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10『オメラスの唱』

「だから人助けを始めようと思ったの。ごめんなさい、長話してしまって」


 総括し、シャルロットは語り終える。

 目の前のメリアは静かにコップを手に取り、お茶を飲んだ。

 そして少しだけ下を向いてから、シャルロットを見た。


「ありがとう。いいお話が聞けたわ」


 真剣に聞き終わったような仕草をしながら、彼女は黒目で外に視線を投じた。


「自分の事ばかり話してしまったけど、大丈夫でした?」

「ええ大丈夫、気にしないで。私が一番聞きたかった理念を、聞けたわ」


 シャルロットの心配に、メリアは安心するような笑みを返した。

 それを受けてシャルロットは肩の力を抜き、目の前のショートケーキに手を出し食べる。


「美味しいですね」

「お気に召したかしら。嬉しいわ。私がこの街に来たのは、この喫茶店でケーキを食べる為だったりするのよ」

「へえ。……メリアさんはこの街の人ではないんです?」

「そうね。実は放浪の旅をしているの。私も私の理念があるから、それに従ってね」


 そういうメリアを見て、シャルロットは同類を見つけたかのような興奮を覚えた。

 でもそれを顔に出さないようにして、ふと気になったことを聞いた。


「何かお仕事していらっしゃるです? 旅となると限られますが、同じ旅の者として少し気になって」

「仕事はしてるわ。私が一番したくて、届かせたい場所があるの。そこに向かっての仕事をずっとしてる。私ね、『愛』が好きなの。『愛』を知りたいの。だから、生きてるの」


 シャルロットのひょんな質問に、それなりの熱量を見え隠れさせるメリア。

 依頼主の願いなら、『お使い屋』として否定することはできない。


 「ちょっとだけ私の話をしてもいいかしら?」


 メリアは切り出した。


「もちろん。そういう依頼ですから」

「ありがとう」


 シャルロットはそれを許すと、メリアはちょっと息を吸った。


「私ね、愛が分からないの」


 「ほう?」とシャルロットは首を傾げた。


「――生まれたときからずっと愛されていた。ずっと人に大切にされて、まるで愛玩動物みたいに扱われてきたわ。私にとって愛は身近すぎた。だから、愛が分からないの」


「でもね。みんなが語る愛はどれも色があって素敵なの。人の愛の話が私は大好きで、聞いているだけで私も愛を感じている気分になるの。だから、愛が知りたい。愛を感じたい。ちょっと押しつけっぽくて申し訳ないけど、私にとっての愛はそういうものだったの。ごめんね、ただの自己中心的な行動だとは分かっているの。でも、人間の愛という妄言を信じたい。人間でありたい。私の願いは、人間として当然に生きること。普通になりたいだけなの」


「人から愛されてばかりなのに、愛を知らない感覚は、常に冷水を浴びているような寒さに等しいの」


 シャルロットはその話を、……なかなか共感できなかった。

 だがシャルロットにとって、育ての影響で何かに固執や妄執の類の気持ちを抱くのは、ちょっとだけ理解できることだった。

 大きさが違うだけで、シャルロットもそういう『自分に無い物を求めていた』からだ。


 (私は過去、人の善性を信じていた。でもいざという時に、その善性という理想像が破壊され、粉々にすり潰された。

 そこが私のターニングポイントで、

 人生の大きな変化で、あれから世界の解像度が格段に上がった。

 きっと彼女は、『分からない』に対しての向き合い方が私と違っただけなんだ。

 私はそれを悪いとは思わない。

 それがその人の性なら、他人はそれを尊重するべきだと思う。

 だから私は、彼女の妄執を主観的に判断して否定しない。それも一つの形だと思うから)


