ウラジオストク。
シベリア東部の沿海部にあるこの街は、ユーラシア革命軍政府の掌握地の南端にあたることから、戦争難民の流入も激しい。よって、人口の増減が著しい都市でもある。
「あんたたちを送ってやれるのは、ここまでだぜ」
大型トラックの後部座席に座り込んでいるジーンとカナデ、アイリーンに、ヴァンスが運転席から声を掛ける。
「ユジノサハリンスクを目指すなら、船が一番手っ取り早いな。あれに乗ればサハリンまで一気に行ける。港まで送ってやろう」
「すまないな、ヴァンス」
「兄ちゃん、あんたに礼を言われることじゃあねえ。俺は、同じ難民のよしみで、その姉ちゃんを助けてやりたいだけだ。あんたとその嬢ちゃんは、おまけに過ぎねえ」
ヴァンスは口に人の悪い笑いを浮かべながら、頭を下げるジーンに言い放った。ついで、その隣のカナデにヴァンスは声をかける。
「なあ、姉ちゃん。仕事、ないんだろ?」
ヴァンスは、カナデに対してだけ見せる親しさを、ここぞとばかりに露わにする。
「あんたさえよければ、俺の会社に雇ってやってもいいんだぜ。姉ちゃんは、ホバークラフトの不調の原因を一発で見抜くくらいだから 、いろいろ勘が良さげで、俺の仕事にも役立ってくれそうだし。なにしろ、俺の職場は色気が足りねえ。姉ちゃんみたいな若い美人さんが来てくれたら、それだけで皆の勤労意識が上がるってもんだ」
「お断りします」
カナデの即答に、ヴァンスはハンドルを握りながら、眉を顰める。
「つれねえなあ、姉ちゃん」
「ええ、それに、私、見かけほど、若くありませんので」
「そうなのかぁ? ほんと、お前さんたちの正体は良く分からないなあ。まあ、知らない方が身のため、なんだろうけどな」
その問答を打ち切ったのは、アイリーンの無邪気な声だった。
「おとーさん、見て! ひとが、いーっぱい、いるよ?」
見れば、車は、街の中心部、中央広場に差掛かっていた。
そして、レ・サリの大きな肖像画が掲げられた広場には、多くの人の姿が見えて、なにやら集会らしきものが行われている。
それに目を留めて、ちっ、と、ヴァンスが舌打ちをして車を急停車させた。
「やっべえなあ、またデモ、やってやがる。ちょっとルート変えないとまずいかな」
「あれは、何のデモですか?」
「兄ちゃん、あんたには、関係ないこったよ」
ジーンの問いかけを、ヴァンスは一旦そっけなく躱したものの、少し考える素振りをした後、こう言い直した。
「……いや、兄ちゃんが、もし、難民を装ってこの先の旅を続けるつもりなら、関係大ありだな。あれは、反難民デモだ」
「反難民デモ?」
ヴァンスの言にジーンがデモの風景に目を向ければ、その隣で、カナデが、思わず身を固くさせる気配がする。
「市民によるデモですか?」
「ああ、この街では難民の流入が土地柄、昔っから多く、そのなかには、俺みたいに、ここで職を得て生活をしている者も多い。それが理由で仕事を奪われた市民も、いくらかいてなあ。そういうこともあって、近年、難民の受け入れに反対するデモも頻発しているんだよ。勿論、元難民の俺も他人事じゃねえ。俺だって奴らに襲われたこと、何度もあるんだよ」
そうこうしているうちに、デモの人波がジーン達のほうにも流れてくる。
――なるほど。内地がこんなことになっていたとは、俺はまったく知らなかったな。
そう、ジーンは心中で独り言つ。そして、改めて、押し寄せるデモ隊の群衆に視線を投げる。
彼ら彼女らの手にしているプラカードには「難民の定住に反対する」「政府はこれ以上の難民受け入れに拒否を」といった文字が、派手な色のペンキにて躍っている。なかにはレ・サリの肖像画を空に高く掲げている者の姿も、数多く見られる。
「難民受け入れ反対!」
「我々に職を!」
「美しいユーラシアを護れ!」
そんなシュプレヒコールも高らかに、デモ隊は車の両脇を行進していく。
そのときのことだった。
「ミハイル!」
急に、鋭くカナデが叫んだ。そして、長い金髪を揺らしながら立ち上がる。
その顔は驚愕に歪み、淡い琥珀色の眼には隠しきれぬ動揺の色が揺れていた。アイリーンが不思議そうにカナデを見上げる。
「カナデおねーちゃん?」
「カナデ、どうしました?」
だが、ジーンの問いかけに応じることもなく、カナデはヴァンスに向かって叫んだ。
「ドアのロックを外して! ヴァンス!」
「おいおい、まさか、外に出るつもりなのか? 姉ちゃん、それは危険だよ!」
「お願い!」
カナデはそう言いながらも、車の取っ手に手を掛け、力一杯引いた。すると、ドアは、ぎし、ぎし、と数度軋む。そして、数瞬の後、扉は、ばたーん、と大きな音を立てて車体から外れ、路上に転がった。
その光景に唖然として声も出ないヴァンスたちをよそに、カナデは勢いよく、その身を車外に滑り出させた。
「まったく、姉ちゃん、なんちゅう怪力だよ。だが、ほんと、危ないって!」
ヴァンスが呆れた声で、地表に転がったドアを見ながら、カナデの背に声をぶつける。なんとか、カナデを引き戻そうと、ジーンも車を飛び降りる。だが、それも気に留めず、カナデはデモ隊の中に身を躍らし、そのなかで人波をかき分けつつ、再び叫びながら、デモ隊のなかにいたひとりの金髪の若者に、手を伸ばした。
「ミハイル! ミハイル・ハーンでしょ!」
カエデはもみくちゃになりながら、必死に若者に声を掛ける。
しかし、若者はカナデを見ても、戸惑いの色をその顔に浮かべるばかりだ。
「……あ、あんた、誰だよ?」
「ミハイル! 私よ!」
「なんで、俺の名前を知っているんだよ?」
「私よ! 私! 母さんよ!」
カナデは泣き叫ばんばかりに声を張り上げ、その若者の手を掴む。だが、その若者は強くカナデの手を振り払った。そして彼女を勢いよく突き飛ばした。
「なに、言っているんだ、そんなわけないだろ!」
そして、路上に膝をついた彼女に言う。まるで、吐き捨てるように。
「狂人かよ、この女!」
そう言い残し、カナデに良く似た顔の若者は、再びデモ隊に混じると、歩き去って行った。
路上の砂塵が風に舞い、シュプレヒコールの残響が木霊する街角にて、顔を蒼白にし、呆然とするカナデを残して。