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第102話 ヤツは止められないのか?

「師範、俺があのマヌルネコドフを止めるしかないんですよ!」


突如バンタム級に現れた新星に興奮したある日、ジムで俺は師範に半ば詰め寄るような形で声を荒げた。


「まあまあ、興奮する気持ちはわかる。保君もすっかりファイターだな……まあ一回落ち着こう。あのマヌルネコドフ選手が相当強いってことはわかってるよね?」

「当然です! 強いから戦いたいんですよ! 同じ階級、同じ団体、しかも俺の狙っているバンタム級のベルトを脅かす存在なら一日でも早く倒さなきゃいけないでしょ!」


やはり俺には焦りがあったのだと、後から振り返れば思う。

宮地大地とベルトを争うという俺のストーリーに、突如現れた海のものとも山のものとも付かぬ怪物に横槍入れられたのだ。しかもその怪物が「現チャンピオンの宮地大地よりも明らかに強いのではないか?」という世論が格オタの中で形成されつつあったのだ。

ヤツに待ったを掛けるのは俺でなければならない! ……その一心だった。


「だが強いぞ。打投極すべてに穴がない。あれに保君はどうやって戦い、どうやって勝つつもりなんだ?」

「どうやってって……そりゃあ、ボクの強みである打撃を当てて、向こうがタックルに来きたら何とか切って……」


師範の思いがけぬ反論に俺の勢いも尻すぼみになる。


「安平選手、椛島選手も同じ作戦だったろうね。でもマヌル選手に完全にそれは破られた。……簡単じゃないってことはわかるよね?」

「え、いや……」


心外だった。今まで師範がこんな言い方をしたことは無かったように思う。

いつだって俺のやりたいことを汲み取って、そのためにどういった対策や練習が必要かを提示してくれる……いつもそうやって前向きに導いてくれたのが俺にとっての森田紋次郎師範だった。


「いや、もちろんおじさんだって保君にあのマヌルネコドフ選手を止めて欲しいよ。保君の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。……でもそれだけあのマヌル選手は強いんだよ。正直言って、現状保君が勝つ道筋がおじさんには見えないんだ。……すまない」

「……師範」


俺は悔しかった。師範にこんなことを言わせてしまうのは俺の実力が不足しているからに他ならない。俺にもう少し実力があれば師範も作戦が幾らでも立てられるはずだ。

だがMMAとは総合格闘技だ。一見不可能に見えても、それでもどこかに勝ち筋はあるのではないだろうか?


「あ……下からの三角とかはどうですか!?」


マヌル選手の最大の強みはあのフィジカルから繰り出されるレスリングだ。安平選手、椛島選手との2戦を見てもそれは際立っていた。グラウンド状態でマヌル選手から上を取る、トップキープするのはかなり難しそうに見える。

ならば発想を変えるしかない。下からの極め技である三角締めは狙いどころではないだろうか? 俺はこの階級では脚も長く(一般に脚が長い方が三角締めは極めやすいとされる)、最近は小仏さんとの練習の中でも極め率が上がっていた。


「……いや、厳しいだろうね。もちろん流れの中で三角を狙う局面はあっても良いけど、最初からそれを狙って下のポジションに甘んじるってのは負けにいくようなものだ。そもそもあのレベルの選手に三角が簡単に入るとは考えにくいしね」


「……そうですねぇ、レベルが上がるほど極めを防ぐのは容易になってきますしね」


師範の言葉に俺も再度うなずかざるを得ない。

寝技がある程度のレベルに達した者が防御に徹すればそれを極めるのは難しい。マヌル選手は世間的には今のところ「圧倒的なフィジカル」という印象が強いが、一つ一つの組手を見てもしっかりと技術が染み付いているし、一発狙いのサブミッションが安易に極まるほど対処が身に付いていないとは考えられない。


「もちろん保君の打撃が良いタイミングで当たれば倒れる可能性はある。勝負だから絶対は無い。……でも正直、今の保君がマヌルネコドフ選手に勝つ可能性は低いだろう。現状で彼に挑むのはセコンドであり、ジムの会長であるおじさんからしたら、止めざるを得ないね……」