 そう自分の中で納得してから、シャルロットは一度お茶を飲んだ。

 そして彼女の目を再度見据えた。

 そこには、ずっと楽しそうな顔が浮かんでいた。


「いいと思いますよ」

「ほんと?」


 シャルロットが肯定すると、メリアは開花したかのように髪の毛を浮かばせた。


「ええ。生きる理由はそれぞれあった方がいい。愛を知りたいも、一つの手段ですよ」

「あら、ありがとう! そう言われて私嬉しいわ。じゃあ依頼の最後に、もう一つだけ聞いてもいいかしら?」


 もうすっかりとお茶は冷めてしまったし、ケーキも双方食べ終わった。

 依頼終了の時間も近いことから、メリアはそう提案したのだろう。

 「別に構いませんけど?」とシャルロットは笑みを浮かべてそう言うと、メリアは相も変わらず優しい顔を崩さずに、口を開いた。


「では失礼しますね。――聖都ラディクラムの『オメラスの唱』について、あなたはどう思います?」

「……っ」


 とたん、店内のレコードが止まり、店の入り口の鈴が鳴って生暖かい風が店内に抜ける。

 その風は窓辺に座っているシャルロットの背中を気持ち悪く撫で、シャルロットは硬直した。

 だがそれは、決して風のせいではなかった。

 (……聖都、ラディクラム)

 その単語を聞いたシャルロットは、顔に出るくらいの不安を覚えた。


 ――隠さず言うと、シャルロットは『聖都ラディクラム』に追われている。

 いいや、正確に言うならのだ。


 それも『オメラスの唱』というのは、カルと深いかかわりがある話である。

 だから一瞬、シャルロットはメリアが『関係者』なのではないかと思考がよぎった。

 しかしそうとしても、少なくとも彼女は今、私に何か探りを入れているような顔ではない。

 何より、仕掛けてこない。

 ――もしメリアが聖都の『司教』なら、既に私と戦いになっているはずだった。


「どうしてそのことをお聞きになるんです?」


 シャルロットは声色を変えて尋ねた。


「いえ気になりまして、ほら有名じゃないですか『オメラスの唱』って。あなたの性格ならもしかすると、その政策をやや否定的に思ってるんじゃないかと」

「確かに私はあの政策を気に入っていません。だが、それにしても、何か裏があると勘繰ってしまいますね」


 真剣な目をしてシャルロットはそう詰めた。

 同時にカルを監視しているチビの感覚を探った。

 ……チビに異常はない。カルは無事のようだ。

 つまり、彼女が私を目的にやってきた『司教』などではないと、安心してもいいのだろうか?


「勘繰る? もしかして何かあるんです?」


 シャルロットは黙してメリアを見つめた。

 メリアはきょとんとして、愛想笑いを作った。


「ごめんなさい。特にそういった意図はありませんでした。どうやら、聞いてはいけないことを聞いてしまったようね。ここまでにします?」

「あ」


 シャルロットははっとした。

 流石に顔に出過ぎていた。


「ごめんなさい! そんなつもりは」


 とすぐに慌てながらも謝るが。

 メリアの表情は変わらず申し訳なさそうだった。


「いえいえいいんです。聞かれて困る事を聞いてしまいました。私の悪い癖ですね。反省します」

「そんな、お気になさらないでください」


 シャルロットはやらかしたと思った。

 確かに『聖都』の話に神経質になるのはリスクヘッジとして正しい。

 だが、勘繰りすぎた。

 シャルロットは思いっきり後悔する。

 あああと心の中で頭を抱え、実は打たれ弱い精神がぽろりと泣きそうな寂寥感が、しきりに襲ってきた。


「うふふ、でも意外でした」

「……え?」


 シャルロットが落ち込んでいると、ふとメリアは血相を変えて呟いた。

 それにきょとんとしたシャルロットは彼女と目を合わせると、

 メリアは右手を口元に添え、細目になって心から楽しそうに笑った。


「あなたがそんな怖い顔するなんて、ちょっとドキドキしちゃった」

「……あ、はは。そうでしたかね?」


 彼女の態度に安心したシャルロットはそう訊く。

 メリアは「うんうん」と笑みを添えた。


「いいシャルロットさん。怒った顔がカッコイイ女性は、モテるわよ」

「そっ、そうなんです?」


 彼女はそう言って、席を立った。

 そしてシャルロットに金貨が入った封筒を渡してから、振り返った。


「――ええ、人の受け売りだけどね」


 片目を閉じ、人差し指を唇に当てながら、彼女はそう言って去っていった。


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