初めて
それは夏真っ盛り、
クッソ暑いときのことだった。
劉惔に会う時、王導さま、
腹を碁盤に押し当てていた。
「いやあ、この碁盤冷たくてね☆」
じゃねえよアホか。
げんなりして退出する劉惔、
「王導さまはいかがでしたか?」
と人に聞かれて、吐き捨てるように言う。
「特に、これと言って。
あの楚訛りは耳障りで仕方なかったがな」
そんな劉惔、後日、
「きみは本当に、
どこぞの丞相どのに比べ、
まったく雅やかで
ゆったりとしているな」
劉真長始見王丞相。時盛暑之月、丞相以腹熨彈棊局曰:「何乃渹?」劉既出、人問:「見王公云何?」劉曰:「未見他異。唯聞作吳語耳。」
劉真長は始めて王丞相に見ゆ。時にして盛暑の月、丞相は腹を以て彈棊の局に熨して曰く「何ぞ乃ち渹なるか」と。劉の既に出づるに、人は問うらく「王公に見ゆるに云何?」と。劉は曰く「他に異なるは見えず。唯だ吳語の作せるを聞くのみ」と。
(排調13)
劉尹撫王長史背曰:「阿奴比丞相、但有都長。」
劉尹は王長史の背を撫して曰く「阿奴は丞相に比し、但だ都べて長なる有り」と。
(品藻43)
居眠りさせたりアホみたいな格好で会見させたり、世説新語、割と王導さま嫌いだよなあ。あるいは素の王導さま、割とそのだらしなさがガチで嫌われてたとか?
とりあえず、ここまで読んできて、
まぁ一方でこのエピソードは「劉惔が呉楚の人間への迎合を善しとしなかった」ってことの表れともなっているのかもしれない。王導の協調路線が軟弱なものに映る、みたいな。そう考えると劉惔はやや融通に欠けるよなー。