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第86話『恋愛サーキュレーション』

「アイりん、椅子借りるねー」


 壁際にあった折り畳み椅子を、ミユとユウトくんが手に取った。

 カチャカチャと音を立てながら並べられていくのを横目に、私はアイリに向き直る。


「お見舞い、お花を持ってきたから」


 私の言葉に、レンがプリザーブドフラワーの入ったバスケットを見せた。

 彼は、きょろきょろと部屋の中を見回し、


「ここ、いいか?」


 と、ベッド横の背の低い棚を指差す。


「う、うん」


 うなずくアイリに、レンはその棚の上にバスケットを置いた。

 それを見つめるアイリは嬉しそうに頬を染めている。

 ……胸がチクリと痛む。


 そのとき、ユウトくんが口を開いた。


「んー、レン。ちょっと角度が悪いな。もう少し右に向けて」

「こうか?」

「バカ、向けすぎだって。左に戻して……って、その向きじゃ最初と一緒だろ!」

「うるせーなぁ……」


 ガミガミ言うユウトくんに、レンはため息を一つ。

 左手のスマホを棚の上に置き、バスケットを両手で持った。

 少しずつ慎重に傾けて……。


「これでいいか?」


 振り返ったレンに、ユウトくんが〝ピッ☆〟と親指を立ててウインク。


「ほら、さっきより輝いて見えるだろ?」


 言われてみると、確かに綺麗に見える気がする。


「こういうのって、光のバランスが大切だからね。せっかくなら、最高の状態で飾りたいじゃん?」

「すごーい、ユッたん!」


 歓声を上げるミユ。

 ユウトくんは得意げに鼻をこする。


「でも、悪いわ。これ、プリザーブドフラワーでしょ? 結構、高いんじゃないの?」


 アイリが申し訳なさそうに言う。

 でも、ユウトくんは笑顔で首を横に振った。


「気にすんなって、税込み3800円だから。4人で割ったら1人950円だし」

「わわっ、ユッたーん!」

「それ、言っちゃう!?」

「最悪の状態だな……」


 みんなから責められて、しょぼーんと肩を落とすユウトくん。

 そんな姿に、アイリが大きな声で笑った。


「あはははは! みんな、何も変わってないのね。安心したわ」


 楽しそうなその姿に、ミユはアイリの手をそっと握った。


「もちろーん! 私たちはー、何も変わらないよー!」

「ありがとう、ミユ」

「だから、水本は早く良くなれよ」

「ありがとう、月島くん」


 少しだけ、しんみりした空気。


「アイリ……退院待ってるから」


 その雰囲気に押されるように、無難な言葉が口をつく。

 でもそれは私の本心でもある。


「ありがとう、ユイ。私、頑張るから」


 それを感じ取ってくれたのだろう。

 アイリは、そう言って微笑んだ。


「あれれー? ちょっとみんな、暗くなーい?」


 その空気を割って聞こえるのは、ユウトくんの明るい声。


「せっかくお見舞いに来てるんだし、明るくいこうぜ!」


 そんなユウトくんに空気は一変。

 レンもため息をつきつつ、困ったように笑っている。


 いつもユウトくんは場を明るくしようと盛り上げてくれる、ムードメーカー的存在。

 彼がいると、いつも笑顔が絶えない。

 ほんと、いい人だよね。

 だけど……。


 その勢いのまま、ユウトくんはアイリに向き直る。


「アイリちゃんも遠慮しないで言っていいんだよ?」

「……なにを?」

「そんな花より、さっきのアニメのグッズの方がいいって」

「い、い、い、言うワケないでしょ!」


 アイリがキッとユウトくんを睨む。


「……っていうか、私、まだあなたを許してないからね」

「んなーっ!?」


 だけど、調子に乗るのが玉にキズ……。

 ユウトくんの悲鳴が、再び病室に響き渡った。

 それから私たちはたわいもない雑談をして。

 笑い合って。

 レンを見つめるアイリの笑顔に胸が苦しくなって。


 私もレンが好き!

