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第96話 青い薔薇

 青薔薇隊は俺がまだ十分に回復しないうちに、西へ向けて出発した。


 幸いなことにつみれやマルコがせっせと看病してくれたおかげで、3日間で立って動けるようになった。青薔薇は討伐隊の一つで、どこかに所属している部隊のはずなのだが、ものすごく自由に活動していた。つみれは古株の隊長で、大概の行き先で歓迎され、引き止められることもなく出ていった。


 神武官という割ときちんとした組織にいた俺にとって、青薔薇の位置付けは理解不可能だった。つみれはもとは別の討伐隊に所属していたが、そこの隊長が戦死したのをきっかけに、マルコとベルナルドを連れて独立したと聞いた。その後、エンツォとアイシャが参加して現在の編成になった。


 元の所属がなくなったので、誰の指揮を仰げばいいのかわからない。これまでやってきた経験から、こうすればムスラファンは喜んでくれるのではないかということをしながら、西域の奥地を巡っていると最初は話していた。だけど、それは表向き。実はつみれは万物の源という魔法?魔法の道具?を探していて、そのためにアイシャをメンバーに引き込み、西域のどこかに隠されているそれを探していた。それを使って理想郷を作るためだ。


 「どこにも行かず、誰にも奪われず、暖かい家で心安らかに暮らす。家の周りは緑豊かで作物がたくさん取れて、毎日、腹一杯食っていけるところ」


 つみれはよく理想郷の話をしていた。


 「名前は何にしよ。ユートピア?シャングリラ?それともベタに、つみれ村がいいかなあ?どう思う?」


 知らん。


 つみれは魔法使いだった。存在は知っていたけど、初めて見た。見た目は普通の人間(角が生えている末裔だが)だけど、魔法を使うと不思議な匂いがする。使う魔法によるのだが、例えば火の魔法を使う前には枯れ葉の匂いがした。枯れ葉が近くになくても感じるので、魔法の匂いなのだろう。基本は邪眼と治療系の魔法の使い手なのだが、それ以外に、そんなものどこで使うのかという魔法をたくさん知っていた。


 たとえば「こっちをチラッと見させる魔法」。いや、これは邪眼使いにはめちゃくちゃ役に立つな。チラッとこっちを見させて、目を合わせればいいんだから。


 つみれはこれをどうでもいい時によく使って遊んでいた。俺が薪を割っている時に、自分をチラ見させるのだ。手元が強制的に見えなくなって、怖かった。そしてチラ見するたびに、つみれがさもおかしそうに笑っている。こういういたずらと大して変わらない魔法ばかり知っていた。


 他にも「ほっこりする魔法」とか「少しだけ(この少しだけというところが曲者)暖かさを感じる魔法」とか「コップの水が循環する魔法」とか「一定時間、眼鏡が曇らない魔法(つみれは目が悪いわけではないのに、よく眼鏡をかけている。伊達?)」とか一見、使い道があるのかと思う魔法ばかり覚えているんだ。


 そうそう、こういうのを知っているから理想郷を作りたいんだなというのもあった。「不自然に花を咲かせる魔法」だ。30センチ四方だけ花を咲かせることができる。


 「もっと魔力があったら、連発して一面の花畑にできるんやけど」


 だから、万物の源が必要なんだ。無限に魔力を供給するそれを手に入れれば、一面の花畑が可能だし、もっと広い範囲も暖かくすることができる。



 各地のオアシス防衛を手伝いながら、西へと進んだ。俺の仕事は、もちろん戦うことだ。動けるようになると早速、駆り出された。


 「ええ体しとるし、力もありそうや。武器は何がええ?東方人やから刀か?槍の方がええか?」


 体力を取り戻したとはいえ、当時は心が完全に死んでいた。何も考えられなかったし、うれしいとか悲しいとかいう感情も全くなかった。こっちから話しかけるのはもちろん、話しかけられても答えなかった(答えられなかったという方が正しい)。よくまあこんなヤツを部隊に置いといてくれたなと思う。


 他の部隊と一緒に、夜になると出没する魔族と戦った。砂丘の向こうからオークが攻めてくる。オークという呼び名もここで知った。東方でいうところの鬼だ。ゼンジの西域版みたいな連中が、剣や槍を手にしてやってきた。俺が返事しないので、つみれは槍を手に押し付けてきた。


