諸葛亮3 応変の将略
東晋の時代、後半。
郗愔というひとが、
対五胡国家の防衛拠点、
「北府」の総司令官に任命された。
それを聞いて
郗愔の家にやってきた王徽之。
門の前でしきりに喚く。
「應變將略非其所長!
應變將略非其所長!
おい郗愔、そんなお前が
本当にそんな大任
果たせると思ってんのか!
プースクスクスwwwwwww」
うざい。
それを郗愔の息子、郗超と郗融が聞く。
弟の郗融がブチギレた。
「任についたばかりの父上に対し、
無礼にもほどがありませんか!
到底許せません!」
だが兄の郗超は涼しい顔。
「お前なぁ、三国志忘れたのか?
あれ、諸葛亮のこと評価した
陳寿の言葉だぞ。
わざわざお前の家のこと、
諸葛亮レベルの勲門だ、
って宣伝してくれてんだから、
敢えて何か言う必要あるか?」
郗司空拜北府,王黃門詣郗門拜,云:「應變將略,非其所長。」驟詠之不已。郗倉謂嘉賓曰:「公今日拜,子猷言語殊不遜,深不可容!」嘉賓曰:「此是陳壽作諸葛評。人以汝家比武侯,復何所言?」
郗司空の北府を拜せるに、王黃門は郗が門に詣で、拜して云えらく:「變に應ずる將略、其の長ずる所にあらず」と。驟しば之を詠じて已まず。郗倉は嘉賓に謂いて曰く:「公の今日に拜せるに、子猷が言える語の殊に不遜なるは、深く容るべからず!」と。嘉賓は曰く:「此れや是れ陳壽が作せる諸葛の評なり。人の汝が家を以て武侯と比せるに、復た何をか言う所ならんか?」と。
(排調44)
郗愔
北府軍を立ち上げた名将郗鑒の息子。祖父と息子が輝き過ぎてて、割と存在感薄め。王徽之にからかわれるのもやむない。
王徽之
書聖王羲之の五男。本人も名筆家ではあるのだが、それ以上に晋書でも世説新語でもウザ絡み担当として無双している。
應變將略非其所長
三国志、諸葛亮伝の末尾に付された陳寿による諸葛亮評。もう少し全体を見やすくすると「可謂識治之良才,管、蕭之亞匹矣。然連年動眾,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟!」となる。その統治の才能は春秋斉の桓公を覇者に押し上げた管仲、劉邦の覇業を完璧に支えきった蕭何に匹敵する、と激賞した。ただし連年兵を動員しても魏を打ち破れなかったところを見ると、臨機応変の軍略はやや苦手ではなかったのではないか、とのことである。「おまえじゃ北伐は無理だよバーカwww」が王徽之の言いたいところではあったのだが、郗超はそれを知った上でなお「あら! うちのパパを諸葛亮に比してくださるなんて!」と言い返したわけだ。
郗超
桓温の参謀としての働きを見せた。ここではパパを立てる言動をしているが、その後いちいち腰の重いパパに業を煮やし、その名を偽って実質的な前線引退しますよ宣言をさせた。これによって桓温は北西両府の軍権を掌握するに到る。桓温にとっての比類なき功労者であり、また晋書観点では「元凶」とも呼ぶべき存在ともなる。桓温の簒奪謀議の立ち上げにも絡んでおり、また桓温が大惨敗を喫した「枋頭の戦い」前夜には諫止の奏上をなし、後日桓温に「あの時超の言を容れておれば」とも言わしめた。郗愔よりも先に亡くなるが、わざと桓温との簒奪謀議が郗愔にも見つかりやすいところに置いておき、これによって父が自分の死を悲しむより「あんな罰当たり、死んで当然じゃ!」と怒るようにも仕向けたという。不思議な孝行のしかたをする息子である。
ついでに言えば、まさしく「桓温にとっての諸葛亮」だ。
郗融
「郗愔の息子だよ。まぁ郗超の名声に隠れたけどね」で史書の記述が終わってる悲しい人。ここでも兄貴の噛ませだし。