【8月1日 計画の全貌:塚原 祐介】
「まず、1つ目の目的はお金。ボクはこんな身体だからね、普通には働けない。だから、お金を稼ぐシステムを構築する必要があった。勿論、そのお金はゆうちゃんの為のお金。2人でお城みたいなお家に住んで、美味しいご飯を食べて、好きなお洋服を着て……幸せな生活をする為の資金。学校にも仕事にも行かなくても、一生2人で幸せに暮らす為のお金が必要だった」
優姫が計画の全貌を語り始める。
それはあまりにも子供染みた、身勝手な理屈だった。
そんな理由で、これだけの人間を傷付けて人生を狂わせたのか。壊したのか。到底理解が出来ない。
「そして2つ目は、ゆうちゃんに壊れて貰うため。日々周りの人間が凄惨な事件に巻き込まれていき、最終的にはその犯人が実の妹だと明らかになる……これ以上ないくらいの『絶望』だと思わない? 本来のフィナーレなら、あんちゃんに全ての罪を自供させ、ゆうちゃんの目の前で自殺させるつもりだった。一生消える事のないトラウマを植え付けて、ゆうちゃんを完璧に『壊す』予定だった。最大の恋敵を殺せて、尚且つゆうちゃんを『壊せる』完璧な計画だったのに……計画が狂っちゃったよ。だって、ゆうちゃんがあんちゃんを殺しちゃったから」
耳を覆いたくなる凄惨な計画を、優姫は満面の笑みで俺に語る。
杏奈は既に……優姫にとっての駒に過ぎなかったのだ。教祖である優姫が『御利益の為』と自殺を命じれば、杏奈は恐らく躊躇いもなくそれを実行しただろう。
そして、それらの目的は……全ては俺を『壊す』事だと優姫は語った。
「そん……な事で、みんなを傷付けたっていうのか……俺を壊す? 何言ってんだ……?」
くだらない……あり得ない。そんな事があるか。
それだけの動機で、ここまでの事を?
「ボクにとってはそんな事じゃないよ。自分のたった1つの夢を叶える為に、やれる事をやっただけさ。だって壊れたボクを愛して貰うには……ゆうちゃんにも同じくらい『壊れて』貰わなきゃ駄目だって分かったから」
杏奈は……その叶わない、くだらない夢のために、多くの人たちを理不尽に傷付けてきたっていうのか。
俺のサッカー生活において障害だった西崎、俺を弄ぼうとした峰岸。そいつらを……杏奈が、いや、優姫が……。
「まともな神経で、ボクみたいなゴミを愛せる? 愛せないよね? こんな醜く汚されて、1人じゃ何も出来ないボクなんて。だったら、ボクを好きにならざるを得ない世界をボクが作るしかない。嫌でもボクを選ばなきゃいけない世界を作るしかなかった!」
「……ふざけんな」
「……?」
「ふざけんな! 全部、お前のせいで!」
俺は我慢の限界だった。怒りに任せて優姫に思い切り殴り掛かる。容赦ない攻撃に優姫は車椅子から転げ落ちる。そして、俺はその白い頬に思い切り拳を叩き込んだ。
「……ふふ、もう痛みなんか忘れちゃったよ」
「……っ」
優姫はまるで痛みを感じていなかった。表情も全く崩れていない。まるで身体の神経が全く作用していないようだ。
「っは……はぁ……」
後悔は無かった。昔なら優姫を殴るなんて事は絶対に無かっただろうが、今のこいつはもう優姫じゃない。優姫の形をした化け物なんだ。
「うーん……でも全部をボクのせいにされるのは心外だなぁ。確かにボクはあんちゃんを狂わせたけど……これはゆうちゃんのせいでもあるんだよ?」
「……何が言いたい」
「現実から目を背けて、逃げ続けたのはゆうちゃんだよ? あの日、あの時、少しでも現実と向き合って、ゆうちゃんと感情を共有していれば……こんな結末にはならなかったかもね?」
すると優姫は狂ったように笑い始めた。まるで頭のネジが飛んでしまったかのように。
「昔からゆうちゃんはそうだったよ! 嫌な事は見ない、聞かない、知らない……そうやってずっと逃げて来た結末がこれだよ! ご両親の死を直視出来ず、祭壇に手を合わせる事もしない! あんちゃんの異変を感じながらも、本気で現状を変えようともしなかった!」
「黙れ! 黙れよ!」
「あの時、ご両親の死から目を背けず、あんちゃんと悲しみを分かち合えていれば! あんちゃんの異変に本気で向き合っていたら! もっと、もっと話を聞いてあげていたら!」
優姫は大声で俺を罵る。
本当にそうなのか? 俺がもっと、悲しみや苦しみに向き合い、杏奈と共に背負う事が出来たら……
杏奈は狂わなかった?
