それから半年後。
辺境の街、シストは、
いや、シストだけではない、王国中の街が、喪に服していた。
「偉大なる大聖女、クラリッサ様、万歳……!」
「大聖女クラリッサ様、どうぞ我が国を末長く見守ってください……!」
神殿の鐘が鳴り響き、人々は若くしてこの世を去った、大聖女クラリッサを惜しんだ。
クラリッサの死後、国王は改めて、大聖女の位を授けたのだった。
そんな、聖女との別れを惜しむ人々の中、一人の少女が、ゆっくりと、歩いていた。
町娘らしい、ふくらはぎ丈のワンピースを着た少女は、病み上がりのようにゆっくりと歩いているが、とても整った美しい容貌をしている。
大きな瞳は、まるで海のような青だったし、柔らかい自然のウェーブがかかった金髪は豊かで、太陽の色をしていた。
残念ながら、美しい金髪は、肩のあたりでざっくりと切られていて、もし長かったら、さぞかし美しかっただろう、と思われた。
少女は足を止めると、手近な建物に背中を預けて、体を休めた。
「ふう。だいぶ歩けるようになったけれど、まだまだね」
深呼吸をひとつして、少女はまた歩き始める。
何せ、初めてのおつかい、なのだ。
少女はとある大きな商家でお世話になっていて、そのお礼に子ども達の家庭教師などをしていたが、半分遊び仲間のようなものである。
そこで、少しずつ家の手伝いもできるようにと、今日は街へのおつかいを買って出たのだった。
「よし、角のパン屋さんで、子ども達の大好きなおやつを買ってと。それで完了ね。さあ、家に戻りましょう。さすがに疲れたわ」
少女は苦笑しながら、再び、人の流れに混ざって歩き始める。
とはいえ、この騒ぎだ。
王都では、大聖女クラリッサの葬儀が今日営まれるとのことで、辺境の都市であるシストも喪に服し、大変な騒ぎになっていた。
その時。
少女は誰かにぶつかった。
「おう、危ねえな、姉ちゃん」
頭の上から、低い声が落ちてきた。
「ひゃっ……」
思わず、情けない声が、少女から出る。
目の前に立っているのは、明らかに騎士崩れか何かの、ガラの悪い、腕っぷしの強そうな大男だったからだ。
(まず……っ!! でも、誰も助けてくれる人はいないし、それに、わたくしはもう、魔法は使えないっ……)
焦って、冷や汗をだらだらと流していた時だった。
「この人は、私の連れです」
涼やかな声が、背後からした。
思わず振り返った少女は、目をこれ以上ないほどに見開いた。
(う、そ、でしょう……!?)
そこに立っていたのは、まだ若い一人の騎士。
いや、騎士姿をした青年だった。
何よりも目を引く、鮮やかな赤い髪。
記憶にあるよりも伸びて、さらにボサボサにはなっているけれど。
そして、ちょっぴり皮肉が効くこともある、冷静な、グレーの瞳。
(まさか……!)
少女が硬直していると、赤髪の男性は、ポケットをゴソゴソと探って、金貨をさりげなく大男に渡す。
「自分、腕にはまだ自信がないんで、これで。兄さん、うまい酒でも飲んでください」
ぽん、と金貨を渡された大男もびっくりしたようだったが、兄さんと持ち上げられて悪い気はしなかったらしく、あっさりと回れ右をして、人混みの中に消えてしまった。
「は、あの、ええと?」
少女が動揺していると、赤髪の青年は、わざわざ背をかがめて、じいっと少女の顔を穴が開くほど見つめる。
一方、少女は身をよじって、せめて視線は合わすまい、と必死の努力を続ける。
「す、す、すみません。助けてくださったのは、ありがたいのですが、距離、距離が、近すぎませんかっ……」
少女は必死で抗議する。
すると、赤髪の青年は、がしっと、少女の両手を握った。
「ひゃぁあああっ! 人の話を聞いてないですね!?」
少女は顔を赤くしたり、青くしたりしながらも、もう逃れることができずに、ぷるぷると震えながら青年の前に立つしかない。
「……やっぱり、そうだ」
赤髪の青年が呟いた。
「驚かせてごめん。君のことは……知らないんだけど」
その言葉を聞いて、少女は安心するとともに、心のどこかをグサリ、と刺されたような気がした。
「
「え……」
少女はようやく、ぴたり、と動きを止めた。
「私の名前は、イーサン。……ただの、イーサンです。生まれた家を出てきたので。君の、名前を教えていただけませんか?」
グレーの瞳が、まっすぐに、少女の青い瞳を見つめている。
少女は、かすれ声で、言った。
「わたくしは……いえ、わたしは、
少女の声が、だんだん小さくなる。
クラリス、という名前を聞いて、イーサンは微笑んだ。
「クラリス」
「イ、イーサン……?」
イーサンの服のポケットには、大切に畳んだ、二枚の紙が入っている。
目覚めた時に自分の手が握りしめていたもの。
一枚目は自分宛てだとすぐわかった。
あの時、即座に母の元に駆け、母を抱きしめた。
泣き崩れた母を父に任せ、イーサンは二枚目の紙を開いた。
もう一枚は、聖女が護衛騎士のために書いたメモだった。
そこにあった言葉に、イーサンの心臓が、どきん、と音をたてる。
『辺境の街シストへ行け』
混乱した状況の中、イーサンは、ただ、それだけを信じた。
自分の部屋の中央に立つと、何かがぽっかりと失われている気配がした。
なすべき行動は明らかだった———。
イーサンは少女の手をしっかりと握りしめたまま、幸せそうに言った。
「クラリス、初めまして。君に会えて、とても嬉しいです」
* * *
辺境の街、シスト。
かけがえのない過去は失われた。
しかし、新しい思い出は、これから作られていくだろう。
「クラリス、君の名前を呼ぶと、なぜか心が幸せで満たされる」
クールなはずのグレーの瞳が、優しく少女を見つめ、イーサンはクラリスをそっと抱き寄せた。