王立学園卒業パーティー会場の踊り場から冷ややかな目で公爵令嬢を見下す鬢髪碧眼褐色の肌のミラルタ王太子とその王太子の隣でうっとりとした目で貴族とは思えない恥さらしな格好で佇むピンク髪の男爵令嬢
「ティレスタ公爵令嬢!隠れてないで我が前に出て跪け」
自分の口から出てくる愛する人を卑下する声に心を斬りつけられる
(やめろそんな言葉をティレスタに言うんじゃない!)
『もういいかげん諦めろよ』
私の体を乗っ取った名前も知らない男嘲笑う心の声、この声は俺にしか聞こえない
名を呼ばれたティレスタ嬢は前に出て跪き
「はい…ミラルタ殿下何用でございましょうか」
自分の顔が意識とは裏腹に卑下た笑みを浮かべ好きでもないピンク髪の女の腰に手を当て引き寄せる、ピンク髪はまんざらではないといった様子ではだけた胸元を王太子に押し付けている
まるで安っぽい娼婦の様な出で立ちと態度にその場に集められた次期宰相にと名高いティレスタの兄クレルマン公爵令息を始めとした貴族令息・令嬢たちは冷ややかな目を浮かべているのだが勘違いでもしているのか皆私の虜だとでもいいたげにドレスのスリットから太ももを王子の足に絡ませている
それが更に嫌悪に繋がっているとも知らずにだ
「貴様は公爵令嬢という身分をいいことにこのバナーディア男爵令嬢に対する数々の嫌がらせ、挙句の果てにはその生命まで狙おうとしたと言うではないか!その罪は断じて許されるものではない。」
(彼女がティレスタがそんなことするわけがない)
自分の口から出る彼女を避難する声が耐えられない
「殿下、そんな…わたくしはそんな事をしておりませぬ、全てはバナーディア嬢の」
「うるさい!そのような行いをしておいて我が后になろうとは嘆かわしい!…」
(うるさいのはお前だ!ティレスタは何も悪くないやめろ!やめるんだ)
『嫌だね、こんな楽しい事やめるわけがないだろ、それにどうせもう何も出来ないんだ引っ込んでろよヒャハハ』
人の心を弄ぶのが心底楽しいと思っている俺にしか聞こえない悪魔の如き笑い声
呼び出され言われたとおりにひざまずく彼女はそれでも殿下を愛していた
私、ティレスタは転生者だそして私はこの世界を知っていた、もうタイトルもメディアも自分の前世の名すら思い出せないけれど私という存在はこの世界の王太子の婚約者になるのだということだけはなぜか覚えていた、覚えていたと言うよりも心に刻まれて居て決して忘れさせてくれない悪夢だった
悪夢の中の私は気に入らないことが有れば癇癪を起こして暴力を振るう
相手が大人でも気にしない公爵家に産まれた力を容赦なく悪い方へ使っていくのだ紅茶が少し服に掛かったというだけで注いでくれた侍女の顔に熱い紅茶を掛けてクビにしたのだ
その侍女は現実には紅茶も掛けられていないし私を大切に思ってくれている
でもいつか悪夢の中の私が外に出てきてしまったら…そんな恐怖にいつも怯えていた
そして悪夢の私はミラルタ殿下の婚約者に決まり王家の権力を傘にきて更に我儘をエスカレートさせていき、ついには隠れて国庫にまで手を付けその証拠がふとしたきっかけで下級貴族の女の子、主人公のバナーディア男爵令嬢に証拠が渡ってしまうのだ
慌てた私は彼女に罪を着せ殺害まで企てたがバナーディア男爵令嬢は苦難を乗り越え私の悪事を白日の下に告白するといった話だったと思う
最後も往生際悪く道連れに王太子を殺そうとする私からバナーディア嬢はその美貌に傷を負いながらも王太子を助け、私はそのまま闇に飲み込まれて死んでしまう、何がきっかけで闇に飲まれたのかも闇が何によってもたらされたのかも悪夢は思い出させてくれなかった
