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第二章

第66話 幕間 懐かしい声

 久しぶりに懐かしい声を聞いた。

 昔に、何度も聞いた事のある声だ。


「知花、聞いとる?」

「聞いとるよ、向かいのさえちゃんに、子供が生まれんでしょ」

「さえちゃんだけやないけん、あんたの同世代は、みな結婚して子供できちょるよ」

「あのさあ、お母さんこそ、私の話聞いてた? 私、支配人になったのよ、支配人!がんばって働いてきて、評価されたのよ。なんで、おめでとうがないのかしら?」

「そげんなことばっかり言うて、いけんよ。女は結婚して、子供産んで、家族をつくってこそ、幸せやけん」

「はいはいはい、価値観の違いですね。結婚を否定はしないけど、結婚が唯一って考えは古いんじゃない?」

「家族をもってこそ幸せなんよ。あんたも今は若いからええけど、年取ったらひとりでどがいするん? 仕事もええけど、はよういい人見つけて、お母さんとお父さんを安心させてほしい」

「はいはいはいはい。考えとくわ」


 この会話は、確か初めて支配人になった頃かな。三十五、六歳の時よね。あれ、もしかして今、夢みてるのかも……。


 大学で京都に出てから、仕事で大阪に住んでいる時も、年に一度は愛媛に帰郷していた。

 三十歳を過ぎてからだろうか? 両親と同居している弟が結婚し、奥さんや甥っ子姪っ子が増え、上田の家はもはや私の家ではなくなった。また、電話でも、結婚結婚とうるさく言われるようになり、ますます実家から足が遠のいた。


 両親は、弟を跡取り息子として大事に育てていた。私もそれなりに気にかけてもらっていたし、大学もいかせてもらった。感謝はしているし、両親は善人だと思う。


 だけど、結婚が女の一番の幸せ、という考え方には、どうしても馴染めなかったし、納得できなかった。

 別に、私も結婚したくない訳じゃないし、というか出来る事なら人生を共にするパートナーはほしい。だけど、結婚だけが唯一の道だと言われると、息苦しい事この上もない。


 何度話しても、平行線。

 私にとって、実家はだんだんと居心地のよくない場所になっていった。


 ーー…カ…お……い、チカ……ーー


 肩を揺さぶられ、先程までの映像がフッと消えた。


「チカ、起きろ。もうすぐ、来客者が到着するぞ」


 目をあけると、大きく重厚な木製の机の上に、書類が広がっている。

 すぐ横には、褐色の肌のおでこが盛り上がった、ガタイのいい男が真っすぐに自分をみつめている。


「……好みだわ」

「は……? チカ、大丈夫か、寝ぼけてるのか?」


 心配そうに男はそのゴツイ手で、優しく私の頬をなでた。


「ああ……、そうね。今は、ジェシカの世界にいるんよね」


 どうやら、仕事中に机に突っ伏してうたた寝していたようだ。

 ボーっとしながら、私はなんとはなしに話しだす。


「……夢をみてたの。知花の世界の、母親の夢」

「母親、か。いい夢だったか?」

「いいも悪いもないというか……。ただ、懐かしいかな」

「……チカは、家族の話をほとんどしないからな。実は、気になっていた」

「え? そうなの? 別に聞いてくれたらいいのに」

「いや、その。何か事情があるのかな、と……」

「うーーん……」


 あの頃。私は多分、諦めていた。自分を認めてもらうことを、理解してもらうことを。

 でも、心の底では、わかってほしかったし、仕事がんばってるね、よくやったねと褒めてほしかった。


 両親と諦めずに対話を続けていれば、もう少し歩みよれたのかもしれない、と今になって思う。

 その一方で、私にはわかっている。


 私が仕事をがんばれたのは、この世界でも生き抜く図太さをもつことが出来たのは、のお陰でもあるということを。


 逆境や試練は、人を傷つけ痛みを与えもするが、だからこそ、それを乗り越える強い精神力、広い視野を得るチャンスにもなる。


 もし、私が両親に弟と同じように、寄り添うように大切に育てられていれば、今の私はなかっただろう。

 私は、なかなかにハングリー精神に溢れた、をとても気に入っている。


 だから、彼らには感謝している。

 こっちの世界にきてから、彼らにさほど会いたいとは感じなかった。40年間家族をやってきたのに、私ってまあまあ冷たい人間なのかなと思ったりした事もあったけど。


「正直言って、こちらの公爵夫妻りょうしんに対しての方が、なんていうか、愛情を感じるのよね。でも、チカの時の両親にも、いろいろひっくるめて感謝はしているわ」

「感謝……」

「うん、感謝。育ててもらった恩はある。私には弟がいたのよ。彼は結婚してて孫もいるし、向こうの家族は私なしでも心配ないの。勿論、彼らが平和に過ごしてる事を願ってるし、懐かしくはあるけど。でも……」


 私は立ち上がり、男の背中に手をまわした。


「全ては、過去のこと。今の私にとって、一番大事な存在はライガだから」


 今、この瞬間こそが現実だという事を確かめるように、私はライガをギュっと抱きしめた。


「チカ、愛している」 


 ライガの太い腕が私を包みこむ。彼の胸に顔を埋めながら、私は心の中で呟いた。


(……安心して、お母さん。私、いい人、見つけたから。でも、結婚イコール幸せだとは、今も考えてないけどね。何が幸せかを決めるのは、私自身だから)


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