桓温さまは主張する。
「我らの都」を奪還したのであるから、
都を洛陽に遷すべきである、と。
これによって中原に拠点を築き、
五胡勢力を駆逐せん、というのだ。
だが、この主張に
「
現在の繁栄をもたらしたのは、
守りを固められたがため。
もし長江なくば、この
胡賊どもの馬に蹂躙され、
荒廃とさせられていたことでしょう。
我々と胡賊との武力には、
根本的な差があります。
我々がいつまでも洛陽を
保持できるとも思えません。
ともなれば、桓公の遷都建議は
みすみすこちらから滅びに行く
ようなものである、と申せましょう」
皇帝に奏上されたその内容は、
実に理路整然としたものであった。
内容そのものには桓温さまも、
うぬぬ、と唸るしかない。
だが、反論されたことはムカつく。
てめえこの俺様に反論するとは何様だ、
そんな感じの書状を使者に持たせた。
そこには、こうある。
「お前、自作で隠遁したいって
言ってたじゃねえか。
なんで今頃になって国のことに
口出ししてきてんだ?」
桓公欲遷都、以張拓定之業。孫長樂上表諫此議、甚有理。桓見表、心服而忿其為異。令人致意孫云:「君何不尋遂初賦而彊知人家國事?」
桓公は都を遷さんと欲し、以て拓定の業を張らんとす。孫長樂は上表して此を諫ず。議せるに甚だ理有り。桓は表を見て心服せど、其の異を為せるに忿る。人に令し孫に意を致しめて云えらく「君は何ぞ遂初の賦を尋がずして、彊いて人の家國の事を知るや?」と。
(輕詆16)
孫綽さんの遷都反対の上表文は
中宗龍飛,實賴萬里長江,畫而守之耳。
不然,胡馬久已踐建康之地,
江東為豺狼之場矣。
と言うものだったそうです。