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武帝3  斉王の帰趨

武帝さま、和嶠わきょうと密談する。


王済おうさいの我が弟、ゆうに対する思い入れが

 行き過ぎているように思えてならん。

 此度も攸の斉への出向を左遷とみなし、

 しきりに余に中止を訴えてきておる。


 なので、このことについて

 一度厳しく叱責したのちに

 改めて爵位を与え、余のために

 余心なく働くよう仕向けたいのだが、

 どうであろうか」


和嶠は答える。


「あれは気骨の士です。

 易々とは折れませんぞ」


ふむ、となる武帝さま。

ともあれ後日、王済を呼び出し、

厳しく叱責した。そして言う。


「良いか王済、今後公衆の面前で、

 このように辱められたくなければ、

 以後は忠勤に励むように」


だが、王済。

毅然として、言う。


「臣めにとりましては、帝と斉王が、

 まさしく『尺布斗粟』の歌の通りと

 なっておりますことを妨げられぬのが、

 これ以上なき辱めであります!


 かん文帝ぶんてい

 名君の誉れ高きお方でありましたが、

 弟の劉長りゅうちょう様に苛烈な裁きを下した。

 この点を、後世に名君の瑕として

 歌われておるでは御座いませんか!


 一尺の布、一斗の粟であっても、

 兄弟で分け合って使えぬことはない。

 だのに天下を兄弟で分け合えぬとは、

 何ともさもしき事よ、と!


 余人は人と人とを結びつけ、

 新たな縁を生み出します。

 なれど臣は、親しきお二方を

 繋ぎとめおくことも為せません。


 臣は陛下のおんために働けておれぬ。

 そのことを恥じているのです!」




武帝語和嶠曰:「我欲先痛罵王武子、然後爵之。」嶠曰:「武子雋爽、恐不可屈。」帝遂召武子、苦責之、因曰:「知愧不?」武子曰:「『尺布斗粟』之謠、常為陛下恥之!它人能令疎親、臣不能使親疎、以此愧陛下。」


武帝は和嶠に語りて曰く:「我は先に王武子を痛罵し、然る後に之に爵せるを欲す」と。嶠は曰く:「武子は雋爽なれば、恐らくは屈すべからず」と。帝は遂にして武子を召し、之を苦責せば、因りて曰く:「愧じるを知るや不や?」と。武子は曰く:「『尺布斗粟』の謠、常に陛下が為に之を恥ず! 它人は疎を親ならしむを能えど、臣は親を親ならしむ能わざる、此れを以て陛下に愧ず」と。


(方正11)




王済

晋の天下統一に多大な功績のあった武将、王渾おうこんの息子。要するに太原王氏たいげんおうし、ド名家である。この一件で武帝からは結局疎んじられるようになり、失意のうちに早世した。


斉王 司馬攸しばゆう

武帝の弟。しかし子のない司馬師しばしの養子となったため、司馬昭しばしょうの爵位継承時点では、次代の爵位継承順位が武帝よりも高くなっていた。更に言えば武帝即位後の皇位継承順位で言っても嫡男司馬衷しばちゅうより上。こんなひとが火種にならないわけがない。実際このひとを軸にすっげえドロドロの政争が起こっていて、割とそれが八王の乱にもなんとなく繋がってたりする。そりゃ武帝さまも遠ざけたがるわ。

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