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第7話 観察者

何かの作為を感じさせる無機質で不気味な空間だった。画面の中には、彼が見知らぬ風景や奇妙なデータが映し出されており、その中には断片的な人影や影が映ることもあった。しかし、どれもぼやけていて詳細はわからず、何が映っているのかすら判別できない。


不安な気持ちを抱えたまま周囲を見渡していると、背後から気配を感じ、彼は思わず振り返った。そこには、黒髪に黒いワンピースのような奇妙なデザインの服を纏った少女が、まるで暗闇から滲み出るように現れていた。その瞳には冷たさが宿っており、どこか人間離れした雰囲気が漂っている。彼女がただ立っているだけで、この静寂な空間の空気がさらに張り詰めたように感じられ、レイは自然と息を飲んだ。


「君、ここで何してるの?」と少女が淡々とした口調で問いかけてきた。その声はまるで彼を試すかのようで、冷ややかでありながらも、どこか興味を持っているようにも感じられた。


レイは不意を突かれたように、しばし黙って彼女を見つめ返した。自分がなぜここにいるのか、ここがどこなのか、それすらも分からない彼にとって、その問いは答えようがなかった。しかし、彼女の存在感から察するに、どうやらこの場所の管理者であるらしい。沈黙を破るように、彼は意を決して尋ねる。


「ここは一体…?君は、誰なんだ?」


彼の質問に対し、少女はわずかに視線を外し、無関心そうに肩をすくめた。「私は観測者、ルナ・ノワール」と名乗っただけで、それ以上の説明はしようとしない。観測者という言葉に引っかかりを覚えつつも、彼女の冷淡な態度に、それ以上の詮索をする気も失せてしまう。


「観測者?それって一体…」


レイの言葉に対して、ルナはわずかに口角を上げたが、答える気はなさそうだった。「気にしないで、私はただのBOTだから」と冷たく言い放ち、彼を取り合おうとしない。まるで彼が話しかけること自体が無意味であるかのように、彼女はモニターに視線を戻し、どこか退屈そうな様子で画面を見つめ続けていた。


しかし、その態度にもかかわらず、彼女の存在はどこか謎めいており、レイは自然とその場に腰を下ろし、しばらく彼女の様子を観察することにした。静寂が二人を包み、ただモニターの微かな光が闇を照らし出す中、レイは彼女が何者であるのかを考え続けていた。


やがて、ふいにルナが口を開いた。「ねえ、君はなぜ、あのエミリーを助けようとしたの?」


その言葉が発せられた瞬間、レイの胸は鋭い痛みに締め付けられた。エミリー――彼の中で消えかけていた苦しい記憶が、不意に蘇る。あの日、エミリーを守ろうとして失敗した瞬間の無力感と後悔が再び心を掻き乱し、彼は何を話すべきか迷った。


それでも、ルナの冷ややかな視線が彼を射抜くようにじっと見つめてきたため、レイは覚悟を決めて口を開いた。「エミリーは…ただのNPCじゃなかった。初日からずっと一緒にいて、彼女と話すたびに、ただのプログラムとは思えないほど、本当の友達のように感じられたんだ。恥ずかしいけど、人間の友達よりも、むしろ彼女に惹かれてしまったんだ」


彼の言葉を聞いたルナは、わずかに微笑みを浮かべ、「君、意外と気持ち悪いね」と無邪気に、しかし容赦なく言い放った。


レイは思わず苦笑し、肩をすくめた。「そんなこと言うなよ…」内心少し傷ついたものの、彼女の率直さにどこか救われた気もした。


しばしの沈黙の後、ルナは再び冷静な口調で話し始めた。「エミリーは、君に会えたことをすごく喜んでいたわよ」


その言葉に驚いたレイは顔を上げ、期待を込めた目で彼女を見つめた。「エミリーは…まだ生きているのか?!」


一瞬の間の後、ルナは淡い笑みを浮かべ、冷たい声で現実を告げた。「いいえ、エミリーはデスポーンしたの。つまり、消滅したということよ」


その言葉は、彼が覚悟していたはずの真実であったが、改めて突きつけられると心が抉られるような痛みを感じた。レイはがっくりと肩を落とし、拳を握り締めて唇をかみしめた。しかし、そんな彼に向かってルナが再び冷ややかに告げる。


「あの3人組、まだ森の中に潜んでいるわよ?」


その言葉は、彼の中で眠っていた怒りを呼び覚ました。エミリーを苦しめ、命を奪ったあの存在たちがまだ生きている――その事実がレイの心を苛立たせ、体中に沸き上がる憤りを感じさせた。だが、その怒りとは裏腹に、自分の無力さが彼を苦しめ、どうしようもないもどかしさが押し寄せてくる。


