任地から陶侃さん、母の
任地の名産である寿司を送った。
すると湛氏、その寿司に封をして、
持ってきた使者につき返すではないか。
そして、使者に手紙を書いて渡す。
以下のように書いてあったという。
「お前は役人に任ぜられておきながら、
この母に任地のものを送るのですか。
それは公権の濫用、
というものではありませんか。
そのようなものを寄越されて、
この母のどこに益がありましょう。
ただただ、お前の迂闊さに対して
心配が増すばかりです」
陶公少時,作魚梁吏,嘗以坩(魚差)餉母。母封(魚差)付使,反書責侃曰:「汝為吏,以官物見餉,非唯不益,乃增吾憂也。」
陶公の少き時、魚梁の吏に作さるに、嘗て坩(魚差)を以て母に餉る。母は(魚差)を封じて使に付し、反書にて侃を責めて曰く:「汝の吏為るに、以て官物を餉れるを見らば、唯だ益ならざるに非ざらんや、乃ち吾が憂いは增したるなり」と。
(賢媛20)
実際のところこのオカンは厳しい人だったそうなのだが、このエピソードについては三国呉の時代の