全てが終わったのは、昼近い時刻であった。
ジーンはアイリーンを膝に載せて、オホーツク海を見渡す砂丘の上に座っていた。ざざん、ざざん、という波の音が鼓膜を叩き、強い海風が頬を刺す。だが、その自然の荒々しさが、いまのジーンの心を却って落ち着かせる。
その心持ちは背中に自分に歩み寄ってくる人の気配を感じてもなお、乱されることはなかった。
彼は振り向かぬまま、その人に語りかける。
「元首とお別れは済ませましたか? カナデ」
その問いに対して、背後に立っているはずのカナデから答えはない。ただ海辺には波音と風の渦巻く音、それとどこからか海鳥の鳴き声が響いてくるのみである。
その間を縫って、ジーンの口から、言葉がぽろり、零れ出た。
誰に語りかけるわけでもない、どこまでも独白に近い口ぶりで。
「……私は、人の命を助けたくて医者になりました。こんな時代です。医師になるには軍に入るしか道がなかったわけですが、それでも軍医になれたときは……嬉しかったものです。この戦時下に生まれてきた意味がある。そうとさえ思いました」
ジーンの腕のなかで、ひとり淡々と語り続ける父を、アイリーンが訝しげに見上げる。ジーンはアイリーンを安心させるように、彼女の茶色いくせ毛をいかつい手でわしゃわしゃと撫でた。
途端に、アイリーンの笑い声が砂丘に弾ける。
その声に重なるように、ジーンの独白は続く。
「……ですが、どういうわけか、私は妻に取り返しのつかないことをし、ターンの実験に関わり、あなたを被験体とする罪を犯しました。その末、サリ元首をこの手にかけて、いま、ここにいます。……こんなかたちで医師としての意地を守るなんて……どうして、どうして、こんなことになってしまったのか」
淡々とした口調ではあるが、そのジーンの言葉からは、なんとも言い表しがたい悔恨と悲哀の響きをカナデは感じ取る。
ジーンはいまだ砂丘に座り込んで、自分の方を見ようとしない。だからカナデには彼がどんな顔で言葉を紡いでいるかは分かりようがなかった。だけど、カナデは無理してジーンを振り向かせようとはしなかった。顔を覗きこむこともしなかった。
ただ話を静かに聞いてやること、それが彼女に出来る、精一杯のジーンへの心遣いであった。
それでも、自分の名前がジーンの口から零れたとき、彼女は、はっ、と琥珀色の瞳を見開かずにはいられなかった。
「だけど、カナデ、いま、あなたがこうして生きていてくれるなら、私はいい。悔いがないと言ってしまったら、嘘になりますが、それでも医師であった意味があったのだと思えます。それに加え、私にはこの
カナデの視界には、ジーンがそう言いながらアイリーンの頭を再度撫でるのが映った。それに応じて、アイリーンがまたきゃっ、きゃ、と喜びの声を上げる。
その光景にカナデが目を細めていると、ジーンがゆっくりと自分の方を肩越しに振り向いた。
ジーンの目に涙はなく、焦茶色の瞳は穏やかなひかりに満ちている。
それでも、彼が次にこうちいさく呟いたとき、カナデはジーンに哀惜を感じずにはいられなかった。
「……これは、私には大仰すぎる願いでしょうか」
カナデはジーンを見て微笑む。そして、彼を労るように、慈しむように、彼女もまたちいさく声を投げかける。
「そんなことはないわ、ジーン」
すると、ジーンの唇がやさしく緩んだ。それはどこか苦しげな笑みでもあったが、ともあれ、彼はこうカナデに笑いながら語を紡いだ。
「……ありがとうございます。カナデ」
それからジーンはまた海に視線を投げる。そして、アイリーンの髪を飽きもせず撫で続ける。
「おとーさん、そんなにわしゃわしゃされたら、アイちゃんのあたま、ぐちゃぐちゃになっちゃうー」
やがて、アイリーンからはそんな抗議の声が上がったが、それでもジーンの手は止まることはなかった。
いまここにたしかにある、膝の上の命を確かめるかのように。