夕暮れの森を、レイとルナは静かに歩いていた。二人が向かう先は、遠くの街。まだ見ぬ世界の真実に近づくための最初の旅路だ。周囲は薄暗く、森の中は静寂に包まれ、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。レイは隣で歩くルナの姿に目をやり、彼女が言っていた「観測者」としての姿が普通の人間と変わらないことが気になっていた。
(本当にただの人間みたいだな…)
レイがじっと彼女の横顔を観察していると、ふいにルナが気づいてこちらを見返した。「ちょっと、ジロジロ見ないでくれる?やっぱり君、少し気持ち悪いわね」冗談めかしたその言葉に、レイは思わず苦笑した。
「悪い、つい気になってな。観測者って言う割には、ただの人間にしか見えないんだよ」
「ふふ、そう見えるのは私の役割がそれだけ特別ってことなのかもね。でも、私が今こうして君の隣にいるのはただの気まぐれじゃないわ。何か見つけるべきことがあると感じてるの」
ルナの言葉にはどこか含みがあり、レイはそれ以上聞くのをためらった。静寂の中、木々の葉擦れがかすかに響き、暗くなりゆく森の道を二人は黙々と進んでいく。
ふと、レイは尋ねた。「ところで、さっき君が言ってた“この世界の異常”ってどういうことなんだ?」
ルナは一瞬、真剣な表情を見せた。「今、この世界では何かが狂い始めているの。意識が現実からこの場所に閉じ込められたプレイヤーたちが、帰る手段を失ってしまっている。原因はまだ分からないけど、誰かが意図的に仕組んだことかもしれないし、この世界そのものが変化したのかもしれない」
「つまり、俺たちは意図的にここに閉じ込められている可能性があるってことか?」レイは驚きと疑念の混じった表情を浮かべた。
「そうかもしれないわね。私もすべてが分かっているわけじゃないけれど、確かに“現実”とは異なる法則がこの世界には存在している。でも、君はここで無力じゃない。君の力もまた、この世界で生き抜くための手段になる」
ルナの言葉に、レイは静かに頷いた。この不安定な世界で、彼ができることはただひとつ――生き抜き、そしてエミリーのために、彼女を悲しませないために進むことだ。
しばらく歩き続け、森の奥に夜の闇が広がり始めると、ルナが周囲を見回しながら言った。「もう少し歩くと街に着くけど、夜道を進むのは危険ね。ここで一度野宿していきましょう」
レイは頷き、近くの空き地に二人で腰を下ろした。ルナが手際よく焚き火を組み、暖かな炎が二人を照らすと、道中で討伐したモンスターの肉を取り出して火にかけた。焚き火のそばで、二人は暖かさと肉の香ばしい匂いに包まれ、少し緊張を解くように肩を落とした。
「案外、料理も得意なんだな」とレイが感心したように言うと、ルナは小さく笑って答えた。「意外に見えるかもしれないけど、観測者だってこういうことぐらいはできるのよ」
「観測者って一体なんだろうな…」レイはぼんやりと火を見つめながらつぶやいた。
ルナは静かに答えた。「観測者という役割は、ただ物事を見守る存在なの。でも、私が君に力を渡してから、立場が少し曖昧になってしまったの。今はもう、君と同じ『プレイヤー』としてこの世界を見届ける存在になったわ」
「つまり、君も戻る方法はもうないってことか?」レイが問うと、ルナは少し恥ずかしそうに目を逸らして答えた。「そうみたいね。だから、今は君と一緒に行動するしかないの」
「そっか…じゃあ、しばらくは相棒ってわけだな」
レイの言葉に、ルナは小さく微笑んだ。焚き火の炎が揺れる中、二人は静かに食事をとりながら、この異世界での生活の実感を少しずつ感じ始めていた。
夜が深まるにつれ、ルナは徐々に眠気に襲われ、目をこすりながらあくびを隠そうとした。「さすがに、疲れたわね…」
「やっぱり、君も普通に眠くなるんだな」レイは少し驚いた様子で言うと、ルナはくすっと笑いながら答えた。「人間みたいに見えるでしょ?でも私も疲れることはあるのよ」
ルナは静かに横になり、まぶたを閉じた。しばらくすると、彼女は安らかな寝息を立て始めたが、レイはその表情にふと目を留めた。ルナの寝顔は昼間の冷静さとは異なり、どこか穏やかで優しげな雰囲気を漂わせている。
しかし、突然、ルナの目元に一筋の涙が流れ落ちた。その涙は頬を伝い、焚き火の明かりに照らされながら静かに地面に落ちていく。
(何か…辛いことでもあったのか?)