 正気だったらゼンジを思い出して戦えなかっただろう。だけどその時は、つみれの邪眼の効果もあったのかもしれないけど、命令されたようにした。使い慣れない槍で戦い、たくさんオークを殺した。


 不思議なことに以前よりスピードもパワーも桁違いにスケールアップしていた。ジャンプすればゼンジみたいに驚くほど高く遠く飛べるし、槍で叩けば大きなオークたちが嫌がって後退した。自分の中にもう一人、自分がいるみたいで、いろいろな力が倍になったように感じた。攻撃されても、相手の動きがよく見えた。もう一人の俺は真っ黒で、体の皮一枚下にいるようだった。


 魔族が退却した後、マルコとベルナルドがオークの死体を解体しているのを見ていた。食糧にするのだという。何も感じなかった。今にして思えば、なぜみずほやゼンジを思い出さなかったのだろう。解体している情景を見ればみずほを、オークを見ればゼンジを思い出していたはずだ。どちらも俺の心に忘れがたい傷跡を残していたはずなのに、あの時は本当に何も感じなかった。


 「ようやった!上出来や!」


 つみれが近寄ってきて、俺の尻を平手でバチンと叩いた。


 「ウチの言うた通りやったやろ?これで前衛はベルとゴンベイの二枚看板で安泰や!」


 ご機嫌だった。ちなみに最初、名前を聞かれても言わなかったら、勝手にゴンベイという名付けられた。名無しの権平ということらしい。


 「コイツ、死ぬのが怖くないみたいな戦い方してましたよ」


 オークのバラ肉を袋に詰めながら、マルコは不機嫌そうに言う。その通りだ。どうにでもなれと思っていたので、相手の槍とか剣とか全く気にせずに突っ込んでいっていた。


 「それはあかんな。ゴンベイ、命は大事にせなあかん」


 つみれは俺の腰の辺りをポンポンと叩きながら、諭すように言った。腰ではなく、肩を叩きたかったのだと思う。だけど、あいつは小さいから、そこまで手が届かないんだ。


 アッシュールで再会した時、俺とつみれがすごく仲が良さそうに見えたと思う。実際、その通りだ。俺とつみれだけじゃない。青薔薇はみんな仲がいい。ああ、いや、どうかな。俺は別に…。俺は青薔薇の連中に優しくしてやった記憶はない。だけど、あいつらは俺にすごくよくしてくれた。


 つみれは言うまでもない。最初のきっかけは、俺が深い闇を抱えていたからという興味本意だったのかもしれないけど、全面的に立ち直る支援をしてくれた。ああ見えて実はだいぶ年上だと知ったのは、後になってからだ。戦場では持ち場が違ったので離ればなれになったけど、それ以外の時にはずっと俺の視界にいた。


 今にして思えば随分、かわいがってもらったなと思う。いつもそばにいて、なんの反応もない俺に話しかけてくれた。メシを食わない時に食わせてくれたのも、あいつだ。


 青薔薇は寝る時は大体、雑魚寝で、つみれはいつも俺の隣で寝ていた。寝相がよくなくて、よく蹴られた。だけど、寝入ってしまうと猫みたいに丸くなるんだ。俺はよくうなされていたみたいで、夜中に目を覚ますと、つみれが心配そうにのぞき込んでいた。目が覚めて、あいつがまだ寝ていたところはあまり見た記憶がない。


 面倒見がいいのは、俺に対してだけじゃない。みんなに対してそうだ。声をかけて、体に触れて、ほめたり叱ったり。俺は神武院で捨て子たちと育ったのだけど、こういう年上で世話を焼いてくれるのは男子ばかりだった。だから、兄というのがどういう感じなのかはわかるけど、姉は知らなかった。こういうのを姉というのかなと思った。


 青薔薇の連中は、みんなつみれのことが好きで集まっている。それに気がつくのに、それほど時間はかからなかった。つみれはチビで大した戦闘力の持ち主でもない。でも、そばにいると安心するんだ。そんな人だった。


 ちなみに俺のそばには、いつもベルナルドもいた。あいつも全然、しゃべらない。寝ているか、メシを食っているか、戦っているか。それ以外は、ずっと剣の手入れをしている。いつも俺の隣に座るので最初は一体、どういうつもりなんだろうと思っていた。


