その後について語るのはかなりおっくうで、この当時の俺の人生は魔王が倒れた時点で終わってしまったのではないかと、そんなことさえ思ってしまう。
勇者は俺を連れて村に
どうにもみんな、『魔王がいた歴史』と『魔王がいなかった歴史』の双方を記憶していて、それに困惑し、なんとも言い難いモヤモヤを抱えていたらしい。
これはそのうち統合されて
勇者は魔王を倒したと、みんなに述べた。
『あの魔王を』と信じがたい様子の人々だったが、次第に精霊が世界に満ちていくので勇者の言葉を信じたようだ。
ただし、日に日に『魔王』の正体について、その正確な記憶が人々から失われているようだった。
十日もしたころにはもう『魔王』の具体的なエピソードを誰も語れなくなっていた。
魔王が発布した『貴様らは私の所有物だ』というお触れも、なぜこの世界で魔術研究だけがこんなにも人々に『夢』と認知されるにいたったかも、すべてすべて、失われていく。
ただし、魔王という名前の━━その名前さえ勇者が口にしなければ消え去ったようだが━━『怖くて逆らえないなにか悪いもの』がいた印象だけは残っているようで、それは勇者の功績を讃えるうちに、色んな姿を帯びていった。
あるいは巨大な狼だったり。
あるいは第一災厄の遺産たる魔物どもの集合体だったり。
とにかく『人に害を成すもの』というふわふわした
勇者と俺は、結婚することになった。
……俺たちのあいだにあるのは……あったとしたって……友情であって、愛情ではないと思う。
けれど俺もこの時代のならいとしていつまでも独り身でいられないぐらいには圧力がかかっていたし、勇者も勇者で『興味がない』で通すにはその血脈があまりにも惜しまれすぎた。
……なにかを成す英雄がなにかを成せるのは、血脈に力があるからだという考えがあったのだ。
血脈。
つまり、『自分にはないもの』。
勇者を血脈で持ち上げる人々はようするに、自分は
特別な人と自分とのあいだに、不可抗力的な差異をつけて、自分がなにも成せない理由を自分じゃどうしようもないものに求めているのだった。
『自分は普通なんだから、普通なりの生き方をするのが最善で』
『普通じゃない偉業を成す特別な人と自分を比べるだなんて、まして、自分でも偉業を成しうるだなんて思い違いをするのは、愚かなことだ』
……そうやって自分の現状を『どうしようもないもの』のせいにして、自分を身の程を知った賢明な大人だと定義して。
特別な人には、当たり前のように、責任を求めるのだった。
だから勇者はその圧力に負けて血脈を残さざるを得ず、男の中じゃ俺が一番マシだったということで、俺と夫婦のようなものになった。
偽装というか、ごっこというか、そういうものでしかなかったけれど、続けていくうちに互いに愛着も湧く。
もともと仲は悪くなかった。
……一度勇者のもとから失われて魔王に所有された俺は、かつて、勇者だけとともに遊んでいたころの俺とは別物になってしまったけれど。
それでも、彼女のことをよく知っていて、彼女のあらゆることを受け入れられるのが、俺だけだった、ようだ。
……俺たちの関係は、さほど変わらない。
けれど、魔王が死んだ……『なかったこと』になったあの日から、俺たちはどうにも、ギクシャクしている。
そのギクシャクは普段しゃべっている時にはどこかに消え去っていて存在を意識させないけれど、ふと沈黙がおとずれたり、なにか互いに機嫌を損ねるようなことをしてケンカが極まった時なんかに現れて、あの日の空気を俺たちに思い出させた。
「……助けに行かない方がよかったのかな」
怒り、叫び、それが最高潮に達したあと、急にしぼんだようになった彼女は、決まってこんなことを言う。
こうなると俺は彼女を悲しませたくない気持ちにせっつかれて、必死に彼女が助けに来てくれたことへの感謝を述べる。
けれど、その感謝の奥底には、どこか空虚なものがあるのも、無視できない事実だった。
