群臣の集う朝礼は
とてもふいんきが重かった。
ただ、そこにのちの簡文帝、
当時
一気に場が華やぐのであった。
さてまぁ、そんな状態が続くと、
こんな会話が出てきてしまうのだ。
「
紂王に殺されるの、
桓温さまにとっては、どちらが
マシだと思いますか?(棒読み)」
桓温は答える。
「あー、どっちも嫌だな。
それなら、別の素晴らしい君主の下で
がっつり働きたいわ(棒読み)」
海西時、諸公每朝、朝堂猶暗。唯會稽王來、軒軒如朝霞舉。
海西の時、諸公は每朝、朝堂にて猶お暗し。唯だ會稽王の來たるに、軒軒として朝に霞舉せるが如し。
(容止35)
未廢海西公時、王元琳問桓元子:「箕子、比干、迹異心同。不審、明公孰是孰非?」曰:「仁稱不異、寧為管仲。」
未だ海西公の廢せざる時、王元琳は桓元子に問えらく「箕子は比干と迹は異なれど心を同じうす。明公にては孰れを是とし孰れを非とせるか審かならざるか?」と。曰く「仁の稱うるに異ならざれば、寧ろ管仲と為すべし」と。
(品藻41)
王珣
東晋中後期の名臣。いわゆる
ともに紂王の時代の人。暴政を繰り広げる紂王ヤバい、と言う気持ちは一緒だったが、箕子はキチガイの振りをして奴隷に身を落すことで逃亡、比干は直に諫めたため殺された。
前も出てきたが、ここでは別の属性で引き合いに出されている。管仲は元々桓公の弟に仕えていたのだが、桓公が弟の不行状を理由に殺したときに殉死せず、さらっと桓公に鞍替えした。殉死しないことは不忠だが、それを補って余りある功績を残した。
つまり桓温は「帝を廃して司馬昱さま擁立しようぜ」と言っているわけだ。