 俺が逃げ出さないように見張っているのか?でも、それならば、つみれが邪眼を効かせておけばいいだけの話だ。だけど、最初にメシを食わされた時とか、俺が嫌がった時以外に邪眼を使っている気配はなかった。


 ベルナルドが用事でどこかへ行ってしまうと、マルコがやってきた。マルコもおしゃべりな方ではない。俺の隣で野菜の皮を剥いたり、装備を修理したりしている。マルコもいなくなるとエンツォの出番だ。こいつは絶え間なくしゃべっている。しかも声がでかい。


 「ゴンベイは本当は何という名前なのだ?当ててやろう!パウロだ!そう、パウロという顔をしている!」


 どこからどう見ても東方人なのに、その名前はないだろう。


 いつもテンションが高めで、立ったり座ったりと落ち着かないヤツだった。単純にじっとしているのが苦手なのかもしれない。


 うるさくて面倒なヤツだったけど、エンツォの知識量には感心した。世界のことをよく知っている。魔法のことはもちろん生き物のこと、国の成り立ち、歴史、どこの誰が誰と親戚だとか、とにかくよく知っている。いや、聞いたわけじゃない。あいつが勝手に俺の耳元でしゃべるんだ。何も反応しなかったけど、心の中ではへえそうなんだと思っていた。


 エンツォがベルナルドやマルコより先に出てこないのは、あいつが話し相手を選んでいるからだ。具体的にはつみれとマルコ。自分の話の内容に反応してくれる人だ。ベルナルドは黙って聞いていて、うなずいたり首を振ったりはしてくれるが、感嘆の声を上げたりしないので面白くない。俺も最初は無反応だったので、もっと面白くなかっただろう。


 それからもう一つ。エンツォは魔族と話すために、よく青薔薇を離れていた。戦場で傷つき、撤退時に見捨てられたオークやゴブリンを時々、捕獲することがある。あっち側の情報を得るために討伐隊が尋問するのだが、足繁くその場に行っていた。好奇心が強くて、守護者のくせに魔族のことが知りたくてたまらない。いや、守護者だからこそだろうか。


 なぜ人間と敵対するのか、西へ逃げた魔族はまだ生きているのか、生きているとすれば、どこにいるのか。彼らが使う独自の魔法、魔力の源、いろいろと聞きたいことがあるらしい。そういうことを他に誰も聞いてくれる人がいないときに、俺の耳元で大音量で話した。当時は何とも思わなかったが、今なら魔族と結婚した感想を聞かせてやってもいいと思わなくもない。


 アイシャは独特だ。あまり動かないし、滅多にしゃべらない。椅子があれば、いつもそれに座っている。なければ棒のように突っ立っている。駐屯地だろうと野営地だろうと、どこでも一緒だ。俺のそばに自分から来ることはなかった。


 〝静止モード〟に入ると本当に動かなくなる。誰かがそばにいてやらないと襲われる可能性があるので、戦闘時には弓矢担当のマルコのそばにいることが多かった。


 ただ、戦闘力がゼロというわけではない。相手の数が多すぎて防衛線を突破されて、オアシス内で乱戦になったことがあった。その時、オークに襲われた。少し離れたところで見ていたのだが、オークはアイシャの腕をつかんで連れて行こうとした。アイシャはスッと立ち上がると、オークの顔面に向かって手をヒラヒラさせた。


 何が起きたのか全くわからなかったが、オークはバタッと倒れ、見に行ってみると死んでいた。何をしたんだろう?聞いておけばよかった。とにかく、アイシャにはそんな能力もある。


 1000年前に僧侶としてとある冒険者のパーティーに参加していて、守護者たちが信奉している神話に登場する、四大魔族と戦ったらしい。その時に万物の源と接触している。何度も生まれ変わって、その度に記憶を継承して、じっとしているのは絶え間なく記憶がフラッシュバックしているからなのだそうだ。どんな気分なんだろうな。全く想像できない。


 たまに現実に戻ってくると、万物の源について思い出したことをつみれに報告する。記憶を見ているのはとても疲れるみたいで、報告したあとも基本的にじっとしていた。みんなが買い物に出かけた時に、留守番でそばにいたことがある。人形みたいだった。何も話しかけられないし、話さなくてもいいので、とても楽だった。


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