違う、違う。俺はやれる事はやった、悪いのは……目の前にいる優姫じゃないか。
頭の中の雑念を振り払い、もう1度優姫の顔面を殴り付ける。
「狂ってる……お前は! 俺の知ってる優姫じゃない!」
「うん、とっくに狂ってるとも。あんな汚物に塗れた部屋で汚らわしい、醜い男に虐待され続ければ嫌でも狂うよ」
「お前は……今のお前は糸田と一緒だ! 自分の欲望のために……こんな、こんな事を!」
「何とでも言ってくれて良い。でも……正攻法でこんな醜いボクを……ゴミみたいなボクを、ゆうちゃんは心の底から愛してくれたかな? こんな、こんな醜いボクをさ」
優姫はそう言って自ら手をぎこちなく動かしながら服を脱ぎ捨て始めた。
服に隠されていたその身体……それは火傷、切り傷、擦り傷……数えきれない程の生々しい虐待の痕跡の数々だった。
「っ……」
「ほらね? 今、思ったでしょ。醜い、汚い、気持ち悪い、化け物だって」
「そんな事は!」
嘘だ。俺は一瞬でも思ってしまった。俺の知ってる優姫はこんなのじゃない。なんて、醜い身体なんだと。
「口ではそんな事言ってくれても……それは好きじゃなくて同情。ボクが欲しかったのは……ゆうちゃんからの愛。同情だけで好きだなんて、上辺だけの言葉なんか今更いらないんだ」
そう言って優姫は俺に顔を近づけてきた。あと数センチで触れてしまうくらいの距離、こいつは……俺にキスをしようとしている。
「身の回りの人間をみんな不幸にして、挙句の果てに実の妹を殺した……そんなゴミクズみたいなゆうちゃん、もう誰も相手にしてくれないよ。でも、大丈夫。ボクは、ボクだけはゆうちゃんに何があっても、愛し続けるから」
そう言って、優姫は静かに俺の唇にキスをした。
「さぁ、ゆうちゃん。君の味方はこの世界でたった1人、ボクだけ。もう、ボクを愛する以外に選択肢は無い。妥協でも、嫌々でも良いから……ボクを選んでよ。ボク以外……もう誰もいないんだから」
「……うわあああああああ!」
俺は優姫を押し退け、部屋を出て玄関へと必死に走った。もう、何もかもおかしい。みんな狂ってしまったんだ。
リビング、廊下を一気に駆け抜ける。そして、俺はやっとの思いで玄関に辿り着いた。真っ暗な玄関。しかし、そこには人影が既にあった。
長身に筋骨隆々な体格……間違えない、和彦だ。
「……かっ、和彦」
杏奈の死体を遺棄し終わって帰って来たのか。やっと、やっと俺の味方になってくれる奴が帰って来てくれたと思った。
俺は泣き出しそうな勢いで和彦の足元に転げ込み、和彦にしがみ付きながら半泣きで助けを請う。
「たっ、助けてくれ! みんなおかしいんだ! お、お前だけは……お前だけ俺の事……」
「……優姫の事を、愛しているか?」
しかし、和彦から発せられた言葉は……俺の希望を打ち砕いた。
「は……っ?」
「愛しているかどうか、それだけを答えろ」
和彦は今までで見た事も無いような怖い顔をしていた。鬼、悪魔……例えようのないくらいに恐ろしい。
「……お前もかっ! くっそおおおおお!」
俺は和彦を殴り倒してでも外に出ようとする。
しかし、体格では和彦の方が圧倒的に有利だ。俺の一撃は簡単に交わされ、カウンターで強烈な一撃を腹に食らった。
「……うっ……が……」
激しい痛みに耐えきれず、俺はその場に倒れ込む。朦朧とする意識の中、遠くからあの悪魔の声が聞こえる。
「……ゆうちゃん? 誰が好きなのか、正直に言ってごらん?」
聞いただけで胃液が逆流してきた。聞きたくない聞きたくない!
「た、助けてくれっ! ……そうだ! 杏奈! どこにいる、杏奈! 早く助けてくれ! お、俺を……妹なら、俺を助けてくれぇ!」
俺はもうこの世にいないはずの妹の声を必死に叫ぶ。
もう、何も考えられないんだ。視界はぐちゃぐちゃだし、聞こえてくる声も全部が騒音に聞こえる。
いや、正確にはぐちゃぐちゃな世界の中でも、優姫だけが美しく見える。可憐に見える。綺麗に見える。何故か騒音の中でも優姫の声だけが美しく、鮮明に聞こえる。
「……ごめんね、ゆうちゃん。もう諦めて。この世にはもう唯一の肉親もいなければ、妹殺しの殺人犯を受け入れてくれる場所もない。外に出たって、殺人犯として一生後ろ指を指され続けるだけだよ? だったらさ、ボクと一緒に逃げようよ。そしたら、ボクは死ぬまでずっと隣にいてあげるから」
和彦に支えられながら、優姫は俺の頭を撫でる。
俺が杏奈や峰岸にしてやったように、優しく撫でてくれる。
その瞬間、不思議と心が救われた気がした。
「……祐介」
和彦の声も、最早ノイズか何かにしか聞こえなくなった。ただ、ものすごく悲しそうに聞こえたのは確かだった。
けど、今の俺にはもうどうでもいい。
ああ、そうだ。今の俺の世界には……優姫しかいないんだ。この世界に俺の味方をしてくれる人間なんて、もういない。
だって俺は……最後の肉親すら守れず、それどころかその肉親を手にかけた殺人者だ。
「は、はは……そ、そうだよな……俺にはもう何もない」
そうか、そうか……杏奈には世界がこうやって見えていたんだ。あいつにとって……俺以外の全てがゴミの山で……あいつはそれを俺のために処理してくれただけなんだ。
もう、逃げ場なんてない。
早く、ここから逃げ出したい。
「俺は、俺は……」
「うん……良いよ、ボクを選んで」
最後に、俺の視界に美しい優姫の笑顔が映って、決心が付いた。
俺はその場で自らの舌を渾身の力で噛みちぎった。