だからティレスタは王太子に逢うまい、逢ってしまってもきちんとお断りをさせていただくのだ…そう思っていたのにミラルタ王太子は優しかったでも事情を話せない、話してしまったら頭のおかしい魔女か何かだと思われていたでしょう
頑なに殿下を避ける私の事など嫌いになってくれればいいのに…そう思って泣いていた私に
「絶対に君を悲しませない、だから泣かないで」
そう言って優しく抱きしめてくれた殿下、その優しさに触れ私も前を向くことを決めたのだ、どんな困難もこの方となら乗り越えていける、そうして正式に婚約者になり殿下と共に歩んできた…それなのに
ティレスタは思う。いつの日からでしょう…殿下が変わられてしまったのは…五才になり初めてお逢いした時は人見知りで、でも赤くなりながら右も左も解らない私の手を引いてお城の中を教えて下さった殿下…私が笑うと殿下も微笑まれて…七才のときに頂いた対になる右腕にはめた誓いの腕輪を見せて
「お揃いだね」
とはみかみながら言って微笑まれた殿下…
そんな殿下が十二才になり学園に入学されて一年経ったある日、原因不明の病に倒れられて十日も目を覚まさなかった、私は殿下の苦しみを少しでも癒やしたいと…失いたくないと必死に看病をした。ミラルタ殿下が目を覚ますまでいくらでも待とうと思った
ミラルタ殿下が目を覚まされたときは嬉しさが止まらなくて泣いた…でも目を覚まされたミラルタ殿下は何かが違った、最初はちょっとした違和感程度に思えたそれは日を追うごとに増して行き、そして心まで離れて行っていることに気づきたときは悲しくて人目を忍んで部屋で泣いた、心を引き留めようとしてもしても離れていく心に荒みそうになる時は誓いの腕輪を見て耐えてきた
(やめろ…やめてくれ!!)
『チッ!ここまで来てもしぶてぇやつだな無駄だと言ってるだろう。そうだお前にはまだ言ってなかったな、ティレスタ嬢は今日此処で死ぬ予定だったらしいぜ、それかティレスタ嬢は炭鉱送りで慰み者になった挙げ句、頭がイカれて死んじゃうんだよねぇ~あっ!どっちにしても死んじまうんだ炭鉱に送る前に俺が抱いて女にしてやろうか?なんていうの思い出作り?して上げる俺ってやっさし~自分で自分を褒めてあげたいね~』
彼女が慰み者?女にしてやる?許さない、絶対に許さない!
もう何年も想いとは裏腹な行動し続けた身体に折れ掛かっていた心に激情の炎が灯る
「今この場で私はここでお前との婚約を即刻破棄し(許さない)また非道な目に遭ってもそなたをかばおうとしたバナーディア男爵令嬢と…婚約を結びなおすことを宣言する。お前は…(させない)未来の王妃を害そうとしたその……(させない!)…(絶対に彼女を殺させない!)」
さっきまで自分に酔いしれ雄弁と語っていた顔が苦痛に歪む
「ミラルタ殿下…大丈夫でございますか…」
その後に続く殿下の言葉次第で己が身、いや公爵家自体が滅ぶかもしれぬ身でも目に涙を浮かべ殿下の身を案じるティレスタ
「ミラルタなにしてんのよう、そんな溜め要らないからチャッチャと断罪しちゃいなさいよ」
バナーディア男爵令嬢の余りの物言いに貴族令息・令嬢たちから一つまた一つと小さな非難の声が上がりやがてそれは大きな声と成り
「ティレスタ嬢はその様な、お前のようなはしたない事など一度たりとしてやっていない!」
「そうよ!むしろティレスタ嬢は忠告する令嬢たちを諌め、その無礼な男爵令嬢から遠ざけて下さったのよ!」
「ティレスタ嬢を護れ!」
「ティレスタ嬢を護れ!」
令息・令嬢たちの声はシュプレヒコールとなり会場は修羅場どころか国を揺るがす騒動に成りかねない様相を見せる
