「アイりん、椅子借りるねー」
壁際にあった折り畳み椅子を、ミユとユウトくんが手に取った。
カチャカチャと音を立てながら並べられていくのを横目に、私はアイリに向き直る。
「お見舞い、お花を持ってきたから」
私の言葉に、レンがプリザーブドフラワーの入ったバスケットを見せた。
彼は、きょろきょろと部屋の中を見回し、
「ここ、いいか?」
と、ベッド横の背の低い棚を指差す。
「う、うん」
それを見つめるアイリは嬉しそうに頬を染めている。
……胸がチクリと痛む。
そのとき、ユウトくんが口を開いた。
「んー、レン。ちょっと角度が悪いな。もう少し右に向けて」
「こうか?」
「バカ、向けすぎだって。左に戻して……って、その向きじゃ最初と一緒だろ!」
「うるせーなぁ……」
ガミガミ言うユウトくんに、レンはため息を一つ。
左手のスマホを棚の上に置き、バスケットを両手で持った。
少しずつ慎重に傾けて……。
「これでいいか?」
振り返ったレンに、ユウトくんが〝ピッ☆〟と親指を立ててウインク。
「ほら、さっきより輝いて見えるだろ?」
言われてみると、確かに綺麗に見える気がする。
「こういうのって、光のバランスが大切だからね。せっかくなら、最高の状態で飾りたいじゃん?」
「すごーい、ユッたん!」
歓声を上げるミユ。
ユウトくんは得意げに鼻を
「でも、悪いわ。これ、プリザーブドフラワーでしょ? 結構、高いんじゃないの?」
アイリが申し訳なさそうに言う。
でも、ユウトくんは笑顔で首を横に振った。
「気にすんなって、税込み3800円だから。4人で割ったら1人950円だし」
「わわっ、ユッたーん!」
「それ、言っちゃう!?」
「最悪の状態だな……」
みんなから責められて、しょぼーんと肩を落とすユウトくん。
そんな姿に、アイリが大きな声で笑った。
「あはははは! みんな、何も変わってないのね。安心したわ」
楽しそうなその姿に、ミユはアイリの手をそっと握った。
「もちろーん! 私たちはー、何も変わらないよー!」
「ありがとう、ミユ」
「だから、水本は早く良くなれよ」
「ありがとう、月島くん」
少しだけ、しんみりした空気。
「アイリ……退院待ってるから」
その雰囲気に押されるように、無難な言葉が口をつく。
でもそれは私の本心でもある。
「ありがとう、ユイ。私、頑張るから」
それを感じ取ってくれたのだろう。
アイリは、そう言って微笑んだ。
「あれれー? ちょっとみんな、暗くなーい?」
その空気を割って聞こえるのは、ユウトくんの明るい声。
「せっかくお見舞いに来てるんだし、明るくいこうぜ!」
そんなユウトくんに空気は一変。
レンもため息をつきつつ、困ったように笑っている。
いつもユウトくんは場を明るくしようと盛り上げてくれる、ムードメーカー的存在。
彼がいると、いつも笑顔が絶えない。
ほんと、いい人だよね。
だけど……。
その勢いのまま、ユウトくんはアイリに向き直る。
「アイリちゃんも遠慮しないで言っていいんだよ?」
「……なにを?」
「そんな花より、さっきのアニメのグッズの方がいいって」
「い、い、い、言うワケないでしょ!」
アイリがキッとユウトくんを睨む。
「……っていうか、私、まだあなたを許してないからね」
「んなーっ!?」
だけど、調子に乗るのが玉にキズ……。
ユウトくんの悲鳴が、再び病室に響き渡った。
それから私たちはたわいもない雑談をして。
笑い合って。
レンを見つめるアイリの笑顔に胸が苦しくなって。
私もレンが好き!
