私は今、待ち合わせのため一人で校舎裏に立っていた。
冬の寒さは日に日に増している。
そのいい例が、この吹き抜けていく風だ。
ぴゅう〜!
「ううっ!」
冷たい音を立てる風に、思わず体が震えた。
一か所だけ開いている校舎の窓も、ガタガタと揺れている。
いつも思うのだけれど……なんでこんなときに限って風が強いのっ!
「くううぅ〜〜」
うなりながら小刻みにジャンプしてみる。
こうすると、少しだけ寒さが紛れる気がした。
「ユイちゃん!」
そのとき、私の耳に聞こえてくる甘い声と足音。
それは、
駆け寄ってくるその顔は満面の笑み。
私が寒空の下で立っていたのは、先輩との待ち合わせが理由だった。
「お待たせ、ユイちゃん!」
はずむ息が白い。
「急に呼び出しちゃってすみません」
「いや、ユイちゃんからの呼び出しなら、どこにだって駆けつけるから!」
そう言って笑う先輩。
以前、私のために湖に飛び込んだこともあるし……。
どこにでも駆けつけるというのも、冗談には聞こえない。
「俺、もうすぐ恋免取れるから。あと少しだけ待っててね」
先輩は
嬉しそうに言う。
でも、私がこれから言おうとしていることは、きっと先輩にとって嬉しい話じゃない。
私はレンが好きだから、先輩とは付き合えない。
それを伝えなくちゃいけないから。
「あ、俺が免許を取ったからってユイちゃんは急いで取らなくて大丈夫だからね。今度は俺が待つ番だから」
眩しいくらいの笑顔が胸に痛くて。
唇をキュッと噛んだ。
「でも、デートには誘うから心配しないでね! 恋免がなくてもデートはできるから」
先輩と付き合えないことを伝えたら、どんな反応をするだろう?
怒るかな?
声を荒げて責められるかな?
叩かれたり……は、先輩に限ってはないと思うけれど。
でも、そうだとしても言わなくちゃいけない。
私が全力でレンに向き合うために!
「ショウ先輩、あの!」
「やっぱクリスマスといえばイルミネーションだよね! 俺、いいところ知ってるんだ。きっとユイちゃんも喜んでくれると思う」
無邪気に話す先輩。
私の声、聞こえなかった?
「あ、あの!」
「そうそう! ユイちゃんたちがコスプレした『紅腹姫と白い騎士』だけど、新しい映画やるね! 今度、観に行こうか」
だけど先輩は、私の言葉を遮って話し出す。
……もしかして、ワザとやってる?
「先輩、話を……」
「ユイちゃんは動物は何が好き? 俺は猫も捨てがたいけど、やっぱ犬が……」
「話を聞いてくださいっ!!」
一向に聞いてくれない状況に、つい大きな声が出てしまった。
先輩は、そんな私をじっと見つめる。
そして、その口が静かに開いた。
「それって、俺にとって嬉しい話?」
「え……」
思わず口ごもった私に先輩は笑う。
「じゃあ、聞きたくないな」
その言葉に何も言えなくなって。
私はただ
冷たい風が私たちの間を吹き抜けていく。
だけど、今の私には寒さすら感じる余裕はなかった。
そのとき、先輩がふと口を開いた。
「ユイちゃん、こっちを向いて」
静かな声。
私は、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、私を見つめる先輩がいた。
その瞳はとても真剣で、心臓が大きく脈打った。
「俺、ユイちゃんのことが好きだよ」
突然の告白に顔が一気に熱くなる。
優しく微笑む先輩を前に、胸の鼓動はどんどん激しくなっていく。
「こんなに人を好きになったの、初めてなんだ」
真っ直ぐな瞳の先輩。
その言葉に、嘘偽りは感じられない。
「な……なんで先輩は、私をそこまで好きなんですか?」
だけど、聞かずにはいられなかった。
「俺に人を好きになることの大切さを教えてくれた人だから、かな」
即答。
考える素振りも見せずに答える先輩に、私の顔は更に熱くなる。
過去に酷い恋愛をした先輩は、その恋愛観が大きく歪んでしまった。
今が楽しければいいという刹那主義のもと、複数の人と同時に付き合った。
恋免の偽造までしていた。
「ユイちゃんと出会って、今までの自分がどれだけ人を傷付けてきたかわかったんだ」
何も言えなくなっている私に、先輩は優しく微笑んだ。
「俺はもう、恋に誠実に生きたいから」
「先輩……」
今の先輩となら、上手くやっていけそうな気がする。
私だけを本気で愛してくれて。
私を喜ばせるために必死になってくれるだろう。
そして、そんな幸せもいいなって……本当にそう思う。
……でも。
やっぱり、私はレンが好き!