(良かったまともな臣下達に成れる令息・令嬢たちばかりだ…これならば)
『良くねえよ!てめぇのせいで台無しじゃねえか!最後の最後でしゃしゃり出てくんじゃねぇよ大人しく。どいつもこいつも盾突きやがって全員処刑してやる』
「な、なによ私は王妃になるのよ!あんたたちなんて必要ないんだからミラルタこんな奴ら要らないわ、目障りだから早くひっ捕らえて炭鉱送りにして頂戴!!」
その言葉が更に火に油を注ぐ
「何たる侮辱!貴様は王妃にでもなったつもりか!此奴を王妃に据えるのならば今はまだ身は令息・令嬢なれど我々貴族家は王家に仕える義を捨てる覚悟だ!」
普段は貴族としての振る舞いを見せる周りの令息たちもそうだ!とばかり鼻息を荒く吠える
あまりの剣幕に日和った
「黙れ黙れ!己の身が惜しくないのか、処刑だぞ…」
そう言うが覚悟が決まっている令息達、苦し紛れの戯言に怯える者など誰も居ない
「さきほど覚悟は決まっていると私どもは殿下に申したはず、殿下も王家の血を継ぐものとして覚悟して発言されよ」
吐き捨てるように告げた兄クレルマンをティレスタ嬢が手で制し騒ぎを収めようとした姿に安心したのか偽物は
「なんだ、やっと自らの罪を認める気になったのか?」
「殿下お返ししたい物がございます。お側に寄ってもよろしいでしょうか?」
ニヤニヤとした端正な顔に似合わぬ卑下た笑みを浮かべる殿下の顔とは別にもう一つ苦悶の表情で歯を食いしばって耐えている殿下の顔がティレスタの目に映る
やはり殿下は…幼い時から共に育んできた絆がティレスタに確信させた。踊り場まで着いたティレスタが懺悔するように言葉を紡ぐ、それは小さい声であるにも関わらず凛としてまるで頭に直接語りかけるように会場に居た者たちへ伝わる
「長い間気づいて差し上げられなくてごめんなさい、殿下をお一人にさせてしまってごめんなさい、お願いミラルタ様の中から出て行って頂戴」
「貴様何を!」
その言葉に慄き身を翻して逃げようとする偽物の右腕を両の手でティレスタが捕まえる
互いの誓いの腕輪が白く輝き偽物のミラルタが狂ったように叫ぶ
「イタイ!イデェ!ヤメロォォ!オレハヤットシアワセニナルンダァァジャマヲスルナァァァ!!バナーディアーーーーーー!!」
苦しみ悶えるミラルタの体から、どす黒い靄が浮かび上がり令嬢たちから悲鳴が上がる
呆気にとられていたバナーディア男爵令嬢も異変に気づき
「やめなさいよ!私はこの世界のヒロインなのよ!あんたなんか悪役令嬢なんだからさっさと退場しなさいよ」
腕を離さないティレスタにバナーディア男爵令嬢が手をあげてもティレスタは怯まない
「返して…」
「やめろって言ってんでしょうが!」
止めようと階段を駆け上がる兄のクレルマンよりも速くもはや令嬢とは思えない形相でティレスタを殴ったバナーディア
ティレスタは顔を殴られ左の瞼の上が切れ美貌を血が流れ落ちる。離れないティレスタに業を煮やしたバナーディアがどこに隠し持っていたのかナイフを取り出した所で間一髪、クレルマンがバナーディアを羽交い締めにして取り押さえてる。それでもキーキーと獣のように暴れている
「私のミラルタを返して!!」
流れ出る血をものともせずどす黒い靄へ向かってティレスタの心の叫びが放たれる
「イヤダァ!イヤダァァ!バナーディアーー」
輝きを放つ白い光に包まれミラルタから引き剥がされていくどす黒い靄は苦し紛れに靄を伸ばしバナーディアの足を掴む
「やだ!なにしてんのよ気持ち悪いもので触れないで!離しなさいよ!私は王子と結ばれるのよ!嫌!あんたみたいなバケモノ!!」