って言えたならどんなに楽になるか。
今にも叫び出したい気持ちを、心の中の私が冷静な瞳で静止する。
わかってる。
それを口にした瞬間、私たちの関係は終わるかもしれないことを……。
だけど、やっぱり苦しくて。
でも、そんな顔を見せるわけにはいかなくて。
誰にも気付かれないよう、そっと
「あら、珍しく賑やかだなと思ったら、お友達が来ていたのね」
その声に振り向くと、入り口にアイリの担当医のミサキ先生が立っていた。
慌てて私たちは椅子から立ち上がり会釈をする。
「私には、そんなに
微笑む先生。
その笑顔は、やっぱり可愛い。
「アイリちゃんはもう少ししたら検査だから、面会はそれまでだけど大丈夫?」
「あ……は、はい!」
咄嗟に返事を返す。
「あまり長居してアイリの体に響いちゃうとマズイし、そろそろ帰ろうかなと思ってたので……」
嘘。
私がただここにいるのが辛いだけ。
「あー、それもそうだな」
「それじゃ帰るかー」
「アイリん、また来るからねー♪」
だけどみんな、私の言葉を疑うこともなく受け入れてくれる。
……自己嫌悪。
「みんな、来てくれてありがとう」
微笑むアイリに手を振って、私たちは病室を後にした。
エレベーターへと向かう廊下。
爪先を立てるようにして歩いていたミユは、一歩前に出ると、勢い良くこちらを振り返る。
「アイリん、早く退院できるといいねー!」
「うん……そうだね」
純粋なミユ。
だけど私の頭の中には、帰り際のアイリの寂しそうな瞳が焼き付いている。
モヤモヤが止まらない。
エレベーターを降りて、ロビーに出て、病院の入り口から外にでようとした——。
——そのとき、レンの足がふと止まった。
「やべ……スマホがねぇ」
あちこちのポケットを探るけれど、どこにも入っていないみたいで。
レンの顔に焦りの色が浮かぶ。
「病院に来るまでは持ってたんだよ!」
「アイリんのお見舞いー、レンレンがスマホ決済で払ってくれたもんねー」
「じゃあ、なくしたとしたらその後か?」
「レン、もう一度よーく思い出してみて!」
「うーん……」
腕を組んでしばらく考え込む。
ややあって……。
「……あっ!」
不意にレンが顔を上げた。
「俺、プリザーブドフラワーを置くとき、棚に置いたかもしれない……」
「あー、あのときな。ったく、人騒がせな」
「……お前のせいだからな」
ユウトくんを睨みながら、レンは
「ちょ、ちょっと、レン!」
「先、帰っていいから」
私の言葉にそう答え、小走りでロビーを戻っていく。
その背中は、あっという間に見えなくなった。
私たちは顔を見合わせる。
「えっと……レンもああ言ってたし、俺たちは帰る?」
頬をかくユウトくんに、私も踵を返す。
「先に行っていいよ。私はレンと一緒に二人を追いかけるから」
二人の返答を待たずに、私はエレベータへ向かって走り出した。
エレベーターに乗り込んでボタンを押す。
「帰れって言われて、素直に帰れるワケないじゃんっ!」
レンはもうアイリの病室についただろうか?
焦る気持ちが私の脈拍を早くする。
エレベーターを下りて廊下を進む。
一番突き当りがアイリの部屋。
二人の声が聞こえてくる。
「スマホ、やっぱここにあったわ」
「なーんだ、私に会いに来てくれたのかと思ったのに」
「あはは、学校で待ってるからな」
部屋に近付くにつれて大きく聞こえる声。
レンの軽い笑い声。
「スマホ、見つかった?」
そう言いながら部屋に入ろうとした——そのとき。
「……ねえ」
不意に、アイリの声のトーンが変わった。
「変なこと……言っていいかしら?」
誰かが入り込むことを拒むようなその雰囲気に、思わず私の足が止まる。
聞こえた声がもう少し遅ければ、あるいは早ければ、部屋に飛び込んでいたかもしれない。
でも、私は止まってしまった。
「変なこと?」
不思議そうなレンの声。
私は入り口の横の壁に背を預ける。
「あ、あのね、ふと思ったのだけれど……月島くんが私と付き合ったら、レンとアイで恋愛だなって……」
それは、アイリの雑誌に載っていた魔法少女プリンセス
『ねぇ、私たちって相性ピッタリだと思わない?』
『アイとショウマ、略してアイショウだからね!』
というフレーズによく似ていた。
一瞬の沈黙。
そして——。
「……ぷっ! あはははは!」
レンの笑い声が響き渡った。
「なんだよ、水本もそんな冗談言うんだな」
笑うレン。
だけど、アイリの笑い声は聞こえてこなくて。
「……冗談じゃなかったら?」
聞こえてきた言葉には真剣さを感じて。
私は握った拳を胸に押し当てた。
天井を見上げ、キュッと瞳をつぶる。
やっぱり、レンを追い掛けるべきじゃなかった……。
後悔から涙が滲む、そのとき——。
「あ、ユイちゃん!」
私の名前を呼ぶ嬉しそうな声。
慌てて瞳をこすってそちらを向く。
それはショウ先輩だった。
「まだ病院内にいてくれて良かった!」
先輩は、満面の笑みで私の元に駆け寄って来た。
その勢いのまま抱き締められそうな圧を感じて、私は思わず後ずさる。
ちらりと室内に目を向けた。
突然現れた私に驚く二人の顔が見える。
「ユイちゃん、俺、来月には恋免取れそうだから!」
周りは一切目に入らない、私しか見えないような先輩。
今だけは、空気の読めない先輩がありがたい。
……なんて思ったのもつかの間。
「だから、お預けになったデートは来月ということで!」
屈託のない先輩の明るい声が、辺りに響き渡った。