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第15話 分かち合う痛み(2)

 腕の噛み傷、はやく手当しなくちゃ。


「先輩、傷見せて」

「大丈夫……」


 痛そうに腕を抱えてる先輩。だけど見せてくれないの。


「見せて」

「……」

「おねがい」

「いやだ」

「だめだってば」


 なかなか言うことを聞いてくれない。

 そういえば、この人が頑固なの忘れてたわ。


「ユーノース?」

「うッ…………。わかったよ」


 名前呼びしたのが効いたのか、先輩は渋々、私に腕を差し出したの。

 白いシャツの袖はすっかり真っ赤になってしまっていて、牙で付けられた穴も開いていたわ。


 私は、なるべく痛くしないように彼の袖をまくり上げたの。

 すると、腕は無数の噛み傷で、ひどい状態だったの。


「ど、どうしてこんな……」


「君を傷付けるわけにはいかないだろう?」

 と言いながら、彼は反対の手で私の髪を撫で付けたの。


 こんなになるまで、自分を傷つけて……。

 私は噛み傷だらけの先輩の腕を見て、素直にこう思ったの。


「どうして……こんなにたくさん噛んじゃったの?」


 血の滴る噛み痕に、私はハンカチをあててあげたの。白いハンカチに、じわぁっと先輩の赤い血がにじんでいく。

 そして先輩が、傷口をハンカチの上から圧迫しはじめたの。

 これですぐに血が止まるといいのだけど。


 先輩は恥ずかしそうに、

「あんまり君が可愛くて、どうしても欲しくなってしまった時、噛んで紛らわしてたんだ。血を口に含めば、少しは収まるから……」

 って言ったの。なぜかちょっと嬉しそうに。


「ああ、やっぱり私のせいじゃない!」

「だからなるべく人目のある場所で会うようにしてたんだが……なかなか、ね」


 私が怒ってるのに、先輩ってば照れたり笑ったりしてるの。なんなのよ、もう。


「やだ、それって吸血衝動が原因だったの?」


「うん……。愛しいから抱きたいのと同じくらい、愛しいから飲みたいという欲がある。これは僕にとっての生理現象だから、止めようがなくてね……」 


「せ、生理現象……」

「そう。生理現象」


 先輩は妖艶な笑みを浮かべて、私をじっと見つめたの。

 そうよね……。

 ダンピールなら、こんなに妖しいのも当然だったんだわ。

 あ~~~、妖しくて美しいなんて、やっぱりズルい~~~!


「先輩!」

「な、なんだい?」

「今日から自分の腕を噛むの禁止! 私の血を飲んで!」

「⁉」


 先輩はしばらく固まってたんだけど、頭をふるふると振ってから、ちょっと怒った顔で言ったの。


「バカ言うな……。誰が大事な君の血を……」

「先輩が苦しむ方がイヤなの!」


 そしたら彼は、つらそうな顔になって、

「僕は構わない」


「構わないわけないじゃない! ずっとずっと我慢してたんでしょ? 調子が悪かったのも疲れてたのも、血を飲んでなかったからなんでしょ? 生活にも仕事にも、たっくさん支障が出てるじゃない!」


「しかし…………」

 先輩は唇を噛んで黙ってしまった。

 だんまり決め込んだって許さないんだから。


「体の傷よりも心の傷の方が痛いの!」

「……君は痛くないだろ」

「痛いわよ! 胸が痛いの! 先輩が苦しむと私も苦しいの! だからお願い!」

「ミラ……だが……」


 う~、としばらく睨み合う私と先輩……。


「そりゃ……愛しい君の血は欲しいけど……」

「ほらごらんなさい」

「僕の努力を少しは理解してもらいたいのだけど」

「それで万事丸く収まっていたら今こうなってないでしょ? 支障が出まくってるじゃない」

「それは……その……しかし……やっぱり……」

「私の血があれば買いに行かなくても済むのよ? 仕事も体調も万全になるんでしょう?」

「それはッ……う……でも……まあ……いやダメだよ、やっぱり……」


 ホントに往生際の悪い人ね!


「嫌がっても自分で血を採って先輩の口に無理矢理流し込んでやるんだからね!」

「素人が勝手に採血なんかしたら大変なことになるんだぞ!」

「でもでも、血がないと困るでしょ! ね!」

「困るけど! だがそれとこれは!」

「違わないじゃない!」


 さんざん言い合いをした挙句――。


 はー、と大きなため息をつく先輩。

 とうとう私に根負けしてくれたみたい。


「……わかったよ。言い出したら本気でやりかねないからなぁ君は」

「やったあ!」

「でも、血を採るのは僕がやる。いいね?」

「うん!」

「じゃ、今日は少しだけ頂くよ」


 それから先輩はシャツを脱ぎ捨てて水道で腕を洗い、噛み傷の手当をすると、私を抱き上げて寝室へ向かったの。



 ああ……、なんかドキドキしちゃう。

 吸血鬼に噛まれるのって、痛いのかな。

 でも、彼だけに痛い想いをさせたくないもの。

 先輩のために、わたし、がんばる!



