成帝がわずか二十二歳の若さで
崩御した時、後継ぎは決まっていなかった。
何充が推したのは嫡子、のちの哀帝
だが庾冰をはじめとした群臣は、
まだ四歳のこの子を皇帝にするのは
危なすぎるだろう、と、
成帝の弟、
さて康帝、玉座につくと、
まずは何充を見る。
「んー、んっんー、さて何充君、
朕が登極できたのは、誰の手柄かな?
ん? んん?」
うぜえ。
何だこいつ。
けど、何充はさらっと返す。
「陛下が即位なさったのは、
まさしく庾冰の功績と申せましょう。
陛下の神威が各地に行き届いたことに、
臣はまるで関与しておりません。
臣の建議が受け入れられておれば、
この国に、いまの盛明は
もたらされておりませんでしたでしょう」
うわ、おちょろうと思ったのに
平然と返してきやがった。
康帝さま、居心地が悪くなった。
なお康帝はこの後間もなく崩御。
あとを継いだのは穆帝、
当時一歳。沖幼はどうした。
何次道、庾季堅二人並為元輔成。帝初崩、于時嗣君未定。何欲立嗣子。庾及朝議以外寇方強嗣子沖幼、乃立康帝。康帝登阼會群臣謂:「何曰朕今所以承大業、為誰之議?」何答曰:「陛下龍飛、此是庾冰之功。非臣之力。于時用微臣之議、今不覩盛明之世。」帝有慚色。
何次道と庾季堅の二人は並べて元輔を為す。成帝の崩ぜるの初め、時に君を嗣がるの未だ定まらざれば、何は嗣子を立てんと欲せるも、庾及び朝議は外寇の方強なるを以て嗣子を沖幼とし、乃ち康帝を立てる。康帝は阼に登り群臣に會す。何に謂いて曰く「朕の今、大業を承くる所以は誰の議が為ならんか?」と。何は答えて曰く「陛下の龍飛、此れや是れ庾冰の功にて臣の力に非ざるなり。時にして微臣の議を用いらば、今の盛明の世を覩ず」と。帝に慚じる色有り。
(方正41)
康帝
明帝の息子、成帝の弟。兄の夭折に伴い即位したが、やはり早世。兄の苦労をずっと見ていただろうし、
哀帝
成帝の息子。
何充
つーかずっと西晋やってたせいで、変換が「
なお康帝と哀帝の間には穆帝がいるんだが、世説新語には一切出て来ない。可哀想なので彼にも強引に登場してもらったよ。
穆帝
康帝の息子、一歳で即位。生涯を皇帝として過ごすとか地獄以外の何ものでもないな。この当時には