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4 三国時代 蜀・呉

劉備   田舎の大将

曹操そうそう裴潛はいせんに質問した。


「あんた、荊州で劉備りゅうびと一緒だったよな。

 なあなあ、アイツの才能ってどうよ?」


裴潛が回答する。


「そうですね、首都辺りにいたら、

 やたら状況を引っ掻き回すでしょうが、

 統治なんてできたもんじゃないでしょう。

 ただ片田舎で、地の利を活かして

 引きこもってきたらヤバいですよ」




曹公問裴潛曰:「卿昔與劉備共在荊州,卿以備才如何?」潛曰:「使居中國,能亂人,不能為治。若乘邊守險,足為一方之主。」


曹公は裴潛に問うて曰く:「卿は昔に劉備と共に荊州に在り。卿は備の才を以て如何?」と。潛は曰く:「中國に居せば人を亂す能うも、治を為す能わず。若し邊に乘じて險を守らば、一方の主と為すに足らん」と。


(識鑒2)




裴潛

割と人格的にはアレだが、えらい勢いで内政的功績をあげまくっている。こういった予言者じみた存在は、時代の解説役として重宝がられる。誰にって? 物語書く、俺らみたいな奴らだよ!


劉備

ここにしかいない。正直曹操のオマケみたいな感じだけど、劉備を目立たせたいんですよ少しでも。いわゆる「しょく」の地に拠点を構えた。そこは四方を山に囲まれた、まさに天然の要塞。彼は裴潛の見立て通り、見事に「厄介な片田舎のボス」になりおおせた、というわけだ。




ところで裴潛の息子、裴秀はいしゅうが、

一箇所だけいるので一緒に紹介しておく。



人々は言う。

「後の世のトップランナーと言や、

 裴秀だな!」

と。


なお




 諺曰:「後來領袖有裴秀。」


 諺に曰く:「後來の領袖に裴秀有り」と。


(賞譽7)




裴秀


西晋せいしん賈南風かなんふうの下でずっと胃をキリキリ痛めてた裴頠はいぎの父。司空しくう、つまり人臣の極みたる三公にまで上り、晋のルールや、当時ではナンバーワン精度の地図を作った……のだが、五石散ごせきさんを服用した後間違えて冷酒を飲んでしまい死亡。そして世説新語にもここにしかいない。

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