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幽霊のみぞ知る
幽霊のみぞ知る
りすこ
ミステリーサスペンス
2024年10月31日
公開日
7,670字
完結済
女性が突然死した。刑事のオークリーが現場にかけつけると、女性の夫が「妻が突然死した」と語っていた。彼は妻を助けようと人工呼吸して、医者を呼んでいる。医者は毒物反応はないと言う。これは不慮の事故なのか―― オークリーは夫が妻を殺していないかと疑い、検死官のメイベルの元に女性の遺体を運ぶ。メイベルは降霊術を使い、死者と対話を始めた。 そして二人が事件を解決するまでの話。

幽霊のみぞ知る

 その女性は、浴槽の中で眠るように死んでいた。


 浴槽の湯は全てかきだされたあとで、底に水滴が残っている。

 女性の着ている薄衣のナイトドレスは濡れていた。

 それがしっとりと肢体に貼りついていて、彼女の白い肌を浮かび上がらせている。


 彼女の名前は、エリザベス。

 身よりがなく夫のケネスと二人暮らし。結婚してまだ3か月だ。

 しかし悲劇が起きた。エリザベスが突然死したのだった。


 夫のケネスは浴室の外で呆然としている。

 地元の医師が彼に声をかけているが、反応は薄い。


 医師の通報を受けて警察官の俺、オークリーは、後輩のトミーと現場に来ていた。トミーがケネスを気にしながら、俺に話しかけてくる。


「ケネスさん、ショックを受けていますね……かわいそうに」

「そうか?」


 そっけなく言うと、トミーは俺にまくし立てた。


「ケネスさんは奥さんに人工呼吸しています。何度も。それに医者も呼んでますし」

「ケネスは看護師だったな……人命救助はできるか」

「家族が死にかけていたら、看護師じゃなくても人工呼吸すると思いますけど……」

「浴槽に水が残っていないが、ケネスが捨てたのか?」

「奥さんを発見したとき、顔が水についていたそうです。慌てて水を捨てたとか」

「なるほどな」


 俺は振り返って、ケネスを見やる。

 呆然と立ったままのケネスは、白いシャツを着ていた。

 俺は嘆くケネスに近づき、声をかけた。


「刑事のオークリーです。あなたがエリザベスさんを発見したとき、彼女の呼吸は止まっていたんですか?」


 ケネスはうなずいた。


「ええ……脈がなく、慌ててエリザベスを持ち上げようとしましたが、体が重くて……」

「それで水を捨てたんですか」

「……妻は腹痛を訴えていました。調子が悪いなら、お風呂に入らない方がいいと私が言ったのですが、大丈夫よと笑っていて……」


 ケネスが突然、声を詰まらせ、瞳を潤ませた。これ以上は言いたくなさそうだ。


「よく分かりました。ではなぜ、あなたの服は濡れていないんですか?」

「……え?」


 ケネスのシャツはえりがパリッとのり付けされている。汚れもなく、濡れて肌に張り付いてもいない。

 きっと妻のエリザベスが夫のために、シャツに丁寧なアイロンかけをしたのだろう。そう思ったら、苛立ちが腹の底から湧き上がった。


「人命救助をしたにしちゃあ、着衣の乱れがねえな。おまえ、エリザベスを浴槽に入れた後、水をかけたんだろ」

「わ、私は妻を愛していた! だから、人工呼吸したんですっ!」


 ケネスを擁護して医師も話し出す。


「エリザベスの体を調べましたが、毒物反応はなかったです……これは突然死ではないかと」

「トーミィィィ」


 俺はかったるくなって、トミーを呼んだ。


「ケネスを逮捕しろ」

「えっ?!」

「手錠かけて、拘留所にぶち込んでおけ」

「は、はい! し、失礼しますっ!」


 トミーがケネスに手錠をかける。


「私はエリザベスを殺していない! 気づいたら、死んでいたんだ!」


 ギャーギャーわめくケネスをトミーが力ずくで引っ張っていく。

 医者は顔をしかめていたが、家から出てってもらった。


 俺は浴室に戻って、エリザベスを抱きあげる。

 彼女は重かった。

 穏やかな顔をしていて、本当に眠っているみたいだ。


「腕のいい検死官けんしかんを知っている。連れていくな」


 俺はエリザベスに話しかけ、彼女の体を布でくるみ、用意してある箱の中に体をいれた。



 棺桶みたいな箱を背中にかついで、辻馬車が行きかうあぜ道を歩いていく。今朝までは雨が降っていたから、道はひどくぬかるんでいた。土に沈む靴をうっとおしく思いながら、通りの角を曲がる。


