「……」
「……優姫! 優姫!」
耳元で、声がした。
幼いけど、勇ましい声。糸田の声じゃない。懐かしくて、安心する声。
「父さん、母さん! 優姫が! 優姫が!」
辺りが急に騒がしくなる。
目を開けると、真っ白な天井。おかしいな、糸田の部屋はもっと暗くて汚くて臭かったはずなのに……。
「……ここは」
「優姫!」
部屋の入り口から声がした。入り口には男女が2人……ああ、父さんと母さんか。
何年も会っていなかったけれど、2人とも随分と老け込んだ様な気がする。
「ごめんっ……ごめんねっ……もっと、早く助けてあげられなくて……」
母さんがベッドに駆け寄って来てボクの顔を覗き込む。ボクの顔の上にはポタポタと母さんの涙が落ちてくる。
「……優姫、父さんや母さんや和彦の事が分かるかい?」
その後ろには父さんが立っていた。しばらく見ないうちに大分痩せたなと思う。ボクの記憶の中の父さんより大分老けていて、弱々しくなっている。
「……分かるよ。右目はちゃんと見えているんだから」
糸田に潰された左目にはちゃんと眼帯が付けられていた。けれど、残された右目で皆の事は認識出来た。皆、少しやつれているけれど……懐かしくて、暖かい光景だ。
だけど、ボクの表情を見て父さんも母さんも兄さんも表情を歪ませる。ボクの傷だらけの身体を見れば当然か。
「……あれ、あれっ……」
その時、ボクは自らの身体に異変を感じる。
ボクはすぐにでもベッドから立ち上がって、皆を抱き締めたいのに……腰から下が全く動かない。まるで糸が切れた操り人形みたいに、ボクの下半身は全く言う事を聞かない。
「おかしいな……動かない……動かない……あれ」
あれ、なんで?
今すぐ皆の胸の中に飛び込んで再会を喜びたいのに、ボクの下半身は全く動いてくれない。何度も挑戦するけど、脚は1ミリも動かない。
「……うぅ!」
すると、それを見た母さんが座り込みながら泣き出す。なんでだろう、やっと再会出来たのに……嬉しくないのかな。
「優姫、無理はしなくて良い。今は身体が疲れているんだ。だから……一時的に上手く身体を動かせないだけなんだ。だから……」
父さんが声を詰まらせながら言う。その目には大粒の涙が溜まっている。父さんがボクに気を遣っているのは明らかだった。
そして、ボクは自らの下半身の自由が失われたという事実を改めて認識する。
「……はーっ、なんだ。やっぱり打ち所が悪かったのかぁ。それはそうか、3階から真っ逆さまに落ちたんだもんね……脊髄かどこか、やっちゃったのかなぁ……」
一時的なものなんかじゃない。完全にボクの下半身からは自由は奪われた。自分の身体の事だ、ボクが一番それを理解している。
ボクの身体の自由はベランダから落ちた衝撃で失われてしまった。あの地獄から抜け出す代償として、ボクは下半身の自由を失ったのだ。