意地悪もするし、嫌味も言うし、冷たいときもある。
だけど、本当は優しくて。
心に深い悲しみを持っていて。
そんなレンを私は好きになった。
愛されるだけじゃなくて、私も全力で愛したい!
この気持ちに気付いてしまった日から、もう目を背けることなんてできなかった。
だから……。
「ごめんなさい」
私は深々と頭を下げた。
両の瞳からは涙が零れ落ちて。
それを隠したくて、私はずっと頭を下げ続けた。
想いに応えられないことがこんなにも辛いだなんて、初めて知った。
今なら、リコさんに応えられなかったレンの気持ちが痛いほどわかる。
「……そっか」
先輩は噛み締めるようにそう言って、フッと少しだけ笑った。
「やっぱり、月の島くんのことが好きなのかい?」
「なっ、なんでそれを……!?」
驚きのあまり、弾けるように顔を上げた。
涙も一気に引っ込んだ。
「あはは、ユイちゃんはわかりやすいからね」
「私、隠していたつもりだったのに……」
「それだけ俺が、ユイちゃんのことを好きだっていう証拠だね」
そこまで言って先輩は目を細める。
「そして、俺の告白をちゃんと受け止めてくれたこともわかった」
「……ごめんなさい」
「もう謝らなくていいって。これからもキミの幸せを願っているのは変わらないから。何かあったらいつでも頼っておいで」
「はいっ!」
「それじゃ、もう行きな。もう、ここに用はないはずだよ」
その言葉に私はもう一度頭を下げ。
そして、
——でも。
私は、足を止めると先輩を振り返る。
「あ、あの、ショウ先輩!」
「うん?」
「こんなこと言ったら生意気って思われるかもしれないけど……」
大きく息を吸い込んで、そして私は叫んだ。
「色々あったけど、私、先輩に好きになってもらえて良かったですっ!」
私の言葉に驚いた顔を見せた先輩は……。
やがて、いつもの笑顔に戻っていった。
「うん、生意気だね」
「で、ですよね。ごめんなさい」
ペコリと頭を下げ、再び踵を返して走り出す。
今度はもう、振り返らない。
サヨナラ、ショウ先輩……。
* * *
「ふぅ……」
どんどん小さくなっていくユイの背中を見つめ、ショウは息を吐いた。
その顔から笑みが消える。
完全にユイの姿が見えなくなってから、静かにその口を開いた。
「出てきなよ。いるのはわかってるよ」
ややあって、校舎のただ一つ空いた窓から、おずおずと顔がのぞく。
「まったく……盗み聞きはよくないよ、ナッちゃん」
それはナッちゃんこと、ショウの
「ごめん、たまたま通りかかっちゃって」
「ふぅん?」
「それより……残念だったね」
「まぁ、仕方ないよ。それに、俺は今まで色々な人と関係を持ってきたからね。別れなんて慣れっこなんだよ」
「そっか……」
ナツミは一度言葉を切ると、ショウを見つめた。
「じゃあ、なんでそんな辛そうな顔してるの?」
ショウの顔。
それは、今にも泣き出しそうで。
でも、唇を噛んで必死に涙を
「……ねえ、ナッちゃん。俺、ちゃんと笑えてたかな? いつもの俺でいられたかな?」
「うん。きっと大丈夫だよ」
「よかった……」
ショウは空を見上げる。
風に吹かれ、筋状の雲が流れていくのが見えた。
「ナッちゃん。俺さ、初めてフラれたかもしれない」
「そっか。後悔してる?」
「いや……」
首を横に振ると、ショウはナツミに向き直る。
その顔に笑顔が浮かんだ。
「俺、ユイちゃんを好きになってよかった」