なかなかに複雑な感情を
抱いていた雰囲気がある。
「殷浩殿のあの知識の深さ、
そしてあの落ち着いた振る舞いは、
なるほど評判通り、と評せましょう」
と伝えてきたことがあった。
が、桓温さま、殷浩が失脚した後、
こんなことを嘯いていたりする。
「殷浩のやつと、昔はよく
竹で出来た馬に乗って遊んだものだ。
とは言えヤツは、
俺がもういらなくなって捨てた
馬で遊ぶことが多かった。
あの頃から、俺の風下になることは
決まっていたのだ」
このコメントから感じるのは、
「殷浩なにくそ」の強い気持ちである。
何せ桓温さま、もともと殷浩には
かなり強烈なライバル心を抱いていた。
あまりに強烈すぎたものだから、
思わず本人に
直接聞いてしまったことすらある。
「殷浩、アンタは
俺と較べてどうだと思う?」
すると殷浩、桓温さまのこの圧が
面倒くさくなったか、
さらりとかわしてきている。
「俺と俺を比べろ、と言われてもなあ。
とはいえ付き合いはそう浅くない。
まあ、俺、という事になるだろうね」
ちっげーよ殷浩クソ、
誰が殷浩と殷浩比べろって言ったんだよ。
だが、この殷浩のコメントに対して、
更に桓温さまがどう返したかの
記録は残っていない。
とは言え、一方では郗超に対し、
こう語ってもいる。
「殷浩のやつには人望も、弁論力もある。
元々は官僚向けの人間なのだ。
なのに軍務になぞ付けてしまったから、
あの才能が発揮できずに終わったのだ」
王長史與大司馬書道:「淵源識致安處、足副時談。」
王長史は大司馬に書を與えて道えらく「淵源が識の致、安んずる處は時談に副うに足る」と。
(賞譽115)
殷侯既廢。桓公語諸人曰:「少時與淵源共騎竹馬、我棄去已、輒取之。故當出我下。」
殷侯の既に廢さるに、桓公は諸人に語りて曰く「少き時に淵源と竹馬に騎す。我れ棄て已に去らば、輒ち之を取る。故より當に我が下に出ずるべし」と。
(品藻38)
桓公少與殷侯齊名。常有競心、桓問殷:「卿何如我?」殷云:「我與我周旋久。寧作我。」
桓公は少きより殷侯と名を齊しくし、常に競心有り。桓は殷に問うらく「卿は我とでは何如?」と。殷は云えらく「我は我と周旋せること久し。寧ろ我と作さん」と。
(品藻35)
桓公語嘉賓:「阿源有德、有言。向使作令僕、足以儀刑百揆。朝廷用違其才耳。」
桓公は嘉賓に語るらく「阿源は德有り言有り。向に令し僕と作さしまば、以て百揆の儀刑に足る。朝廷の用うること、其の才に違うのみ」と。
(賞譽117)
こうして一挙に並べると「竹馬の友」のガセネタ感がたまりませんですな。
つーか十歳近く下のガキが乗り捨てた竹馬で遊ぶとかどうなのよ殷浩さん、みたいな話になってくる。