 3階建てのレンガ造りのアパートに挟まれた窮屈な路地は、太陽の光が差し込まないせいかくらかった。近寄りがたい雰囲気を漂わせている。


 正面の家だけが平屋だ。白い漆喰いの壁が薄汚れている。窓には石鹸が塗られ、曇っていた。


 俺は正面の家の扉を開いた。

 木製の扉がキィと頼りなさげな音をたて、あっけなく開く。

 ツンと鼻を刺激する匂いがした。


 天井が高く、壁一面は本棚の家だった。

 瓶が整然と並んだ棚もあり、小さな机の上では、檻に入ったネズミがチューチュー鳴いている。

 家の中心に長机があり、その前に検死官のメイベルが居た。

 背が低い女で、使い古しの、ぶかぶかの白衣を着ていた。


「よう、メイベル」


 気さくに声をかけると、メイベルはぴくりとも笑わないで言った。


「不良刑事が何の用ですか」

「うわっ、ひっでぇ言い方」

「ぼさぼさ頭の無精ひげで、女たらしの暴言刑事がわたしに何の用ですか?」

「もっとひどくするなよ」


 俺は顔をしかめながら、扉のチェーンをかけた。


「ったく、不用心だな。鍵くらいかけろ」

「ここにくるのは、あなたぐらいです。家に入ると解剖されるって、周りの人に言われているんですよ? 知らないのですか?」

「ナイフを持って真顔で言うな。こえぇから」


 俺は両肩をすくめ、メイベルに近づく。背負っていた箱を床にそっと置いた。


「殺人の可能性がある。調べてくれ」


 事情を説明すると、メイベルは無言で白衣のポケットから煙草を取り出す。

 煙草を口にくわえ、長机の隅にある燭台で火をつけた。

 そして、煙草の箱を俺に向かって投げる。


「あなたも吸ってください。腐臭で鼻がやられます」


 キャッチした煙草は、安い銘柄だった。

 俺は顔をしかめる。


「これ、好きじゃねえんだよな」

「胃が空っぽになるまで吐きたいのなら、吸わなくていいです」


 俺はしぶしぶ煙草に火をつけ、口に咥えてふかした。

 箱からエリザベスの体を出して、長机の上に置く。エリザベスの顔色は悪くなっていた。


「虫が営みをはじめている……早くしないと」


 メイベルは首から下げていたペンタクルをエリザベスの胸に置いた。

 そして、腰ベルトから短い宝剣を取り出す。

 きらめく銀色の切っ先をペンタクルに向け、降霊儀式をした。


「エリザベス……わたしに姿を見せてください」


 ペンタクルが発光して、白いもやが上り立つ。

 俺には靄に見えるが、メイベルには本人が視える、らしい。


 メイベルは靄を見上げた。

 彼女は何を見たのか。

 わずかに眉根を寄せ、靄に話しかける。


「……泣かないで、エリザベス。何があったのか話せますか……?」


 メイベルはポケットから紙を取り出す。白い靄の前に、紙を広げた。

 紙にはアルファベットが書いてあって、透明の石が置いてある。


「あなたがされたことを教えて。わたしたちは、あなたの味方よ」


 しばらくして、誰も触れていないのに石が動いた。

 文字をなぞるような動きで、メイベルはそれを真剣に見ている。

 いつみても不思議で、背筋がぞくぞくする光景だ。

 やがて石が止まり、メイベルが靄に話しかけた。


「あなたの体を調べるわね。安心して。そこの女たらし刑事にへんなことはさせない」

「おいこら、どういう意味だ」

「うん、うん。……大丈夫よ、エリザベス。もう逮捕されているからね」


 メイベルは俺をガン無視して、靄に優しい声で話しかけていた。

 やがて、靄はすっと消えた。

 ペンタクルを首から下げて、メイベルは俺に向かって言う。


「エリザベスは夫に注射を打たれたって言っています。確認するから、手伝ってください」


 俺はうなずき、メイベルの指示通りに、エリザベスの体を横にした。


 メイベルは咥え煙草をしながら、エリザベスの着ていた服を脱がす。下着もおろし、あらわになった臀部を見つめた。

 白衣の胸ポケットから拡大鏡を取り出して、観察している。


「注射痕……ありますね」

「何を注射されたんだ?」

「それを調べるのが警察の役目です」

「毒じゃないらしいぞ」

「夫は看護師だったのですよね? 薬局で買えない薬も使えるのでは?」

「なるほどな。調べてみる」


 メイベルはエリザベスの服を整え、防腐剤をほどこした。

 そのあとで薬品棚から丸いコンパクト取り出す。

 コンパクトを開き、エリザベスの唇に紅をさした。


「わたしのですが、我慢してくださいね」


 メイベルはエリザベスが生きているように話しかけ、ほほ笑んでいた。

 そのしぐさひとつひとつに、俺はぐっときてしまう。

 遺体を人として扱ってくれる。

 だから、俺はメイベルを信用できる。


「エリザベスはわたしが預かります」

「頼んだ」


 俺はメイベルの家を出て、聞き込み捜査を開始した。


 捜査を進めていくうちに、ケネスの担当は糖尿治療だった、ということが分かった。

 だが、エリザベスは糖尿病ではない。なら、薬を投与したらどうなるか――


「メイベル、どうなるんだ?」


 再びメイベルのもとを訪れ、俺は尋ねた。

 メイベルは棚から分厚い本を取り出す。

 本を覗き込むと、新聞の切り抜きが貼ってあった。


「最近の論文も見ましたが、症状のない患者にインスリンを投与して、死亡した例はありません」

「……じゃあ、あの注射の中身は違うってのか?」

「そうとも限りません。実例がないってだけかも」

「実例……作れるのか?」

「ラットで実験すれば」


 メイベルは檻に入ったネズミたちを見た。


「……やってくれるか? 実験」

「いいですよ。牛乳、一本で手を打ちます」

「牛乳かよ……」

「新鮮なものでお願いします」


 生の牛乳のことだよな?

