「ああ、ごめん。食べ過ぎたから喉が渇いたよね? 口元も汚れているし、飲み物も用意したんだ」
「……っげほ!」
あの地獄のような食事の後、男は水分補給だと言ってうずくまっているボクを叩き起こした。
そして、そのまま首根っこを掴まれて部屋を引きずり出される。
「いやっ……もう嫌……許して、ください……」
「大丈夫だって。熱湯とか腐った水とかじゃないから安心して。ちゃんと冷やした美味しい水だから」
「……っ」
小柄なボクの身体を引き摺り、男は別の場所へと移動する。この男が用意するものがまともなわけがない、未知の恐怖に身体が震える。
「ほら、水はここにあるよ。立って」
男はボクを引き摺り起こす。ボクは改めて自分のいる場所を目を見開いて再確認する。
そこは、浴場だった。薄暗く、妙に寒い。
「……なんで」
「ほら、こんなに沢山用意したんだ」
男が浴槽の蓋を開くと、そこには浴槽いっぱいに冷水が貯められていた。
とてもじゃないが、人1人が飲み干せる様な量ではない。
「ほら、冷水だよ。暑くて喉も乾いただろ? 好きなだけ飲んで」
男は満面の笑みで言った。もちろん、ボクがこれを全て飲み干せるなんて思っていないだろう。ただ、苦しみながらこの水を飲み干そうとするボクの『表情』を見たいだけだ。
「……無理、無理……です」
ボクはその場で座り込み、咽び泣く。
我慢して、この男を満足させなければならない。そんな事は頭では分かっているけれど、心が追い付かない。
腐った飯を食わされた後は、浴槽の水を飲み干せと言われる。ボクは……何でこんな所にいるんだ。
本当なら、今頃は家で父さん、母さん、兄さんと美味しい料理を食べて、ゆっくりお風呂に入って布団の中で眠りについていたはずなのに。
「何で? 夏なんだからいっぱい水分取らなきゃ。熱中症になられても困るんだよなぁ……」
「の、飲めませんっ……こんな量」
「遠慮なんかしないで、ほら!」
ボクの言葉を無視し、男はボクの髪を鷲掴みにして水の張られた浴槽に頭を無理やり沈める。
「っ……ぁがっ!」
水面に顔を押し込まれ、呼吸が出来ない。悲鳴も上げられない。手足にも抵抗するだけの力は残っていなかった。男の力は更に強まり、浴槽の底まで身体ごと沈められる。
「……ごぼっ! がっ……!」
「ほら、美味しいかい? 優姫ちゃん! 熱中症になったら大変だからね、こまめに水分補給は必要だよ!」
空っぽの胃の中に冷水が大量に流れ込んでくる。今までに体験したことのないような不快な感覚だった。身体が芯から冷えていく。
「うーん、なかなか浴槽の水が減らないなぁ。これ、全部飲み終わるまで何時間かかるかな?」
ボクがこの浴槽の水を飲み干せない事を、この男は知っている。
だが、それを楽しんでいる。無力なボクがどう抗うかをこの男は楽しんでいる。ここで、このまま溺死した方が楽なのかもしれない。そう思いたくくらいに苦痛の時間が流れる。
「優姫ちゃん、大丈夫―? 段々と力抜けているけど……死なないでね~」
ボクに抗う余力など無かった。ただ、男の力のによって人形のように水中に沈められているだけ。
水に沈められて数十秒程だったが、ボクの意識は徐々に遠のく。
家族、幼馴染……皆の顔が、走馬灯の様に浮かんでくる中、ボクは水中で意識を失った。