父親に殴られる夢を見た。
父に金をせがまれ、粗末に扱われた悪夢を見た。
目を開くと、カローラは知らない布団で寝かされていた。
「……え?」
彼女は自分が随分としっかり眠っていたことに驚き、そして今、自分が最近の疲れをごっそり取り除いたような、良い睡眠を取った晴れやかな気分に驚いていた。
思えばあたしがちゃんとしっかりした布団で眠ったのは、もう半年以上前だ。
……と彼女は思ってから、掛け布団をどかして起き上がった。
「おや、起きたかい」
そこには、白髪にお団子ヘア、そして赤いメガネをおでこに上げた見知らぬおばあちゃんがいた。
おばあちゃんはどうやら今帰ってきた風貌で。
玄関らしき扉から顔をひょっこりとさせていた。
「……あんたは?」と目を丸くしながら尋ねた。
「体、どこも痛まないかい? 花畑の中心で倒れていたから運んで来たのさ。道の近くでよかったね。離れてたらきっと、見つけられなかった」
「……」
カローラはそう言われて思い出す。
自分はあの戦いの中で、最終的にほぼ自殺覚悟で突撃し、そして無名の魔女に吹き飛ばされた。そこからもう記憶がない。
つまり気を失っていたのだろう。
「……どうして助けた?」低い声で問う。するとおばあちゃんは「え?」と驚いてから。
「どうしてって、そうするのが当然だろ?」
平然とそう言うので、カローラは混乱した。
でも反抗する気力が無かったからか、ふと続けて、
「……分からない。そうなのか?」
と正直に語ると、おばあちゃんは皺だらけの顔で笑った。
「そういうもんだろ、よいしょ」
おばあちゃんはそう言って玄関から外へ出て行った。
……カローラは分からなかった。
おばあちゃんがどうして倒れている自分を助けてくれたのかが。
体を起し、カローラはふと真横の壁に埋め込まれていた窓からの景色を見渡した。
すると真っ先に目に入ってきたのは、一つの黒点が大空を伝い、近づいてきていることだった。
それはよく見なくても、あの無名の魔女の使い魔だった。
「あら、どこへいくんだい?」
おもむろに体を起して開いている玄関から外へ出ると、そこで花壇に水やりをしているおばあちゃんにそう訊かれた。
でも無視し、彼女は空を飛ぶ黒点と目を合わせて、悟った。
……どうやらあたしは、もう無名の魔女には見つかっている。
そう思いと完全に諦念したからか緊張の糸が切れた。
そして、抵抗をやめようと考え、重いため息をついた。
ふと目の前を見た。
「――――」
そこには、目を奪われるような壮大な花畑が広がっていた。
真っ青な空と澄んだ空気が彼女を迎えた。
彼女の心に温かな感情が、そっと染み渡っていくようだった。
「……きれい」
一人で呟いた。
空気が美味しく、蜂や蝶が飛び交い、鳥の囀りが心地よく響いている。
真っ青な青空と、これまたほどよい形の雲は、花畑と馴染んでいた。
そんな景色に、カローラは目を奪われた。
「なんだい。カシーアの人じゃないのか? ここはね、カシーアの名所さ」
「……こんな場所があったんだ」
カローラは感動していた。
どうしてそんなに激しく感動しているのか、あくまで
だが、彼女は確かにその景色に心を動かされた。
きっと、ただこの花畑をいつもの状態で見に来たら、こんなに感動はしなかっただろう。
だが今のカローラはシャルロットに敗北し、そして気を失った先でおばあちゃんに介護され、疲労を全て取っ払っていた。
そんなタイミングだったからこそ、彼女は僻んだ思考と分離して素直に絶景を拝むことができたのだろう。
「ちくしょう」とおばあちゃんはいきなり呟いた。
「お嬢さんと一緒に、わしもこの景色をみたかったなぁ」
「……見れないの?」
「違うさ、朝に自分の眼鏡を無くしちまったんだ」
「…………」
そんなおばあちゃんの言葉に、カローラはきょとんとしてしまった。
「そのおでこにある眼鏡は?」
「え?」
指摘すると、おばあちゃんは驚いたように呟き、おでこに両手を伸ばした。
はっとして、おばあちゃんはカローラを流れるようにみて。
「……眼鏡あるあるじゃ」
「そ、そうなんですね」
おばあちゃんは可愛げもなく呟いた。
それにカローラは、不思議なことに粋な返答一つ出てこなかった。
「まあいい。これで今日も、この綺麗な花畑を拝める」
そう呟いて、おばあちゃんとカローラは一緒にその花畑を眺めた。
「……今日も一段と美しいの。心が休まる」
「…………」
カローラはにわかに、そう呟いたおばあちゃんの横顔を見た。
――唐突に胸が強く鼓動して何かが舞い上がってくるような感覚に、カローラは茫然とした。
そして、その気持ちの名前に気がついたとき、カローラは笑った。
「どうした?」
笑い出したカローラをみて、おばあちゃんは鋭く尋ねた。
しかし、カローラはそんな問いを投げかけられても、しばらくは笑って楽しそうにしていた。
そしてやっと口を開いた。
「……いえ、ふふ。初めて気が付いたなって」
「気が付いた……?」
「ええ」
おばあちゃんの疑問に応える前に、カローラはもう一度美しい花畑を端から端まで、手前から奥まで見渡して、おばあちゃんを横目に笑いかけた。
「他人と同じ景色を共有するって、気持ちがいいことなんだな」
呟くと、なんだそんなことかと、おばあちゃんはカローラを面白いと思った。
だがおばあちゃんも何か心当たりがあるような気がした。
若いときは、物事を素直に見られなかったなぁと。
「お菓子と紅茶があるが、いるか?」
ふっと笑ってから、おばあちゃんは提案した。
「え? でもあたし、多分どっかで迎えがくると思うけど……」
「じゃあ迎えがくるまででいい。一緒にご飯を食べるのも、楽しいってことを教えてやるわい」
そう言いながらおばあちゃんは家に向かって歩いて行った。
そんなおばあちゃんの背中を見てぼうっとするカローラだったが、すぐに俯いて微笑んで、むずむずとしてから、カローラも歩き出した。
「……うん。あたしも手伝うよ」