彼を見て、
「飾り気がなく、さっぱりとしているね」
と褒めた。
また
「良い意味で朴訥だ。
二心なく忠実な働きをするだろう」
とコメント。
そしてこの庾統、そもそも庾氏の家中でも
ものすごい期待がされていた。
元々世の庾氏兄弟への評判と言えば、
「庾亮は豊作の年を
さらにきらびやかなものとする宝玉、
人びとを救う穀物のような存在」
というものであったが、
他ならぬ庾亮が、庾統を
「豊作の年の宝玉なら、統だ」
と語っていたのだ。
そんな庾統が、弟たちとともに
やがて日も暮れてきたため、宿を探す。
宿は、あった。
しかし既にどうでもいい者たちが
ひしめき合っている。
弟たちが先に宿に入ったが、
彼らはまるで気にも留めようとしない。
「どれ、じゃあ私も入ってみようか」
庾統、そう言って杖をつき、
侍従の子を一人連れ、宿に入った。
すると人々は、その見事な姿に
恐れおののいたそーである。
なお夭折した。
簡文目庾赤玉:「省率治除。」謝仁祖云庾赤:「玉胷中無宿物。」
簡文は庾赤玉を目すらく「省率治除」と。謝仁祖は庾赤玉を云えらく「胷中に宿す物無し」と。
(賞譽89)
世稱庾文康為豐年玉、稺恭為荒年穀。庾家論云:「是文康稱恭為荒年穀、庾長仁為豐年玉。」
世は庾文康を稱うるに豐年の玉と為し、稺恭を荒年の穀と為す。庾家の論にて云えらく「是れ文康は恭を為荒年の穀と稱し、庾長仁を豐年の玉と為す」と。
(賞譽69)
庾長仁與諸弟入吳,欲住亭中宿。諸弟先上,見群小滿屋,都無相避意。長仁曰:「我試觀之。」乃策杖將一小兒,始入門,諸客望其神姿,一時退匿。
庾長仁と諸弟は吳に入り、亭中に住まりて宿せんと欲す。諸弟は先に上り、群小の屋に滿つるを見るも、都べて相い避くるの意無し。長仁は曰く:「我れ、試みに之を觀ん」と。乃ち杖を策し一なる小兒を將い、始めて門に入り、諸客は其の神姿を望まば、一時にして退匿す。
(容止38)
庾統
父親
謝尚
陳郡謝氏。なんか地味なところでの初登場になっちゃいましたね。