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第58話 ライバルたちの戦い

「お、保君! そろそろ試合開始のゴングだぞ!」

「間に合って良かったわね」


控室のモニター前には師範とがすでにスタンバイしていた。

新人王トーナメントの注目カード、宮地大地と大兼君の試合が今まさに始まろうとするところだった。俺は高松君との試合を終えるとシャワーも浴びず、両者の試合を見るために控室に大急ぎで戻ってきたのだった。

リングサイドで直接観戦することも考えたが、運営側から特にそういった案内もなかったのでモニターで観戦することにした。笹塚CEOに無理に頼みこめばそれも可能だったのかもしれないが、勝ち上がれば対戦する選手があまりに至近距離で観ているのはお互い気まずいだろう。

それに実はカメラを通した方が俯瞰で見られる。分析のためにはモニターでの観戦は悪くないのである。


「師範はどう予想します?」


「そうだな、普通に考えれば大兼君の勝ちだと思ってるよ。小仏君との試合を見ても宮地君のポテンシャルは半端ないと思う。あのレスリング力がMMAにアジャストされたらかなりの脅威だろう。同じ階級でテイクダウンを防げる選手はいないんじゃないかな? ……でも今は打撃も寝技もまだまだ粗い。転向してから数ヶ月だから当然だけどね。……対する大兼君は同じレスリング出身だが今はもう完全なMMAファイターと言っていい。やはり大兼君がトータルで上回るとおじさんは見ているよ」


「ですよねぇ……」


俺も師範の予想と全く同じと言って良いだろう。

万が一があるとすれば、大兼君が変なライバル心を持ち出し「意地でもレスリングで上回ってやろう!」と正面からの真っ向勝負を挑むような真似をした場合くらいに思えた。

でも純粋なレスリングで敵わないことは大兼君自身が一番骨身に沁みていることだろうし、ここがMMAの勝負の場であることは充分理解しているだろう。


「今までの試合とか映像をざっと見たけれど、2人のステータスはこんな感じだと思うわ」


すずが2人のステータスを出してくれた。


・大兼隼人…………スピード72 パワー80 スタミナ72 打撃62(OF66、DF58) 寝技60(OF58、DF62) レスリング84(OF82、DF86)


・宮地大地

……スピード79 パワー85 スタミナ85 打撃38(OF39、DF37) 寝技44(OF28、DF60) レスリング90(OF95、DF85)


「やっぱり打撃と寝技は大兼君の方が上ですね」

「そりゃあキャリがあるからね。大兼君はストライカーでもないし、一本取るのが抜群に上手いわけではないけど、選択肢をそれだけ多く持てるのは大兼君の方だろう」


MMAというのはより多くの選択肢を持てる方が有利だというのが、俺が師範から継承した考えだ。

やはり大兼君の有利は揺るぎないように思われた。


「始まるわよ」


すずの言葉に、俺も師範も口を閉ざしモニターに集中した。

カーン! 試合開始である。




「……慎重ですね」

「宮地君に対して大兼君もそれだけリスペクトを持っているということなのだろう」


立ち上がりは両者ともかなり慎重な試合運びだった。

金メダリスト相手であり、勝って当然の立場の大兼君が慎重になるのは心理的にも理解できる。

だが宮地君の方が慎重になるのはあまり得策ではないように思えた。選択肢が少ないのだからこそ自分から積極的に仕掛けていかなくては、勝機は狭まっていくばかりではないだろうか。


「……宮地君もMMAをしっかりやるつもりなんだろう。すごいな……」


何度か様子見の打撃が交錯した後、宮地君を見て師範はそう判断したようだ。


「マジですか? 流石にそれは……」


一か八かのタックルを仕掛けて出たとこ勝負……それが上手くいけば大兼君を塩漬け(テイクダウンしてひたすら抑え込むような戦略)にして判定勝利、というのが宮地君勝利の唯一のシナリオに思えた。大兼君を上回る部分はレスリングの部分しかないのだ。

だが宮地君の戦略はそうではなさそうだ……というのが立ち上がりを見た師範の見解だ。


「ほら、明らかにステップワークも細かくなってるし、パンチも鋭くなってるぞ」


師範の言葉に俺も唸る。

先の小仏選手との試合では完全に力任せの大振りのフックしか打っていなかった印象だが、丁寧なジャブがとても目に付いた。

サウスポーに構えた右手のジャブは予備動作も少なく、ステップとも完全に連動していた。少なくとも打撃を始めてから数ヶ月のパンチとはとても思えない綺麗なジャブだった。


「……え、いきなりあんなに上達するもんですかね? 小仏さんとの試合ではわざと下手なフリをしてたなんてことはないですかね?」


俺の疑問に師範は苦笑しながら答える。


「いや、流石にそれはないだろう。打撃はセンスのある人なら上達も早いからな。良いコーチが付いて必死に練習してきたんだろうな」


たしかにそうなのだが、試合の中でそれをきちんと発揮できるようになるのは並大抵の努力やセンスでは済まされない。金メダリストはやはり打撃をやらせても天才だというのだろうか?




1ラウンド3分ほどが経過した。レスラー同士の試合だが一度も組み合う場面はなく、サウスポー同士の両者のパンチだけが薄く交錯する静かな立ち上がりだった。

大兼君が間合いを詰めて入っていこうとしたタイミングで、宮地君のジャブがヒットする場面が二度ほどあった。

対する大兼君の方は宮地君よりも手数でプレッシャーを掛けて押してはいたが、クリーンヒットはほとんどなかった。


(行く!)


次の瞬間、大兼君のステップが変わり間合いの中に踏み込んでいった。

やはりこのままではマズイと焦れたのが大兼君の方だったとも言える。自分の方がMMAでは格上だという意識があったのかもしれない。

低い姿勢を取り、今まで一度も見せていなかったタックルの体勢を見せたのだ。


(フェイントだ!)


大兼君には何度も練習で食らっていただけに俺にはその技が見えた。タックルのフェイントからオーバーハンドの左フックを当てるという得意の技だ。最近ではフェイントが読まれていると判断すれば、そのまま片足タックルに行ってしまうという、2パターンを備えた技になっている。


だが次の瞬間よろめいたのは大兼君の方だった!

観客席から大きな歓声が上がる。俺には宮地君が短いパンチを出したのがわずかに見えた。大兼君が身体を倒しながら振ったパンチだっただけに、宮地君のパンチはショートのカウンターになったということだ。


宮地君からすれば追撃のチャンスだろうが、時期尚早と見たのか深追いせず依然として距離を保っていた。


「……MMAだと普通は経験の少ない方が、打撃とレスリングを組み合わせた攻撃に対応できないものだ。でも宮地君はタックルのフェイントに全く反応していなかった。それだけ自信があるんだろうね」

「ですね……」


師範の言葉に俺は唸るしかできなかった。

大兼君のあの鋭いタックルが完全に入っても、テイクダウンは絶対に取られないだろうという圧倒的なレスリング力への自信があるから、ギリギリまで見切ってカウンターのパンチを当てることができたのだ。


ダメージを振り払うかのように頭を振って、大兼君がもう一度踏み込もうとしたところで1ラウンド終了のゴングが鳴った。




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