師範がやれやれ、とばかりに首を振りながら苦笑した。


「……そっか、そうっすよね……」


師範は俺がいかにマヌル選手に戦いたいかという熱量も理解して、それでも勝つ可能性が低いとして止めているのだ。選手を守る身としては冷静で立派なものだろう。選手の希望を叶えるだけが良いセコンドではないということだ。


「私も見てたわよ、マヌルネコドフ選手の試合」


俺と師範のやり取りを聞いていたのだろう。が会話に入ってきた。


「そこまで詳しく映像を見たわけではないけど……現状でもWFCのランカーレベルのポテンシャルはあると思うわ。保君だけでなくて、現チャンピオンの宮地君よりも能力で言えば間違いなく高いわね」


すずは選手の能力を数値化して見ることができるという特殊能力の持ち主だ。

今までもすずのこの能力によって俺は助けられてきた。そのすずが言うのだからマヌル選手は文句なしに強いのだろう。


その後俺のもう一人の師匠といえる小仏さんにもマヌル選手と戦うとしたら……という話をしてみたが、同様の反応だった。


「あの選手は強いよ。俺も若い頃ロシア系のああいうタイプの選手と戦ったことがあるけど、まあコテコテにやられたよ。二階級も三階級も上の選手と組んでるような感覚でね、はっきり言って完敗だった」


小仏さんも苦笑しながら昔を振り返ってくれた。

たしかにああいった体型の選手は中央アジアやロシア系の選手に多い。しかも身体だけでなくあの辺りの地域はレスリングが盛んで子供の頃からの技術が染み付いている選手が多い。WFCでも近年はあの辺りの出身選手が何人もおり一つの勢力となっているのだ。


「俺も下からの仕掛けには自信があったから、三角だとか下からスイープして上を取るっていう作戦を考えてたんだけど、終始押さえ込まれて終わったよ。しかも俺がそのロシア系の選手とやったのは15年くらい前だからね。その頃と今のMMAじゃあ技術レベルがまるで違うからなぁ」


小仏さんの言う通りMMAの技術は年々進化していっている。

インターネットの発達に伴い試合映像が簡単に見られるようになったことで、一つの技術が世界中に広まる速度は急激に上がった。また当然それに対抗する技術が生まれるのも加速した。

MMA初期は「空手・ボクシング・柔道……どの競技が一番強いんだ!?」といった議論が生まれるたように、それぞれのスタイルを許容する牧歌的な時代だった。今は違う。最適化された『MMAの技術』が洗練され、それに付いていけない選手は当然高いレベルには辿り着けない。


「そうっすよね……マヌル選手は粗削りな印象はまだ若干ありますけど、戦い方そのものは世界的なトレンドをしっかり踏まえてますしね」


トップをキープする。グラウンドの展開になった時に上を取ることにこだわる……というのが最近のMMAの主流だ。判定基準なども踏まえその方が高いレベルの試合で勝つ確率が高いということだ。マヌル選手の戦い方はそうした潮流にもしっかり適合していた。荒削りな身体能力だけの選手では決してなく、世界レベルで戦う術と展望をすでに身に付けている選手だということだ。




(じゃあ、どうしろってんだよ! 横からチャンピオンベルトが搔っ攫われるのを指くわえて待ってろってのかよ!)


師範と小仏さんと話して、マヌル選手の強さそして現状の俺が勝つ確率が低いこと……それぞれの場では納得したが、1人になって帰り道を歩いているとそれでも怒りが込み上げてきた。例え勝率が10パーセントしかないとしても……それでも俺は彼に挑みたかった。

そうしないのなら何のために格闘家をやっているのか? わからなくなりそうだった。


「……よう少年、難しい顔してんな。どうした?」


暗がりで不意に声を掛けられてドキリとしたが、その顔を見て俺はさらに驚かされることになる。

彼とこんな仕方で再会するとはまるで思っていなかったからだ。



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