間に移動してください」と事務的な連絡だけしてその場から去っていった。


「すごいな」


 善樹はポロッと呟く。

 自分たちの議論には干渉しないと思っていた社員が、美都に「期待している」と言った。午前の議論の時もそうだ。美都の発言を褒めていた。今田には美都が、この中で一番優秀な人材だと感じられるのだろうか。不用意な発言をしない彼女の思慮深さが刺さっているのかもしれない。

 他のメンバーの顔を見渡す。宗太郎が悔しそうに顔を歪めているのが目に飛び込んできた。開と友里は憔悴しきった様子でぼうっとしている。


「なあ善樹、早く行こうぜ」


 まったく議論に参加せずに傍観者を貫いていた風磨が元気な声で善樹に囁く。善樹は「はあ」とため息をついて、部屋を出た。こいつが一番の大物かもしれない。不毛な議論の後に思ったことは、善樹もあんな議論、もう二度としたくないということだった。


 大広間に移動すると、他のグループのメンバーも疲れ切った様子で定位置に座っていた。最初に説明を受けた時と同じ並びだ。善樹たちDグループのメンバーも、縦一列に並ぶ。

 四時十五分ごろになると全員が着席し、その場は静かになった。前方に、岩崎が現れる。昨日と同じようにプロジェクターが設置されていて、会場の明かりが落とされた。


「それでは今から、弊社RESTARTの会社説明を行います。適宜、見やすい位置に移動していただいて構いません。質問事項は最後にまとめて受け付けます。よろしくお願いします」


 岩崎は毅然とした態度で、プロジェクターに映し出された概要を読み上げる。一枚目のスライドにはHPに載っているような会社概要が記載されていた。


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