 あれ、くそ高くてワイン買った方がましなんだけど。


「へいへい。わかったよ」

「実験が終わったら連絡します」


 俺は両肩をすくめて、家から出ようとした。


「……ごめんね」


 背後から小さい声が聞こえた。

 振り返ると、メイベルがネズミをじっと見つめている。

 横顔は切なげだ。

 バツが悪くなって、俺はメイベルに声をかけた。


「メイベル、うまい牛乳を買うよ」


 メイベルは俺を見て「当然です」と、可愛くないことを言った。


 ケネスが殺人を起こしたのは間違いないだろうが、動機が分からない。

 かきあつめた証言の中には、ケネスとエリザベスは仲睦まじかったというものもあったからだ。

 だが、ケネスの経歴を調べていくと、妙な違和感に気づいた。


 ケネスとエリザベスの出会いは、町の病院だ。エリザベスが怪我をして、対応したのがケネスだった。それからとんとん拍子にふたりは結婚している。


「でも、ケネスはこの町の出身じゃない……」


 違う村で生まれて、一年前、この土地に来ている。

 ケネスの故郷は、ずいぶん遠くの田舎だ。

 町に出て稼ぎたかったのか。あるいは――


 俺は蒸気機関車に乗って、その村を訪ねた。

 やつの似顔絵を見せて、知人がいないか聞き回る。

 すると、地元の駅員がやつの顔を覚えていた。


「ああ……ケネスですね。妻を亡くした」

「……亡くした?」

「ええ。突然死したんです」


 まさかの事実に、俺は眉間にしわを刻んだ。

 ケネスの経歴には、前妻のことは書いていない。

 管理が甘い資料に舌打ちしそうになる。


「亡くなった奥方はどうなったんですか?」

「確か……教会に墓があります。ケネスは思い出が辛いからと言って、町を出ていきました」

「そうですか。ありがとうございます」


 駅員の話を聞いて、嫌な予感がした。

 俺は駆け足で教会まで向かう。

 そして、俺の勘は当たってしまった。


 教会に行っても、元妻の墓はなかった。

 どういうことだと脅したら、神父はケネスの正体を震えながら告白した。


 ケネスは保険金目当てで元妻を殺害していた。それを笑いながら神父に話し、墓を作る手間を惜しんで、遺体は売っていた。その金を持って、ケネスは逃亡したのだ。


「私もケネスに殺されると思って……誰にも言えませんでした……」

「あのクソ野郎! やっていいことと悪いことがあんだよ!」


 俺は衝動的に椅子を蹴り飛ばした。

 神父に第二の殺人を話すと、震えながら証人になってくれると言われた。


「ああ……主よ……罪深い私をお許しください……」

「懺悔するなら、神よりエリザベスたちにしろ!」


 怯える神父と共に、俺は蒸気機関車に乗り込み、町に戻った。

 休む暇を惜しんで警察署に着くと、メイベルがいた。

 俺を見るやいなや、話しかけてくる。


「薬を投薬したラットが死亡しました。これは殺人です」

「そうか……あの野郎、過去に同じ手口で殺人をしていたんだ……自白させる!」

