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成帝2  董狐の簡

蘇峻が乱を起こし、晋軍しんぐんを撃破、

石頭せきとう城にまで迫り来た時、

官僚の多くは逃亡していた。


その中で、鍾雅しょうがのみが

成帝せいていの側にいた。


そんなかれに、ある人が言う。


「昔から言うではありませんか、

 安全なら進め、危険なら引け。


 あなた様のその忠亮なるところを、

 謀叛人が受け入れるとは思えません。


 ここは一緒に逃れるべき

 時でありますのに、

 どうして座して艱難を被ろう、

 というのですか?」


鍾雅は答える。


「乱を治めきれぬがために、国は乱れ、

 陛下は危機に晒されている。


 このような有様の中で逃げのび、

 敵より許しを請おうとすれば、

 董狐とうこに何と書かれてしまうかな?」



蘇峻既至石頭,百僚奔散,唯侍中鍾雅獨在帝側。或謂鍾曰:「見可而進,知難而退,古之道也。君性亮直,必不容於寇讎,何不用隨時之宜、而坐待其弊邪?」鍾曰:「國亂不能匡,君危不能濟,而各遜遁以求免,吾懼董狐將執簡而進矣!」


蘇峻の既に石頭に至れるに、百僚は奔散せど、唯だ侍中の鍾雅は獨り帝が側に在り。或るもの鍾に謂いて曰く:「可なるを見らば進み、難きを知らば退く、古の道なり。君が性の亮直なるは,必ずしも寇讎は容れざらん、何ぞ時の宜しきに隨いて用いずして、坐して其の弊なるを待ちたらんや?」と。鍾は曰く:「國の亂れて匡す能わず、君の危うきに濟う能わず、各おの遜遁し以て免ぜるを求むに、吾れ董狐の將に簡を執りて進めるを懼るるなり!」と。


(方正34)




蘇峻

王敦おうとんの乱鎮圧に大功を挙げたが、その頃実権を握っていた庾亮ゆりょうの人事がとにかく厳格を極めていたため、名将祖逖そてきの弟祖約そやくを始めとする多くの人間が不満をくすぶらせていた。彼らをそそのかし、乱を起こしたのがこの蘇峻である。当時の東晋軍の中でも強者に数えられる蘇峻が起こした叛乱は忽ちのうちに晋軍を破り、果てには建康けんこうを陥落させてしまう。よく滅びなかったな東晋。このような強烈な叛乱であるから、それを平定せしめた陶侃とうかんの威名は否応なしに高まったわけである。


鍾雅

蘇峻の乱で人々が成帝を見離し逃げのびようとしている中で、将軍の劉超りゅうちょうと共に側に仕えた。成帝が蘇峻の手に落ちた時もともに付き従い、何とか成帝を逃そうと画策するも失敗、斬り殺されている。


董狐

春秋時代の歴史家。権威におもねらない直剛なる筆致でもって、王侯たちのなした悪事もバシバシ直筆した。理想的な歴史家像として神聖化されている。一方で「悪い事したらなまはげが来るぞ」よろしく「ダセぇ真似したら董狐にぼろくそに書かれるぞ」的慣用句として用いられていたようだ。


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