レイはその涙の意味を知ることはできなかったが、彼女が抱える何かに触れたような気がした。まだ彼女のことを深く知らない自分が、少しもどかしく感じられたが、いつかその謎を知る日が来るのかもしれないと感じながら、彼もまた静かに目を閉じた。
翌朝、二人は再び道を進んだ。夜が明けて太陽が差し込むと、森は活気を取り戻し、道沿いには小川が流れ、鳥のさえずりが響いていた。レイは改めて森の美しさに感動しながら、隣を歩くルナに問いかけた。
「なあ、昨日の話の続きだけど、この世界で生きるためには何をすればいいんだ?」
ルナは少し真剣な顔で答えた。「まず、君がどう生きるかを決める必要があるわ。この世界で暮らしていくためには安全な場所を確保して、仲間や情報を得ることが大事よ。あと、お金もね」
「つまり、この世界の住人になるってことか?」レイは少し戸惑いながら問いかけた。
「そういうこと。でも、怖がる必要はないわ。君には能力があるし、それを活かせば生き抜く手段は見つかるはず」
ルナの言葉に勇気をもらったレイは、しっかりと頷いた。二人は少しずつ打ち解けながら、互いを理解し始めているようだった。
しばらく歩くと、木々の間から視界が開け、遠くに街の姿が見えた。白い石造りの壁に囲まれ、塔がいくつもそびえ立っている。街の入口には門番が立ち、忙しそうに人々の出入りを見守っていた。
「ここが次の街ね」ルナが少し安堵の表情を浮かべて言うと、レイも無意識にほっとした。
それを見て、ルナが微笑みながら街について説明を始めた。「ここは『エルドリア』っていう街よ。この地方では大きな商業都市のひとつで、人と物が集まる場所なの」
「エルドリア…」レイはその名前を口にし、改めて街の活気を見渡した。門の周辺には露店が並び、果物や薬草、手工芸品が色鮮やかに並んでいる。様々な種類の人々が立ち寄り、品物を眺めたり取引をしたりしている様子が見て取れた。
「この街は『エルドリア鉱山』という巨大な鉱山の恩恵で栄えているの。鉄や銀、時には貴重な鉱石も採れるから、それを求めて商人たちが集まってくるのよ。加工品も豊富で、特に『エルドリア鋼』で作られた武器や防具は評判がいいわ」
「へえ、鉱山の街か。それなら戦士や冒険者も多そうだな」
「その通りよ。エルドリアには腕の立つ鍛冶師も多くて、冒険者たちが新しい装備を求めて訪れるの。それから、特産物として『エルドリア蜂蜜』も有名なの。地元の蜂が作る蜂蜜で、疲労回復に効果があるって言われているわ。冒険者たちはよく道中の携帯食料に使っているの」
レイはその説明に耳を傾けながら、街の可能性に興味をそそられた。「鍛冶師や蜂蜜か…ここならいろいろと手に入りそうだな。まずはこの街で生活の拠点を確保して、情報を集めるにはちょうど良さそうだ」
「そうね。エルドリアは情報が集まりやすい場所でもあるから、この世界で何が起きているのか、色々と知ることができるかもしれないわ」
レイはその言葉に小さくうなずき、街の中に目を向けた。エルドリアの活気と賑わいに包まれながら、二人は新たな冒険の第一歩を踏み出した。