その時、ルナが突然、彼に近づき、そっと耳元で囁くように言った。「君に力を貸してあげる」


彼は驚いて振り返ったが、そこには誰もいない。しかし、再び別の場所から彼女の声が聞こえてきた。「君のこと、すごく気に入ったの」


次の瞬間、再び目の前にルナが現れ、冷たい微笑を浮かべながら静かに語りかけてきた。「ずっと君を見ていたわ。エミリーを人間のように扱い、優しくしてくれる、不思議な人だって。だから、私も君に興味を持ったの」


彼女の言葉に戸惑いを感じながらも、レイはその視線に吸い込まれそうな気がした。ルナは続けて語る。「今、この世界で起きている異常な状況は、君たちプレイヤーにとっても理不尽なもの。だから、生きていくためには力が必要よ」


そう言うと、彼女は赤黒いオーラを纏った腕を掲げ、冷たい声で告げた。「生きるためにこの力を受け取りなさい。説明は…またいつかにしておくわ」


レイの反応を待たず、彼女は腕を振り下ろし、その衝撃で彼の体は宙に吹き飛ばされた。瞬間、体中に激痛が走り、まるで全身が崩壊するかのような感覚が彼を襲う。骨が砕け、筋肉が裂けるような鋭い痛みが全身を駆け巡り、内臓がねじられるような苦しみに、レイは声をあげることもできずただ目を見開いたまま、絶叫すら喉に詰まっていた。


彼の意識が混濁し、視界が次第に薄れていく中、ルナの冷たい声が耳元に響く。「その力でどこまで世界に抗えるか…頑張ってね」


その言葉が最後の音となり、レイの意識は急速に遠のいていった。やがて彼は、暗闇の中へと落ちていく感覚に囚われ、全ての感覚が消えていくのを感じた。


どれほどの時間が経ったのか分からない。次に彼が目を覚ましたのは、地面に倒れ込んでいる状態だった。荒れ果てたイーストウインド平原の冷たい土の感触が肌に伝わり、彼はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした意識の中で、自分がなぜここにいるのかを思い出そうとしたが、全身の鈍痛と共に頭がぐらつき、思考がまとまらない。


「…今のは…一体…?」


彼は、ふとした不安と期待が入り混じった気持ちで、アイテムウィンドウを開いた。もしかして時間が巻き戻ったのかもしれない――そんな淡い希望が胸をよぎり、エミリーのアミュレットやフェラル・ダガーを探すが、どれも見当たらない。失われたアイテムたちの記憶が頭をよぎり、胸に深い失望が広がる。


それでも、彼はふと見慣れない通知が目に入り、無意識にメッセージフォルダを開いた。そこには一通のメッセージがあり、見覚えのないシステム通知のようだったが、その送り主の名前を見た途端、彼の脳裏には先ほどのやりとりが蘇る。


「ジョブレベルが上がりました。君はユニークジョブ『観測者』になったよ。ルナ・ノワールより…」


そのメッセージをじっと見つめる彼の表情には、困惑と戸惑いが浮かんでいた。だが、同時に心の奥底から、何か力が湧き上がるのを感じた。それは今までの彼には感じたことのない、確固たるエネルギーの流れであり、指先から全身へと駆け巡っていく。


レイはゆっくりと立ち上がり、拳を握り締めた。途端に周囲の空気がざわめき、まるで自分の意志に応じて微細な粒子が反応しているかのように、周囲の景色が僅かに歪んで見える。新たに手に入れた力に戸惑いつつも、それを制御する方法を直感的に理解する。まるでこの力は彼自身の一部であるかのように、彼は無意識にその使い方を知っていた。


「これが…観測者の力…」


そう呟くと、彼は一度深呼吸をして心を落ち着かせ、周囲の風景を見渡した。広がる荒野の中で、自分の力の可能性を試すべく、小さく腕を振りかざすと、周囲の空間が一瞬、彼の意志に応じて変形する。微細な粒子が彼の指先に集まり、小さな光の渦を描きながら空気中に漂っていく。その光景を目の当たりにした瞬間、彼の胸には不思議な感動が広がり、失われた仲間への想いが新たな決意として湧き上がってきた。


「エミリー…俺は…この力で必ず…」


彼の瞳には、今までにない鋭い光が宿り、過去の自分とは異なる、新たな力を手にした者としての覚悟が見える。ルナから託された観測者の力を持って、彼は再び立ち上がり、無力な自分に終止符を打つべく、復讐の道を歩み始めるのだった。


彼が最初に目指すのは、森の中に逃げ込み生き延びた、エミリーを奪った3人組だ。


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