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庾冰1  終の床の言葉

會稽かいけいのひと、孔氏の子孫である

孔坦こうたんが、危篤の床についた。


庾冰はこのとき、會稽の長官。

なので孔坦のことを心配し、

何度も何度も見舞いに出ては、

そのベットの傍らで大泣きしていた。


ある日、いつものように大泣きしたあと

帰ろうとした庾冰の背に向け、

孔坦が盛大な嘆息とともに、言う。


「こうして一人の士人の命が

 尽き果てようとしておりますのに、

 国の、お家の大事を諮ろうともせず、

 女子供のごとくお泣きでばかりとは!」


そうじゃねえだろ庾冰、

お前のやることは。

持ってくんだよ、俺のノウハウを、

可能な限り。


そう、檄を飛ばしたのだ。


それを聞き、庾冰、涙を拭いた。

不甲斐ない自分を詫びるとともに、

孔坦から政治に関するアドバイスを

引き出すだけ引き出した。




孔君平疾篤,庾司空為會稽,省之,相問訊甚至,為之流涕。庾既下床,孔慨然曰:「大丈夫將終,不問安國甯家之術,迺作兒女子相問!」庾聞,回謝之,請其話言。


孔君平の疾の篤きに、庾司空は會稽為れば、之を省るに、相い問訊せること甚だ至り、之が為に流涕す。庾の既に床に下るに、孔は慨然として曰く:「大丈夫の將に終わりなんとせるに、國を安んじ家を甯んずるの術を問わず、迺ち兒女子が相問を作さんか!」と。庾は聞き,回りて之に謝し、其の話言を請う。


(方正43)



庾冰

いわゆる三庾と呼ばれる東晋前期を代表する兄弟、その真ん中(三庾以外にも兄弟はいたのだが割愛)。宮中で巨大な存在感を得ていた兄、庾亮ゆりょうの死後、宰相として中央に立った。のだが、「中央に立ちました」くらいで、何やったか聞かれると「何充かじゅうにバトンタッチしました」くらいしか言えなさそうである。まぁ、司馬昱しばいくさんもこのへんではだいぶ存在感増してたでしょうけどね。


孔坦

孔群こうぐんのいとこの息子とのことです。

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