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桓温7  徳治とは

桓温かんおんさまが荊州刺史けいしゅうししとなった時、

荊州を徳治で覆いたい、と燃えていた。

シバいてヤキ入れとかお下品じゃん、

って思っていたのだ。


そのため違反をした下級役人に杖刑じょうけい

いわゆる杖によるヤキ入れをするときも、

その杖は、役人の服を

カスる程度でしかなかった。


これを不審に思ったのは

桓温さまの年若き息子、桓歆かんきんである。


「父上、先ほどの杖刑の

 現場を見てきたのですが、

 杖はまるで雲を払い、

 地面を掃くようでしたよ」


全然役人に当たってねえじゃん何あれ。

さすがに息子にも茶番に見えたようだ。


が、桓温さまは言う。


「わしはな、あれでもまだ

 重いだろうと思っておるのだ」



桓公在荊州、全欲以德被江漢、恥以威刑肅物。令史受杖、正從朱衣上過。桓式年少、從外來云:「向從閣下過、見令史受杖上捎雲根下拂地足。」意譏不著。桓公云:「我猶患其重。」


桓公の荊州に在すに、全きに德を以て江漢を被わんと欲し、威刑を以て物を肅すを恥づ。令史の杖を受くるに、正に朱衣の上より過ぐ。桓式は年少くして外より來たりて云えらく「向きに閣下より過ぎ、令史の杖を受くるを見るに、上は雲根を捎い、下は地足を拂えり」と。意は著かざるを譏るにあり。桓公は云えらく「我れ、猶お其の重きを患う」と。


(政事19)




桓歆

桓温さまの不肖の息子たちの中ではできのいい方。弟の桓玄かんげんを一生懸命補佐したが、桓玄の戦った相手が、何せあの劉裕りゅうゆうである。ボロ負けして敗走した。



現代人的観点から言えば、どんな形であれ、公衆の面前で罰を受けるとか、すさまじい恥ですし。その意味では厳罰なのかな、とも思います。つーかそれが茶番ともなれば、恥度はさらに倍率ドンですよね。


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