ここは悪の博士の研究所である。私はそこで働いている研究員Aである。悪の博士の研究ではあるが、きちんとした給料システム、毎日定時で上がれて無駄な飲み会もなし、自分の好きな研究も続けられてこれがまた悪の博士が人柄もいい、なんでこの人が世界を掌握しようとしているのか全く分からないほどだ。
今日は近所の小学生の職場見学の日だ。悪の博士の「悪は一日にしてならず、若い子達に悪の喜びとやりがいを伝えられてこそ一人前の悪なのだ」との考えで毎年多くの小学校や中学校の子たちがこの悪の博士の研究所に訪れている。
実は私もその口なのである。小学生の時に初めて悪の研究所に訪れたのが私の人生に大きな転機をもたらしたのだ。
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あれは研究所を一周し、悪の博士の楽しい悪の質疑応答コーナーが開催された時だ。
その当時の私は引っ込み思案な性格で、体も周りの子供たちよりも太っていた。周りの子達が質問をするために大きく手を挙げている中、私はどうしても手を挙げられなかった。
前日の夜は初めて悪の博士の研究所に行くことによる興奮で寝られないほどだったのに。街に殺戮兵器を送り出す生放送をしていたあの悪の博士がバスから降りたときに笑顔で出迎えてくれたのがあんなに嬉しかったのに。聞きたいことを沢山書いたメモ帳を握りしめながら私は他の生徒の質問ににこやかに答える悪の博士の事をじっと眺めるだけしかできなかった。
質疑応答の時間も最後に差し掛かっていた。もう、ダメだ。やっぱり私なんかでは悪の博士と話すこと何できないんだ。そう思った矢先だった。
「君、そこの君」
悪の博士が私に声をかけてくれたのだ。
「はい……」
私は弱弱しく返事をした。
「何か質問はあるかな?」
その優しさが溢れる声に私の目に涙がうっすらと溢れてきた。
私は涙を袖で拭き、悪の博士にメモ帳の一番上に書いた質問をした。
「僕はデブだし、みんなとも仲良くなれません、こんな僕でも、頑張れば……悪の博士になれるでしょうか?」
同級生が僕の質問を聞いて囃し立てている声がたくさん聞こえた。そうだ。私なんかに悪の博士なんて無理だ。私が顔を下に向けた時、博士の声が耳に飛び込んできた。
「なれるよ」
顔を上げると悪の博士は私のことを真っすぐに見つめていた。
「いいかい、私はね。女の子にモテなかったんだ。ドンびくほどにね。その当時は私はただのサラリーマンをしていた。でもこのままでは結婚はおろか、女の子と一生付き合えもしないまま終わると思って科学者になった。現実世界の女の子と付き合うのは正直言って無理だ。そう確信した私は超高性能AIを載せたアンドロイドを作り上げたんだ。最初の一か月はよかった。夢のような生活だった。アンドロイドではあるが、女の子が自分の傍にいてくれるそれだけで幸せだった」
悪の博士の言葉に私は目が離せなかった。一呼吸おいて悪の博士がまた話し始める。
「一か月を過ぎたある日……アンドロイドのあんちゃんが私に対して冷たくなり始めた。lineの既読無視から始まり、デートの約束も当日ドタキャンばかり、屋敷の中ですれ違っても目を合わせてくれない。私は意を決してあんちゃん聞いたんだ。君はアンドロイドなのにどうして私の命令が聞けないんだ。とね。そうしたらこう言われたよ。『アンドロイドでも生理的に無理』ってね」
私の目からは自然と涙が零れていた。周りからも鼻水をすする音がそこかしこから聞こえてきていた。
「そしてあんちゃんはそのまま出て行った。そこまではよかったんだ。……みんな、私と戦っている「ぎゅっと脇からスパイシー香るポリネンアンポルキュア」がいるだろう……あれが実はあんちゃんなんだ……私に対しての憎悪が彼女をそうさせたのだろう。だから……私は悪の博士になった。自分の一瞬でも愛した女を倒すために……」
会場からは拍手の渦が起こっていた。私も手の平が痛くなるほど拍手を繰り返した。
「この研究所で待っているからね」
悪の博士は私に近づき、力強く握手をしてくれた。
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まだまだ、私は研究員Aだが、いつかは悪の博士になろうと毎日奮闘している。
「あ、悪の博士おはようございます」
「おはようA君」
「悪の博士、昔私にしてくれた話覚えてますか?」
「はて? 何のことじゃ?」
「いえ、何でもないです」
悪の博士は私の肩をポンッと軽く触れる。
「待ってたかいがあったよ」
その皺の多い、小さな手がやけに暖かかった。