俺はあの日、魔王にさらわれた。
幼馴染はあの日、俺を助ける決意をした。
影に潜んでいた(追い出されるのを察して隠れていたらしい)
身体能力などを強化する加護を授け、三人ほど仲間を集めるよう助言した。
魔王の監視の精霊があちこちに放たれていたことに気付いてからは、定期的に自分の権能で影をまとわせ、『その場所にいない』ことにした、らしい。
そうして、それぞれ魔王に思うところがある三人の仲間を募り、魔王の居城へと向かい……
あとは俺も、知っての通りだ。
勇者は魔王を倒した。
力を貸していた始祖竜は、その加護を回収し、どこかへ去って行った。
概要だけ語れば『めでたし』で間違いのない、輝ける英雄の旅路。
……だから、この旅路にいらないのは、魔王側のエピソードだ。
魔王は絶対悪でいてくれないと、
事情を知ってしまえば解釈の幅が生まれてしまう。
なにかを完璧にしたければ、その『なにか』について語らないのが一番いいのだ。
俺は魔王について知りすぎたあまり、彼女の方に心が持っていかれている。
……もちろん完全に魔王の味方というわけではないけれど。
時が経って、誰も魔王の本当のことを覚えていなくなって、好き放題に魔王が悪し様に語られるたび、俺の中で『そんなことはないぞ』という、かすかで必死な叫びがあがるのだ。
……ある日のことだ。
姿を消した始祖竜が唐突に現れた。
その時にはもう俺と幼馴染とのあいだには子供もいた。
家族三人で出迎えた俺たちを見た始祖竜は、赤ん坊をながめてかすかに、悲しげに、笑い、
「勇者にはがんばってもらったのに……『災厄』が出ちゃいました」
悲しそうな彼女は、よく見れば、その存在感が希薄になっているようだった。
つまり、災厄が出たからかつての勇者に協力を求めに来たのかと思ったが……
「いえ、災厄はもう倒れました。……ごめんなさい。【編纂】はこの世界を守りたかったのに。せっかくみんなががんばってここまで来たのに……でも、第六災厄も出ちゃったし、【編纂】ももうすぐ死んじゃうし、この世界はもうおしまいだよ……」
滅びの危機が迫っているというのは不吉な予言だった。
【編纂】はべそべそ泣きながら色んなことを語ったが、その多くが愚痴であり、とりたてて気になる情報は、現在の視点から見ても見つけられなかった。
彼女がもっとも多くこぼした『世界が終わる』ということについては、きっと重要な情報ではあるのだろうが……
……【編纂】はその日、うちに泊まった。
そして久々に、勇者だった彼女とともにベッドで眠り(かつてそうしていたようだ)、朝になると、髪の毛の一本さえ残さずに消えていた。
「……なんか、不吉な予言だけ遺して逝ったな……」
世界が終わるとはどういうことかとたずねても、『世界が終わるというのは、世界が終わるということです』としか答えなかった。
それは秘密にしているというより、それ以外に答えようがないというか、例の【編纂】の話し下手のせいともあながち言えないぐらい、他に言いようがない感じでもあった。
ともあれ不気味な言葉だけ遺された俺たちはその後しばらく怯えて過ごしたのだが、子が十歳になろうが二十歳になろうが『世界の滅び』は訪れることなく暮らしは続き……
俺が六十歳になって死ぬころ、『そういえば、世界の終わりとはなんだったんだろう』と思いながら息を引き取った。
……どうにもこれが、『最後の竜の時代』らしい。
これ以降の記憶は未だよみがえっていないが、まあ、【編纂】がなにかを勘違いしていたのだろうということだけは、わかる。
だって、世界は続いており、俺たちには『現代』があるのだ。
だからきっとヒトには関係のない規模の話であり……
始祖竜七姉妹のうち五柱までが亡くなってしまったことを指して『世界の終わり』だなんて表現を使ったんじゃないかと愚考するのだが……
そこのところ、どうなんでしょうか、【静謐】さん?