「天は人に意識をもたらすのに、
一切の意図を込めない、という。
では、なぜ世の中には
善き人が少なく、
悪しき人が多いのだろうな」
このテーマに、
誰も答えることができない。
その中にあって進み出るのが、
「水を地面に注ぐようなものでしょう。
水は完全なものである、と申します。
しかし、凹凸のある地面に
注がれてしまえば、
その形状に従って
広がるしかありません。
その姿を見て、誰が完全なものだ、
と思うでしょうか?」
このたとえや、劉惔の機知の速さは、
当時の人びとの感嘆を受けた。
殷中軍問:「自然無心於稟受。何以正善人少,惡人多?」諸人莫有言者。劉尹答曰:「譬如寫水著地,正自縱橫流漫,略無正方圓者。」一時絕歎,以為名通。
殷中軍は問うらく:「稟受は無心なるを自ら然りとす。何をか以て正に善き人は少なく、惡しき人は多からんか?」と。諸人に言を有せる者莫し。劉尹は答えて曰く:「譬うるに水を寫ぎて地に著きたるが如し、正に自ら縱橫に流漫さば、略や正に方圓たる者無し」と。一時にして絕だ歎じ、以て名通を為す。
(文學46)
なるほどねー。この考えは面白い。
「水は低きに流れる」。
自分も安易な方向に流れがちだし、
その意味では「悪しき人」だよねー。