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第82話 ゴンズ

 ゴンズは全くと言っていいほど働かなかった。はっきり怠け者だと言っていい。山間部の小さな川のそばに立てた小屋に住み、地域の人からの施しで生活していた。頼まれれば出ていって仕事をするが、自分から巡回して積極的に関わることは全くしない。こっちから出向いて、仕事を見つけてどんどんこなしていた俺にとっては、衝撃的だった。


 「小僧、酒を買ってこい」とよく言われた。


 最初に言われた時、お金はどこですかと聞くと「馬鹿野郎!知らねえよ」と怒鳴る。それまでの先輩たちがみんなそれなりに人格者だったので、こんなやさぐれた神武官がいるんだということも、驚きだった。


 近くの集落に行き、先輩が酒を所望しているので分けてほしい、代わりに何か仕事をするからと頼んだ。村人はゴンズが大酒飲みだということをよく知っていて、ただで俺が持ってきた壺に酒を注いでくれた。山で採れる木苺を発酵させて作った果実酒だ。この辺りではこういう果実酒が主流だった。ただでは申し訳ないので、1週間分くらいの薪を割った。


 聞けば、ゴンズは腕っぷしが強いことを買われて、この辺りに配属されたのだという。着任した当初は、評判通りに村を襲った魔族をよく撃退してくれた。おかげで襲撃が随分と少なくなった。


 しかし、時間が経つにつれて怠惰になって、酒に溺れるようになった。魔族が出たので助けてほしいと小屋に駆け込んでも、酔っ払っていて使いものにならないこともしばしばだという。


 小屋に酒を持ち帰ると、ゴンズは長椅子に寝転がっていびきをかいて眠っていた。酒壺をテーブルの上に置いて外に出る。日が落ちて、月が出ていた。木々の間から月明かりが差し込み、夜の森を照らしている。


 早く魔族相手に腕試ししてみたかった。体術には自信があった。神武院にいた頃は強い方ではなかったが、外に出て以降、体が大きくなって年長者に負けなくなった。


 これまでの研修で、魔族に遭遇したことはあった。でも、戦ったことはなかった。先輩に「無駄な争いはよせ」と制されて、戦闘にならなかった。神武官は、ひと目でそれとわかる制服を着ている。黒く染めた七分丈の作務衣で、二の腕と脛には晒しを巻いている。地下足袋を履き、いろいろなものを差し込める幅の広い角帯を巻いている。工具や薬を入れた背嚢を担いでいるので、見た目ですぐに神武官だとわかる。


 魔族は山道で俺たちと会うと、知らないふりをして通り過ぎたり、道を譲ったりした。お互い抜き差しならぬ状況にならない限り、わざわざ痛い思いはしたくないというわけだ。


 とはいえ、普段から魔族を倒す訓練を受けているわけで、実際に使ってみたいという欲求は抑えきれなかった。こんな酔いどれの先輩なら、好都合だ。許可を得る必要もない。好き勝手にやらせてもらおう。


 と、川沿いの道を歩いてくる人影が見えた。大きい。人間ではない、甘ったるい中に焦げ臭さが混じった魔族独特の匂いがした。俺もパインほどではないが、匂いには敏感だ。身を隠した方がいいか、それとも立ち塞がるか迷っている間に、それは目の前までやってきた。


 魔族だった。西域ではオークと言うが、東方ではこの種類は大雑把に鬼と呼ぶ。でかい。背丈は神武院の門くらいあるだろうか。深緑色の肌にボサボサの髪。猫のような金色の瞳が、月明かりを反射して輝いていた。額にかかった髪から角が2本、のぞいている。色がよくわからないが、黒か茶色っぽい着物を着ていた。裾を端折っているので、太くて毛むくじゃらの足がむき出しだ。


 「おや、こんばんは」


 鬼は腹の底に響くような低い声で言った。想定外に丁寧なあいさつをされて、驚いて声を失っていると「その服装は神武官だな?ゴンズの後輩か?」と聞いてきた。警戒を緩めず、いつでも動けるように身構えながら「そうだ」と答えた。


 俺が敵意をむき出しにしているのがわかったのだろう。


 「ああ、そんなに怒らなくてもいい。俺はゴンズの友達だ」


 鬼はそう言って口角を上げた。笑っている?だが、見ようによっては恐ろしい顔だ。


 「酒を持ってきた。一緒に飲みにきたんだ」


 帯にぶら下げたひょうたんを持ち上げて見せた。ゴンズの友達って、どういうことだ?魔族は人間を襲うものであって、人間の敵だ。人間を守って戦うのが神武官であって、魔族は敵である。友達にはなれない。


 「小僧、何してる?」


 気がつくと、ゴンズが小屋の玄関でランプを掲げて立っていた。


 「そいつは俺の客だ!」


 そう言って手招きする。意味がわからない。客だって?神武院の目が届かないところで、一体何をやっているんだ?