「わたしも一緒に行かせてください。エリザベスのために」


 真剣な瞳に射抜かれて、俺はうなずいた。そして、メイベルと一緒にやつの元へ。


 かび臭い拘置所の中で、ケネスは青白い顔をしていた。

 鉄格子越しに、くぼんだ眼が俺を見る。

 ケネスは、ひひっと奇妙な声を出した。


「私の疑いが晴れたんですか?」

「んなわけねえだろ。おまえは殺人犯だ! 二度も妻を殺した!」


 俺は鉄格子を蹴り飛ばしながらほえる。


「神父が告白した。薬でショック死させたことも分かってんだよ!」


 怒鳴ると、ケネスはニタリと笑った。


「ははっ……あいつ、しゃべっちゃったのか……殺しとけばよかった……ははっ! あはははははは!」


 ケネスは狂ったように笑いながら、自分の犯行を自慢げに話しだした。


「あいつらさあ。好きって言ったら、私を簡単に信じたんですよお! 殺されるだけなのに。ひひっ。いひひひひっ! 馬鹿ですよねえ!」

「んだと、てめぇ!」


 どっと脳天に血が上った。血管がブチ切れそうになる。ぶん殴ってやると思いながら鉄格子を開こうとしていると、メイベルがすっと静かにしゃがんだ。メイベルはケネスを見て笑う。


「馬鹿はおまえだよ。そんな言葉で、エリザベスの愛情が汚せると思ったのか?」

「……は?」

「彼女はおまえを愛していた。その尊い思いを理解できずに、おまえは朽ち果てるんだ」


 メイベルは冷笑を口元にいた。


「おまえって、かわいそうな人だね」


 くすりと笑うメイベルに、ケネスは口を開いて絶句した。

 その顔があまりにも間抜け面だったから、俺まで笑っちまった。


 裁判の結果、ケネスはアヘン窟に通うため、金を欲していたということが分かった。ケネスは終身刑になった。一生監獄暮しだ。


 事件が終わったあと、メイベルと一緒にエリザベスを共同墓地に埋葬した。

 出来上がった墓に花をたむけると、隣にいたメイベルに言う。


「今回は、助かった。おかげでケネスを逮捕できた」

「……いえ。逮捕できても、エリザベスが生き返るわけではありませんし」

「まあな……」

「でも……彼女の願いは叶えられました」


 メイベルは風にそよいで香る生花を見ながら、ぽつりと言う。


「エリザベスは泣きながら、ケネスを止めてって言ってたんです……」


 その言葉にひゅっと息を呑んだ。

 メイベルは墓の前にしゃがんで、淡々と言う。


「わたしにはエリザベスのきもちが分からない。あいつは人として最低なことをした。刑に服して死んだら、体を解剖されればいいのに」

「解剖かよ」

「体をさばいて、医者にあれこれ調べられてしまえばいい。そうしたら生きているうちはクズでも、誰かの役に立つ人になれる」

「……そういうものか?」


 メイベルはむっと顔をしかめた。


「今もどこかで体を調べるために、死体の取引きはされているんです。腑分けはご法度と言われていますけど、人の体を知るのに、解剖は必須なんですよっ。だから、墓を掘り返す死体泥棒も絶えないしっ。もう、なんなんですかっ」

