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山濤1  閣東の牛

山濤さんとうと言えば、若いころから

非常に声望があったのだが、

その身を弁えた振る舞いなどから、

七十歳を超えても未だ、

朝廷での重責を担っていた。


貴族たちの若い世代、

例えば和嶠わきょう裴楷はいかい王済おうさいなどは、

ちょくちょく山濤を称揚していた。


そんな中、

職場の柱に落書きが見つかる。


「職場の東には大きな牛がいる。


 その牛の胸元に和嶠がひもを渡し、

 腹から尻に掛けてのひもは裴楷、

 そして王済が突っつきまわす。


 だから牛は、ろくろく休めない」


この落書きの犯人は、

どうも潘尼はんじらしい、とのことだ。




山公以器重朝望,年踰七十,猶知管時任。貴勝年少,若和、裴、王之徒,並共言詠。有署閣柱曰:「閣東,有大牛,和嶠鞅,裴楷鞦,王濟剔嬲不得休。」或云:潘尼作之。


山公は器を以て朝望に重んぜられ、年の七十を踰えたるに、猶お時任を知管さる。貴勝の年少、和、裴、王の徒の若きは、並べて共に言詠す。閣が柱に署するの有りて曰く:「閣が東に大牛有り、和嶠は鞅じ、裴楷は鞦し、王濟は剔嬲し、休みたるを得ず」と。或いは潘尼の之を作したりと云う。


(政事5)




山濤

武帝司馬炎しばえんの姻戚。なのでまぁ貴顕には上り詰めますよねーと言う感じである。王戎おうじゅうと共にド貴顕でありながら竹林七賢にカウントされるとか、いったいどういう事ですの……? あと祖父が山本さんぽん。やまもとて。


潘尼

自らの才能にプライドがあった。とは言えここにしかいないのでよくわからない。ただ山濤の人物審査眼はすごかったらしいので、かれでは大きな役務に耐えきれないと判断されたのかもしれない。それをかれが恨みに思った、とか。まーこの辺はどうにだって妄想を構築できる部分ですね。面白さを優先するしかないんでしょう。

ところで晋書だとこれは潘尼じゃなくてその伯父、潘岳のセリフとなっている。というのも世説新語上では「高邁な文人」として描かれている藩岳、晋書ではとことんな俗物として描かれているのである。こう言うゲスい落書きを藩岳さまがするはずがない! 甥の仕業に違いない! とか言い出している訳である。なんだそれは。アイドルはうんこしない説か。

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