勇者たち四人と、魔王一人。
両者の戦いは拮抗していた。
勇者たちには
この当時の俺は気付かなかったが、勇者たちの誰も『聖剣』を持っていなかったことは、特筆すべきだろうか。
それでもあながち不利とは言えない戦力をそろえているのは、魔王をまったく侮っていない勇者たちが、勝利を見据えている雰囲気から充分に伝わってきた。
魔王はそもそも強い。
第四、第五災厄を兼ねた上、魔術を極め、精霊の
だから魔術以外に『強さ』と呼べるもののないこの時代、魔王とは無双であった。
なにせ魔王に敵対すると、魔術行使のために必要な精霊が、すべて魔王に味方してしまうのだ。
精霊なしに魔術を使える魔術師はいないため、魔王へ
だが。
どうやら、勇者とその仲間の三名……始祖竜【編纂】に加護を与えられた四名は、『精霊に愛されているかどうか』を基準にして選ばれているようだった。
たとえば今は勇者となっているあいつは、昔から精霊に愛されていて、魔王が精霊のすべてを自分のもとに集めてしまっているこの時代でも、彼女のまわりには精霊がいた。
他の三名もそうなのだろう。
場の精霊の半数が、魔王の支配下から脱していた。
戦いは魔術戦となった。
炎が吹き上がり、風が吹きすさび、水の弾丸が舞い飛んで、地面はすぐに崩壊した。
魔王と勇者たち四名は用を成さなくなった地面から飛び上がり、空中を滑るように移動しながら魔術を撃ち合っている。
四名に対したった一人で応戦している魔王もすさまじいが、そもそも、魔王を敵に回して魔術戦に持ち込める四名も、ものすごい。
これほどまでに精霊が騒がしく飛び回っている光景に度肝を抜かれて、俺はまだ無事な床の上で口をあんぐり開けながら、空中戦を見上げていた。
あまりにも美しくて、目が離せなかったんだ。
高速で飛行する彼女らの周囲においすがるように大量の精霊が舞っている。
精霊の姿は観測者の
それが戦うやつらの一挙手一投足に合わせてまとわりつき、ざわめき、旋回するのだ。
たなびく光の軌跡は複雑な紋様を描き、一つの織物のように紡がれていく。
紛れもなく殺し合いのくせに、まるで五人で協力して
……各時代にもっとも美しい
この【編纂】という竜の時代にもっともきらびやかなのは、今、昼日中の中空で行われている、虹色の軌跡を描きながら紡がれるあの殺し合いに他ならない。
「どうしてだ!」
魔王の激する声さえも、空を彩る一つの糸のようだった。
「どうして、貴様らは、私が目標を達成する間近になって現れ、私の邪魔をする!?」
その声音には俺が理解できる度合いを超えて悲痛な怒りがこもっていた。
……これまでのすべての歴史を思い出した現代の俺でなければ、きっと、彼女の怒りの半分さえ理解できない。
そして現代の俺でさえも、彼女の怒りのすべては理解できない。
彼女は想像もできないほどの執着心を持っていた。
一度手にしたものを失う時、俺ならすぐに『まあ、しかたないか』とあきらめてしまう。
だってそうだろう? 取りこぼしたモノを思っても、戻ってくるわけではない。戻ったとしても、『まったく同じもの』は二度と手に入らない。
俺たちは生きてきて、そのことを自然と学習していく。
魔王の学習能力と生きた時間で、『一度失われたモノは
それでも求めるほどの【執着】。
……そこまで強い感情を抱けるのは才能で、たぶん、人類が誕生して以来、現代まで勘定に入れたって、ここまでわがままに、ここまで執念深くなにかに執着できたやつなんて、魔王をおいて他にいないだろう。
あきらめることは、大人になるということだ。
まわりの大人は、みんな、そうしている。
だから、魔王は永遠に子供なのだろう。
『大人になれ』という社会からの圧力を、ああやって力づくでぶち抜き続けた━━子供、なのだろう。
その強い感情は、勇者たちのモチベーションをねじ伏せつつあった。
精霊たちが魔王側につき始める。
始祖竜の加護を受けた四人の英雄たちには、それぞれここまで来た理由があったはずだ。
だが、そんなモノがかすむほど、魔王は
一人、また一人と勇者側が脱落していく。
空中で撃ち落とされ、あるいは精霊が魔王側についていったことで飛行の魔術を維持できず、落とされていく。
それでも彼らはただ損なわれただけではなかった。
魔王に傷をつけ、魔王に痛みを与えた。
しかもその傷は
これはここ数百年、誰にもできなかった快挙だ。
だが、傷つき血を流しながら戦う魔王は、まったくそれらを意に介していないようだった。
ついに勇者以外の三人が倒れた時、魔王は空に手のひらを向けて、巨大な
すでにヨロヨロの勇者を倒すにはあまりにも過剰な魔術。
……勇者たちがその身命を賭して戦い、今まさに最後の一人さえ倒されようとしている時に、魔王はそんな過剰威力の魔術を発現させられるほどの余裕があった。
どう見たって、魔王の勝ちだ。
俺は━━
…………ダメだ。動けない。
だいたい、戦いは空中で行われているのだ。
魔王の前で自由に魔術を使えるのは、例外的に勇者一行の四人のみ。
もし今なら……魔王が傷つき、戦いに集中して他への注意がおろそかになっている今なら、精霊が彼女の完全な支配から逃れていて、俺にも魔術が扱えたとして。
……そもそも飛行だなんていう魔術をぶっつけ本番でどうにかできるわけがない。
だから俺は、見ているだけしか、できないんだ。
……それが論理的帰結だろうに。
━━『胸を張って、生き切ったと言いたい』。
誰かの声が、頭に響くんだよ。
叶わなかった願いを叶えろと、拳に力がこもるんだよ。
じゃあ、さ。
俺は。
なにがしたいんだ?
幼馴染の勇者を守りたい?
それとも魔王によりもたらされたこの生活を維持したい?
俺がなにかができたとしたって、それは、魔術を放つ魔王の前に飛び出して幼馴染を守るか……
刺し違えてでも魔王を倒すという決意を秘めた幼馴染が、なにかをやるのを邪魔するか、どちらかだ。
なんでもはできない。
だって、才覚がないから。
………………でも。
夢を叶える才覚がないっていうのは、夢を追っちゃいけない理由には、ならないんだよな。
現実と折り合いをつけて
俺はどうやら、まだ、子供のようだった。
自分の言葉と誰かの願いに後押しされて、俺は地面に向けて風を放った。
飛行とはとても呼べない、不細工な飛び出し。
持てる力を全部速度に注ぎ込んだ俺は、一瞬あとに着地について考慮しなかったことを強烈に後悔しながら、そんな
飛び出した時点の俺には明確な目標なんかなかった。
ただ、ふわふわした方向性だけがあって、それを叶える手段も、叶う目算もなかった。
じっとしていられない、どうしようもない気持ちだけがあって、それはまだ、言葉としてさえ固まっていなかった。
だから、吹き飛んで魔王と勇者のあいだまで到達し、そのまま放物線軌道で落下していくまでの、最高点での一瞬、俺は━━
「話し合おう!」
━━自分でもなに言ってんだコイツ、と思うようなことを言いながら、落ちていくのだった。