当時の呉郡は、ある意味で文化の中心。
対する会稽は、
まぁ「田舎もん」として見られるよね。
当時の感覚で言えば。
そしてこの呉郡。
地元に根付いた名族の力が強い。
なので賀邵さん、当然舐められる。
ここに対抗するため、
しばらく賀邵は太守府に引き籠った。
名族どもの出方を伺ったのだ。
そんな賀邵の動きを侮った名族の誰かが、
やがて軽挙に出た。太守府の門に
「会稽の鶏はろくすっぽ鳴けねーんだなw」
と落書きをキメたのだ。
これを見て、にやりと賀邵さん、動く。
わざわざご自身の筆でリプった。
「鳴いていいんだな? お前ら死ぬぞ?」
動き出してみれば、それはもう。
地元の名族たち、
特に
また門吏の狼藉、逃亡者の秘匿などを
検挙に次ぐ検挙。
えっらい勢いで逮捕者が出た。
この時名族陸氏の統領、
東京から見た大阪に赴任していたのだが、
これを聞き、慌てて長江を船で下った。
わざわざ建業に出頭、
一門の罪をとりなしてもらうのだった。
賀太傅作吳郡、初不出門。吳中諸強族輕之、乃題府門云:「會稽雞、不啼。」賀聞故出行、至門反顧、索筆足之曰:「不可啼、殺吳兒!」於是至諸屯邸、檢校諸顧、陸役使官兵及藏逋亡、悉以事言上、罪者甚眾。陸抗時為江陵都督、故下請孫皓、然後得釋。
賀太傅の吳郡に作さるに、初め門より出でず。吳中の諸強族は之を輕んじ、乃ち府門に題して云えらく:「會稽の雞、啼かず」と。賀は聞けるが故に行きて出で、門に至りては反りて顧み、筆を索めて之に足して曰く:「啼くべからず、吳兒を殺さん!」と。是に於いて諸屯邸に至り、諸顧、陸の官兵の役使及び逋亡の藏さるを檢校し、悉くの事を以て言上されば、罪なる者は甚だ眾し。陸抗は時に江陵の都督と為れるも、故に下りて孫皓に請い、然る後に釋さるを得る。
(政事4)
賀邵