 鬼は名前をゼンジと言った。見た感じ人間なら40〜50歳といったところか。後でゴンズよりもずっと年上だと聞かされた。玄関を通れるのかと思うほど大きかったが、器用に体を丸めて入った。


 「すまんな。こいつは来たばかりで、何もわかっちゃいないんだ」


 流しからコップを持ってきながら、ゴンズは言った。悪かったな。着いたばかりだし、何も教えてくれないから、わかるわけがないだろう。ゼンジはテーブルにつくと、ひょうたんを置いた。


 「初めて魔族を見て驚いたんだろ。気にしちゃいないさ。ところでオヌシ、名前は?」


 不意に話を振られて「えっ…トウマ」としどろもどろになりながら答えた。


 「お前、トウマと言うのか」


 ゴンズが言った。


 「なんだ、せっかく久しぶりに来た後輩なのに、名前を知らないのか?」


 「酔っ払っている時に来たから、全然覚えていないんだ」


 ゴンズは全く悪気がなさそうにガハハと笑った。


 「ところでこれは何の酒だ?」


 「気になるのか?酔っ払うことができれば、なんだっていいんじゃないのか?」


 「そんなことはないぞ。俺だって酒の味はわかるし、好みだってある」


 混乱した。敵であるはずの魔族と、普通に会話をしている。しかも、一緒に酒を飲み始めた。


 「オヌシも飲め」


 ゼンジが注いでくれた酒は無色透明で、癖の強いアルコールの匂いがした。


 「芋の酒だな」


 「そうだ。後味がいい」


 俺は酒が飲めない。外に出ると飲む機会があって、口をつけることはある。だが、飲むと体調が格段に悪くなって仕事に差し障りが出るから、できるだけ飲まないようにしていた。


 しかし、ゴンズのところにいる時は、そういうわけにはいかなかった。ゼンジは2日と置かずに訪ねてくるし、他の鬼を連れてくることもあった。その度に酒盛りだ。


 「飲まないなら出ていけ!」


 酔ったゴンズによく凄まれた。出ていっても生活には困らないが、小屋で一緒に飲んでいた方がメリットが多かった。


 まず、鬼たちが戦う相手を紹介してくれた。魔族の生活や風習など、知らないことをたくさん教えてくれた。新鮮で、もっと知りたいという欲求に抗えなかった。だから、飲むしかなかった。


 魔族相手に自分がどれだけ通用するのか知りたくて来たという話をすると、ゴンズとゼンジは顔を見合わせて、涙を流しながら爆笑した。馬鹿にされている気がして、不愉快だった。


 「何がおかしいんだよ」


 俺の抗議は聞こえていない。ヒーヒー言って涙を拭くと、ゴンズは「お前、アホなのか?」と言った。


 「魔族相手に通用するかだって?通用するわけないだろう!」


 そういうと、またダハハと腹を抱えて大爆笑する。ゼンジは涙をふきながら「食わねえよ」と言った。


 「人間は食わねえ。だから、俺たちを殴ったりしないでくれ」


 「お願いだよぉ〜っ!」


 ゴンズが後を受けてふざける。ポカンとしている俺をほうったらかしにして、2人で大爆笑だ。神武官は魔族と戦うための訓練を受けているし、実際にあんたは腕っぷしの強さを買われて、ここに来たんじゃないのか?魔族を退治したと聞いたけど?


 「そりゃ、最初は知らなかったからなあ」


 ゴンズは太鼓腹をなでながら言った。一時が万事、説明が足りなかった。説明してくれなかったという方が正確かもしれない。知りたければ自分で調べろというのが、ゴンズの教育方針だった。


 「なあ、オヌシ。今はもう楽しく酒を飲んでいるからダメだが、明日、腕試しをしてみないか?俺が相手を紹介してやろう」


 ゼンジが思いもよらない提案をした。


 「それがいい。お前も、この辺りの事情をもっとよく知っといた方がいいからな」


 ゴンズはうなずいて酒を飲み干した。


 「さあ、小僧が持ってきた酒も飲むとしよう。言われた通りに持ってきたから、今日は合格だ!」


 ご機嫌になったゴンズは、そう言って俺の肩をバンバンと叩いた。酒臭い。大体のことはわかったつもりになっていたけど、ここでは理解不能なことが多すぎて不安になった。

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