 先輩の寝室に入ると、彼がさっきまで着ていたパジャマが、椅子の上に無造作に掛けてあったの。慌てて準備をしてたせいか、カーテンは半開き、クローゼットの扉は開けっ放しだったわ。

 この部屋も他の部屋同様、ほとんど荷物はなくって、ふたの開いた木箱が三つほど床の上に置かれていたの。多分、家具がわりなのかも。

 よくよく考えたら、このアパルトメントって家具付きじゃなかったのね。どうしてかしら……。


 なんて考えていたら、私はベッドの上にゆっくりと下ろされたの。


「じゃあ、着替えたら注射器の用意をするから、ちょっと待ってて」

 そう言って先輩はクローゼットから新しいシャツを取り出したの。


 着替える先輩を横目で見ながら、

「え? 噛むんじゃないの?」


「噛まないけど……」

「腕噛んでたじゃない」

「普段僕がどうやって血を飲んでるか分かってるよね?」

「えっと……お店で買ってる」

「そう」

「その売っている血ってどうやって採ってると思う?」

「あ! ……注射器で、かな」


「そうだよ。提供者の腕から注射器で採血し、瓶詰めして、保冷機で冷やして保存してるんだ。つまり僕は瓶で血を飲んでる。ということは?」


「噛んでない……」


 そうこうするうちに、先輩はシャツのボタンをすべて留め終わって、

「理解してくれてどうも。じゃ、注射器取ってくる」

 と言って、部屋を出ようとしたの。


「待って」

「ん? やっぱりやめておくかい?」

「違うの。私……注射はイヤ。先輩に噛まれたいの」

「え……? 本気かい?」


 先輩はベッドサイドに戻って来て、私を見下ろした。


「もちろん」

「牙の方がいいの?」

「そうよ」

「というか注射がイヤとか?」


 小首を傾げながら、次々に質問をする先輩。

 そんなに意外だったかな?


「私、吸血鬼に噛まれたことないから注射と比べられないけど……でも、貴方に直接飲まれたいの」


 先輩の顔が一瞬引きつって――

「う……。そういう可愛いことを言うのは……反則だ、ミラ」

 手を額に当てて、く~~~って言って、のけぞったの。


「どうして?」

「愛しさが爆発してしまうから」


 今度は私の方が、く~~~ってなっちゃった。


「も、もう! とにかく吸って! ほら!」

「わ、わかった。ミラ……、じゃあ……いただきます」


 先輩は私に向かって手を合わせると、ベッドの傍らにひざまずいたの。

 そして消毒液を含んだ脱脂綿で私の首筋を拭くと、静かに牙を立てたの。


 ――ぷつり。


「うっ……」


 痛い! ――でも、がまんした。

 言えば、先輩が吸うのやめちゃうから。


 ……あれ?

 痛いの最初だけ?


 首の皮膚が突き破られて、牙がちょっとだけ入っていく。

 でもそこまで痛くなかったの。先輩の牙はすぐ出ていっちゃったから。


 私の首から牙がすっと抜かれると、今度は先輩の唇が吸い付く感触。

 先輩が私の血を飲み始めたのかな……。

 ときどき、チュッ、チュッと音を立てて飲んでる。


 なんだかミルクあげてるみたい……。

 かわいい……。

 先輩が、愛おしくなってきた。


「えーっと、……おいしい?」


 先輩は私の首から少しだけ口を離したの。

 そういえば、吸ってたらしゃべれないもんね。


「うん。最高だよ……。久しぶりの血が君の血だなんて……生き返るよ」

「よかった」


 吐息交じりに耳元でそんなこと言うから、ゾクゾクしちゃう。

 傷口から血が溢れてくるのか、彼は私の首筋をぺろぺろと舐めている。

 正直くすぐったいんだけど……。 


「久しぶりの血って言ってたけど、最近はその……血は、どうしてるの?」

「最近? 買いに行くヒマがないから、注射器で自分の腕から採血して飲んでる」

「え! 他人のじゃなくても、いいの?」

「よくはない。その場しのぎさ」

「やっぱり私のせいだよね……」

「原因ではあるが、ミラの責任では断じてないよ」


 そう言って先輩は、やさしく私の髪を撫でてくれたの。


「本当に?」


「もちろん。血液は保存の効かないものだから、タイミングによっては買いに行けないんだよ。買いだめしておければいいんだけどね。うちには保冷機もないし」


「じゃあ、こんど私が買いにいってあげる」

「……あのねえ、ミラ。おしゃべりは後にしてもらえないかい?」

「だってヒマなんですもの」


 先輩はため息をついて、

「もう、落ち着いて味わえないじゃないか、お願いだから大人しくしておくれよ」


「えへへ……でも私のだけにしてよ」

「ん? やきもち焼いてくれるのかい?」

「ええ。他の子の血は絶対吸っちゃだめなんだからね?」


 嬉しかったのか、先輩がまた、く~~~ってなってる。


「分かってる。ありがとう、ミラ。……でも、店で買うのはいいよね?」

「それは許してあげる」

「助かるよ。じゃ、大人しくしていてね」

「はーい……」


 彼は遠慮がちに、チュッと小さく音を立てて再び私の血を啜りだしたの。

 一生懸命横目で彼の顔をのぞき込むと、本当にうれしそうに血を吸ってた。


「いっぱい飲んでね。今までずっと我慢してきたんだから」

「ん」

 先輩は私の首筋から口を離さずに、短く返事した。


 嬉しいな。

 彼の役に立てるんだもの。


 先輩……。

 今までつらかったよね。

 もう大丈夫だからね。

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