 って言えたならどんなに楽になるか。

 今にも叫び出したい気持ちを、心の中の私が冷静な瞳で静止する。

 わかってる。

 それを口にした瞬間、私たちの関係は終わるかもしれないことを……。


 だけど、やっぱり苦しくて。

 でも、そんな顔を見せるわけにはいかなくて。

 誰にも気付かれないよう、そっとうつむいた。


「あら、珍しく賑やかだなと思ったら、お友達が来ていたのね」


 その声に振り向くと、入り口にアイリの担当医のミサキ先生が立っていた。

 慌てて私たちは椅子から立ち上がり会釈をする。


「私には、そんなにかしこまらなくていいって言ったでしょ」


 微笑む先生。

 その笑顔は、やっぱり可愛い。


「アイリちゃんはもう少ししたら検査だから、面会はそれまでだけど大丈夫?」 

「あ……は、はい!」


 咄嗟に返事を返す。


「あまり長居してアイリの体に響いちゃうとマズイし、そろそろ帰ろうかなと思ってたので……」


 嘘。

 私がただここにいるのが辛いだけ。


「あー、それもそうだな」

「それじゃ帰るかー」

「アイリん、また来るからねー♪」


 だけどみんな、私の言葉を疑うこともなく受け入れてくれる。

 ……自己嫌悪。


「みんな、来てくれてありがとう」


 微笑むアイリに手を振って、私たちは病室を後にした。

 エレベーターへと向かう廊下。

 爪先を立てるようにして歩いていたミユは、一歩前に出ると、勢い良くこちらを振り返る。


「アイリん、早く退院できるといいねー!」

「うん……そうだね」


 純粋なミユ。

 だけど私の頭の中には、帰り際のアイリの寂しそうな瞳が焼き付いている。

 モヤモヤが止まらない。


 エレベーターを降りて、ロビーに出て、病院の入り口から外にでようとした——。

 ——そのとき、レンの足がふと止まった。


「やべ……スマホがねぇ」


 あちこちのポケットを探るけれど、どこにも入っていないみたいで。

 レンの顔に焦りの色が浮かぶ。


「病院に来るまでは持ってたんだよ!」

「アイリんのお見舞いー、レンレンがスマホ決済で払ってくれたもんねー」

「じゃあ、なくしたとしたらその後か?」

「レン、もう一度よーく思い出してみて!」

「うーん……」


 腕を組んでしばらく考え込む。

 ややあって……。


「……あっ!」


 不意にレンが顔を上げた。


「俺、プリザーブドフラワーを置くとき、棚に置いたかもしれない……」

「あー、あのときな。ったく、人騒がせな」

「……お前のせいだからな」


 ユウトくんを睨みながら、レンはきびすを返す。


「ちょ、ちょっと、レン!」

「先、帰っていいから」


 私の言葉にそう答え、小走りでロビーを戻っていく。

 その背中は、あっという間に見えなくなった。


 私たちは顔を見合わせる。


「えっと……レンもああ言ってたし、俺たちは帰る?」


 頬をかくユウトくんに、私も踵を返す。


「先に行っていいよ。私はレンと一緒に二人を追いかけるから」


 二人の返答を待たずに、私はエレベータへ向かって走り出した。

 エレベーターに乗り込んでボタンを押す。


「帰れって言われて、素直に帰れるワケないじゃんっ!」


 レンはもうアイリの病室についただろうか?

 焦る気持ちが私の脈拍を早くする。


 エレベーターを下りて廊下を進む。

 一番突き当りがアイリの部屋。

 二人の声が聞こえてくる。


「スマホ、やっぱここにあったわ」

「なーんだ、私に会いに来てくれたのかと思ったのに」

「あはは、学校で待ってるからな」


 部屋に近付くにつれて大きく聞こえる声。

 レンの軽い笑い声。


「スマホ、見つかった?」


 そう言いながら部屋に入ろうとした——そのとき。


「……ねえ」


 不意に、アイリの声のトーンが変わった。


「変なこと……言っていいかしら?」


 誰かが入り込むことを拒むようなその雰囲気に、思わず私の足が止まる。

 聞こえた声がもう少し遅ければ、あるいは早ければ、部屋に飛び込んでいたかもしれない。

 でも、私は止まってしまった。


「変なこと?」


 不思議そうなレンの声。

 私は入り口の横の壁に背を預ける。


「あ、あのね、ふと思ったのだけれど……月島くんが私と付き合ったら、レンとアイで恋愛だなって……」


 それは、アイリの雑誌に載っていた魔法少女プリンセスラブの、


『ねぇ、私たちって相性ピッタリだと思わない?』

『アイとショウマ、略してアイショウだからね!』


 というフレーズによく似ていた。

 一瞬の沈黙。

 そして——。


「……ぷっ! あはははは!」


 レンの笑い声が響き渡った。


「なんだよ、水本もそんな冗談言うんだな」


 笑うレン。

 だけど、アイリの笑い声は聞こえてこなくて。


「……冗談じゃなかったら?」


 聞こえてきた言葉には真剣さを感じて。

 私は握った拳を胸に押し当てた。

 天井を見上げ、キュッと瞳をつぶる。


 やっぱり、レンを追い掛けるべきじゃなかった……。


 後悔から涙が滲む、そのとき——。


「あ、ユイちゃん!」


 私の名前を呼ぶ嬉しそうな声。

 慌てて瞳をこすってそちらを向く。

 それはショウ先輩だった。


「まだ病院内にいてくれて良かった!」


 先輩は、満面の笑みで私の元に駆け寄って来た。

 その勢いのまま抱き締められそうな圧を感じて、私は思わず後ずさる。

 ちらりと室内に目を向けた。

 突然現れた私に驚く二人の顔が見える。


「ユイちゃん、俺、来月には恋免取れそうだから!」


 周りは一切目に入らない、私しか見えないような先輩。

 今だけは、空気の読めない先輩がありがたい。


 ……なんて思ったのもつかの間。


「だから、お預けになったデートは来月ということで!」


 屈託のない先輩の明るい声が、辺りに響き渡った。

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