「俺にキレるなよ」


 メイベルはふいっとそっぽを向いて、また墓を見た。

 手を伸ばし、花弁を指でなでる。

 その指先は、薬が染み込んで茶色く変色し、皮膚が割れていた。


「エリザベスのきもちは分かりませんが、否定するものではないでしょう。ケネスは、エリザベスの愛情をなめていたから逮捕されたんです」

「そうだな……次の殺人も防げた。ああいうやつは、常習犯になるからな。エリザベスに感謝しねえと」


 俺は軽く笑って、墓の前で祈った。


「ご協力ありがとうこざいます。次の人生は幸せに」


 つぶやくように言うと、メイベルも両手を胸の前で組んだ。


「あ」


 帰り道、俺は約束を思い出し、メイベルに牛乳瓶を渡した。


「お礼」と言って瓶を差し出すと、メイベルは器用に片方の眉を上げた。


「そういうとこ、女たらしですよね」

「可愛くねえな」


 俺は瓶を持った腕を上げた。


「やらねえぞ」

「そういうのって、詐欺っていうんですよね?」

「ちっ」


 俺はメイベルに牛乳瓶を渡した。

 メイベルは目をらんらんと輝かせ、牛乳瓶のふたをとる。

 その香りを鼻に吸い込み、子猫のように舌を出して、ちびちび飲みだした。


「一気に飲まねえのか……」

「こんな高級品。そうそう飲めません。検死官の給料は安いんですよっ」

「だから、俺にキレるなよ。俺も薄給だ」


 俺は嘆息して、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。

 2本しか煙草がない。1本を取り出して、マッチで火をつける。

 白い煙を肺に入れて、口の端から吐き出す。

 そして、牛乳を舐めているメイベルに、前から聞いてみたことを尋ねた。


「なあ……メイベルはなんで、検死官になったんだ?」


 降霊術ができるせいかと思ったけど、答えは違った。


「医者じゃなくてもできるから」

「そうなのか?」

「わたしでも理不尽な死の真相を知れると思った」


 メイベルは白衣を見ながら言う。


「幽霊のみぞ知る。――なんてことにしちゃいけない。真実は墓の下に隠されてはいけないの」

「……そっか」

「あなたはどうして刑事に?」

「俺は……」


 言いかけて、ある光景が脳裏をよぎった。

 首をつるされた両親と、それを見た幼い俺の慟哭だ。


 悪夢は胸に残っていて、まだ俺の心臓を焼いている。

 そして、同時に思い出すのは処刑人の言葉だ。


 ――坊主、悔しいか? なら警察官になって冤罪を無くせ。儂に正しい死刑をさせろ。


 幽霊になれない白い靄を口から吐きながら、俺は空を仰いだ。馬鹿みたいに晴れていて、雲ひとつない。絶望している暇なんかねぇぞって言われているみたいだ。


 笑える。


「理不尽が嫌いだからだよ」

「……そうですか」


 メイベルはまたちびちびと牛乳を舐めだした。

 短くなった煙草を灰皿に押し付け、さて、帰るかと思ったときだ。


「オークリーさああああんっ!」


 トミーが俺に向かって、走ってきた。

 メイベルを見て、目を丸くする。


「あ、うわさの検死官さんですか?」

「……メイベル……です」

「どうも、トミーです。ああ、それよりも、大変なんですよ! 暖炉の下から白骨がでてきたんです!」


 トミーは身振り手振りで状況を伝える。


「なんでも借り手が出て行ったから掃除をしたらしいんです。そしたら、白骨が!」

「住所を教えろ。すぐに行く。俺が行くまで、故人を誰にも触らせんなよ」

「わかりました!」


 トミーは転がるように走っていった。

 俺は頭をかきながら、メイベルを見る。


「メイベル、白骨にあれはできんのか?」


 メイベルは牛乳を一気に飲み干し、手の甲で口をぬぐった。


「時間が経っていたら、できません。もう転生しているかも」

「……転生?」

「降霊しない空っぽの体はあります。魂がないってことは、次の人生に進んだのでしょうね」

「……なるほどな」

「でも、遺体にわいた虫で死亡時期がわかるかも」

「そうか。なら、一緒に現場に来てくれ」


 メイベルは俺を見上げた。


「あれがなくても、犯人がわかるってことだろ?」


 そういうと、メイベルは目をぱちぱちさせた後、空っぽになった瓶を差し出した。


「もう一本、買ってくれるなら」

「……給料、入ったらな」


 頬をひきつらせながら言うと、メイベルがほんの少しだけ口角を持ち上げた。


 そして、俺たちは駆け出した。


 幽霊のみぞ知る。

 なんてことにさせないために。







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