この叫びに呼応するように靄の掴む力は強くなりバナーディアの足はミシミシと音を立て血流が止まり青黒くなる
「誰か!誰か助けてモブでもなんでもいいから!お願い!助けろって言ってるで…たす」
どす黒い靄に引きずり込まれ夢を見すぎた少女は靄とともに闇に飲み込まれ消えた
静寂
あまりの出来事に身体が硬直していた令息たちも我に帰り踊り場へと駆けつけようと動き出す
「静まれ!」
クレルマンの声が一括し令息達が動きを止める
「殿下!ミラルタ殿下!」
緊張の糸が切れたティレスタが死んだように横になっているミラルタを泣きながら抱きしめる
踊り場から聴こえるティレスタの嗚咽に誰も動けず会場も沈痛な空気に包まれていた
ティレスタの体を誓いの腕輪をはめた右腕が包み込む
「もう一度…もう一度、君の声で名を呼んでほしい…」
「殿下~!ミラルタ殿下ぁ」
ティレスタの涙と頬を伝う血がミラルタの頬に落ちる
傷に触れぬようミラルタの右手が優しく慈しむ様に血と涙を拭う
「すまない…ありがとう…たくさん…沢山君を傷付けてしまった…君を悲しませないと誓ったのに、まだ償わせてもらえる時間は残ってる?」
「殿下」
「ミラルタだよティレスタ。僕の妃は君しか居ないんだから」
ミラルタは両腕でしっかりとティレスタを抱きしめる
「ミラルタ…様、お願いがあります。」
呼び慣れなさと嬉しさと恥ずかしさからか様が着いてしまったわ…
「様も要らないんだけど…」
「ミラルタ…」
小声だけどしっかりと告げる
「お願いだからもう離さないと誓って」
「ああ、絶対に離さないよ」
ミラルタは立ち上がり、そっと手を差し出しティレスタも手を取り立ち上がる
「ティレスタ、僕がもし王太子で無くなったとしても一緒に居てくれるかい?」
「そんな事くらいで諦めるのならこんな事してません。何年待っていたと思っているんですか私筋金入りの我儘悪役令嬢なんですから」
その我儘は私にとっては褒美じゃないのか?少し拗ねた様な表情のティレスタもかわいい
姿勢を正したミラルタは眼下で見守る将来の臣下たちに向かって
「私が不甲斐ないばかりに多大な迷惑をかけた、皆すまなかった」
そう言って皆に頭を下げる
次期国王の頭を下げる姿に令息令嬢達は跪き頭を垂れる
「面を上げてほしい、皆の見たように不甲斐なくもこの身を乗っ取られ、国を揺るがすあるまじき醜態を晒してしまった。私はもう一度この身を王に皆に委ね、次期国王に足るかどうか見極めてもらう、不服のあるものが居れば申し出てほしい、不服が有れば今この場にて我が身の廃嫡を王に願い出る覚悟だ」
誰一人として不服を申し出るものは居なかった
「さて、王太子様、私の可愛い妹の願いの誓いはどうされますか?」
少し嫌味っぽくクレルマンが聞いてくるが散々迷惑をかけたのだ受け入れよう
「そうだねクレルマンには…いや皆に誓いの証人として見届けてほしい」
ミラルタは闇に飲まれ所有者を失い床に落ちていたナイフを拾い上げ…
自分の左の瞼の上を切った
「きゃっ!」
突然の行為にティレスタが悲鳴を上げたかと思うと
「なんで突然そんな事するんですか!!」
大きな怪我ではないのでそんなに怒るとは思って無くてたじろいだけど
「ほら、お揃いが増えた」
「もう!馬鹿なんだから…もう知らない!」
本当は傷を負い目に感じてほしくなかったから、彼女の傷を見るたびに僕を救ってくれた人なんだってその傷は彼女の誇りで美しいものだから
彼女を抱きしめながら
「ねえ、ティレスタ」
「なあに、ミラルタ…」
僕はまた様をつけそうなティレスタの唇にキスをして塞いだ。