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孫秀2  金谷友の滅亡

西晋時代華やかなりしころ、

贅沢の限りを尽くしたことで知られる石崇せきすう

金谷の集い、と言う詩会を開いた。

ここで文人の潘岳はんがくが、以下のように詠んだ。


投分寄石友 白首同所歸

 いま我々は石崇どののもとに、

 立場、生まれを投げ出し、集まった。

 我らのこの白き首、

 いつか、同じところに還るであろう。



さて、司馬倫しばりんの参謀にして侫臣、孫秀そんしゅう

石崇が、寵姫の綠珠りょくじゅ

くれなかったことを恨んでいた。

またはん氏に仕えていた頃、

そこの御曹司の潘岳に

よく足蹴にされていたことも恨んでいた。


そんな孫秀が司馬倫の尻馬に乗り栄達、

中書令ちゅうしょれいになんぞなるから、もう大変。


あるとき潘岳、中書省をずんずん歩く

孫秀に出食わしてしまう。

逃げ隠れは無理。

ならば、こちらから行くしかない。


「お久しぶりです、孫秀様。

 以前の交わり、

 覚えておいででしょうか?」


孫秀、慇懃な潘岳に対し、答える。


「あぁ、それはもう。

 とても・・・もう・・


潘岳、察する。

あっこれ一億%だめなやつ。



後日、石崇や歐陽建おうようけんが収監されたとき、

潘岳も同日に捕まった。


先に収監された石崇。

後のことは、よくわからずにいた。

なので刑場で潘岳と出くわしたことで、

初めて事態の顛末を悟るのだった。


石崇は、言う。


「そなたもであったか、潘岳殿」


潘岳も答える。


「叶ってしまいましたな。

 ――白首同所歸、が」




孫秀既恨石崇不與綠珠,又憾潘岳昔遇之不以禮。後秀為中書令,岳省內見之,因喚曰:「孫令,憶疇昔周旋不?」秀曰:「中心藏之,何日忘之?」岳於是始知必不免。後收石崇、歐陽堅石,同日收岳。石先送市,亦不相知。潘後至,石謂潘曰:「安仁,卿亦復爾邪?」潘曰:「可謂『白首同所歸』。」潘金谷集詩云:「投分寄石友,白首同所歸。」乃成其讖。


孫秀は既に石崇の綠珠を與えざるを恨み、又た潘岳の昔に之を遇するに以て禮さざるを憾む。後に秀の中書令為るに、岳は省內に之を見、因りて喚びて曰く:「孫令、疇昔の周旋を憶えたるや不や?」と。秀は曰く:「中心に之を藏したり、何ぞの日に之を忘れんか?」と。岳が是に於いて始めて必ずや免れざるを知る。後に石崇、歐陽堅石の收さるに、同日に岳も收さる。石は先に市に送られ、亦た相い知らず。潘の後に至るに、石は潘に謂いて曰く:「安仁、卿も亦た復た爾らんや?」と。潘は曰く:「『白首は歸したる所を同じうす』と謂いたるべし」と。潘が金谷集の詩に云えらく:「分を投じ石を友とし寄る、白き首は歸したる所を同じうす」と。乃ち其の讖は成る。


(仇隟1)




中心藏之,何日忘之? は何晏のところにも出てきた詩経しきょう隰桑しつそうよりの引用。何晏のときには「あなた様よりのお言葉をしかと胸に刻み、決して忘れることはございません」という美辞麗句であったわけだが、ここではその意味合いをきっちり踏まえた上で「ただしその思いは恨み辛みだけどな」まで加えてきている。こわい。

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