蘇峻が乱を起こし、
官僚の多くは逃亡していた。
その中で、
そんなかれに、ある人が言う。
「昔から言うではありませんか、
安全なら進め、危険なら引け。
あなた様のその忠亮なるところを、
謀叛人が受け入れるとは思えません。
ここは一緒に逃れるべき
時でありますのに、
どうして座して艱難を被ろう、
というのですか?」
鍾雅は答える。
「乱を治めきれぬがために、国は乱れ、
陛下は危機に晒されている。
このような有様の中で逃げのび、
敵より許しを請おうとすれば、
蘇峻既至石頭,百僚奔散,唯侍中鍾雅獨在帝側。或謂鍾曰:「見可而進,知難而退,古之道也。君性亮直,必不容於寇讎,何不用隨時之宜、而坐待其弊邪?」鍾曰:「國亂不能匡,君危不能濟,而各遜遁以求免,吾懼董狐將執簡而進矣!」
蘇峻の既に石頭に至れるに、百僚は奔散せど、唯だ侍中の鍾雅は獨り帝が側に在り。或るもの鍾に謂いて曰く:「可なるを見らば進み、難きを知らば退く、古の道なり。君が性の亮直なるは,必ずしも寇讎は容れざらん、何ぞ時の宜しきに隨いて用いずして、坐して其の弊なるを待ちたらんや?」と。鍾は曰く:「國の亂れて匡す能わず、君の危うきに濟う能わず、各おの遜遁し以て免ぜるを求むに、吾れ董狐の將に簡を執りて進めるを懼るるなり!」と。
(方正34)
蘇峻
鍾雅
蘇峻の乱で人々が成帝を見離し逃げのびようとしている中で、将軍の
董狐
春秋時代の歴史家。権威におもねらない直剛なる筆致でもって、王侯たちのなした悪事もバシバシ直筆した。理想的な歴史家像として神聖化されている。一方で「悪い事したらなまはげが来るぞ」よろしく「ダセぇ真似したら董狐にぼろくそに書かれるぞ」的慣用句として用いられていたようだ。