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第103話 野島との再会

「……よう少年、難しい顔してんな。どうした?」


「……野島、さん?」


その顔を見て俺は驚いた……というレベルを超えて少し混乱しそうになった。そこにいたのは野島信二のじましんじその人だったからだ。

紋次郎師範の弟子としてプロMMA選手になることを期待されていた野島だが、ある時期から師範の元を離れ消息不明となっていた。だがその数年後、地元であるここ桃山区に戻ってきて反社会的勢力『北竜会』の一員となり、俺の母校『桃林第一高校』と『北高』との抗争に北竜会(北竜会は北高ヤンキーたちの実質的上部組織となっていた)の用心棒として参加し、その折に俺とはタイマン張った間柄だ。


「なんだよ、少年……まるで亡霊にでもあったような顔して? 俺だって生きてるっつ~の」


そう言うと野島はカラカラと笑った。

目元を覆い隠すような長い前髪が印象的だった野島だが、今は坊主頭に近い短髪だった。

だがその声を俺は覚えていたし、タイマンを張って殴り合った時の緊張感を俺の身体はしっかりと覚えていた。


「……そりゃあ、驚きもしますよ……どうしてたんですか、野島さんは?」


突如現れた予想外の人物に俺は一瞬強い緊張感を覚えたが、当の野島の声には悪意も敵意もないことがすぐに伝わってきた。


「どうもこうもねえよ。しっかり日本の法律に則ってお勤めを果たしてたんだっつ~の。つい先日シャバに出てきたばっかりでな……迷惑かけた紋次郎師範にケジメの挨拶に来ようとしたところで、こうして少年とバッタリ出会ったってわけだよ」


「ああ、そうでしたか……」


野島は最終的に俺とのタイマンに敗れると、自らの上役であった北竜会のボスを警察に突き出し、反社会的勢力である北竜会を壊滅に追いやった。そしてすぐに自ら警察に出頭し、北竜会時代に犯した罪によって(むろん俺は野島が過去にどんな悪事を働いていたか詳細は知らないのだが)刑に服していたということのようだ。


「そんなことより少年……お前なんかスゴイらしいじゃねえかよ! FIZINに参戦してもうすぐタイトルマッチなんだろ! ?いつぞやは俺も『シャバに出てきたら稽古をつけてやる!』なんてイキがってたけどよ、今の少年には逆立ちしたって勝てるわけねえよな!」


「ああ、知ってくれてたんですか。ま、そうなんですけどね……」


野島の純粋な応援の気持ちは嬉しかったが、同時にどこか気恥ずかしくもあった。

そんな風に持ち上げられた当の俺は、目の前に現れた最強の選手マヌルネコドフから逃げなければならないことになるかもしれない状況だからだ。


「少年の活躍は塀の中までも漏れ聞こえてくるくらいだったからな! ムショの同僚たちに『あれは俺の弟弟子だ。こっちに来る前に本気のスパーリングをして、かなりいい勝負だったんだぜ!』って言ったけどよ、誰も信用しねえんだわ!」


野島の笑顔は屈託のない気持ちの良いものだった。それだけに胸を張って挑戦しているといえない今の状況が、余計に後ろめたかった。


「……なんだよ、少年。シケた面して。今は最高の状況じゃねえのかよ? 好きだった格闘技に邁進して日本のトップレベルまで来たんだろ? なのに少年がそんな面してたら俺まで悲しくなってくるじゃねえかよ」


「そんなの……知りませんよ。こっちにはこっちの悩みがあるんです。俗世を離れていた野島さんにはわかりませんよ」


そう言われればそうだろう。傍から見たら俺程度の人間でも「格闘家として成功を収めるという夢を叶えた若者」に映っているのかもしれない。もちろん幸運にもそれはその通りだ。だがそれゆえの辛さも悩みもある。当然ながらハッピーだけで埋め尽くされた毎日を送っているわけではない。

俺のことを応援してくれるのはもちろん嬉しいが、そうやって強く感情移入して応援する人間ほど一度負けると「失望した」とか捨て台詞を残してすぐに離れていくものだ。そんな例を嫌というほど沢山俺も見てきた。


「へ~、まあそりゃあそうだろうけどな。でもな、つい先日までムショ暮らしをしていた俺だからこそ相談に乗れることもあるかもしれねないぜ? 良かったらこの兄弟子に話してみる気にはならねえか? ん?」


俺の感情的な、突き放した自分本位の一言にも関わらず、野島は悪戯っぽい笑顔を俺に向けた。

……そうだ。俺には俺の辛さがあるように、野島にも野島の辛さがあるに決まっているし、俺がそれを完全な意味で理解することはできないはずだ。

俺の幼稚な苛立ちに対しても余裕を見せた野島は、俺が思うよりも器の大きい人間なのかもしれない。


「は~、そうっすね……実は…………」




マヌルネコドフ選手という最強のチャレンジャーが突如現れたこと。そしてそれに対して俺が対抗する術が見当たらないことを気付くと俺は野島に話していた。

縁深き間柄でありながら、少し距離があり久しぶりの再会であった……そんな状況が逆に野島への口を軽くしたのかもしれない。


「ふ~ん、まあ状況は大体わかったよ。でも俺からしたら少年はまだまだ甘ちゃんだな」

「な……つい最近までアッチの世界にいた人に簡単に言われたくはないっすね! 野島さんはプロの格闘家になったことないでしょ?」


同情してくれるかと思っていた野島の突き放すような一言に俺は思わず逆上する。

俺のそうした反応を見た野島のニヤリとした表情は「コイツ、まだまだ小僧だな」と言いたげで、それが余計に俺を苛立たせた。


「……良いか、少年。俺が大事なことを教えてやるよ。結局男の価値を決めるのは覚悟なんだよ。少年も男なら覚悟を決めろ」


ニヤついていた野島の表情が一気に真剣なものになった。ケージの中で対峙したどの格闘家とも遜色ない戦う男の目を野島はしていた。


「は……なんですか、覚悟って?」


俺は野島の真剣さに吞まれないよう冷笑するので精一杯だった。覚悟なんていう言葉は今の俺にはあまりに格好良すぎた。


「茶化すんじゃねえよ、少年。お前もわかってるだろ? 今の状況を打破して次のステージに進まなきゃいけないってこと、そしてそれは同時にお前が男として一皮剝けるチャンスだってことだよ」


「……だから、そのためにどうしろっていうんですか? 勿体ぶらずに教えてくださいよ。シャバの、格闘技の世界のことが、つい先日までムショ暮らしだった野島さんにわかるっていうんならですけどね?」


懐に潜り込まれテイクダウン寸前に追いこまれているにも関わらず、俺は虚勢を張り続けているような状況だったのかもしれない。……無論そう思えたのは後から思い直した時だが。


「……紋次郎師範の下を離れるんだよ、少年。いつまでも甘えてちゃ自分のためにも師範のためにもならない。少年も本当はわかってるんだろ?」


野島の最後の一言は諭すような優しさに満ちており、それが俺の胸を余計に抉ってくるようだった。




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