晩秋と言っても差し支えないこの時期、季節外れの暖かさから一転して、この日は猛烈な冷え込みを見せていた。
丈太は、すっかり日課になっている藍の見送りを終えた後、栄博士に呼び出されて研究室でお茶を飲んでいる。だいぶ渋い趣味ではあるが、そんな丈太が日本茶を好む理由は一つ、煎餅などの茶菓子が好物だからだ。程よい寒さと煎餅をつまみに熱い日本茶を啜っていると、何とも言えない満足感がある。歳の割に少々爺臭い所が、すっかり老人である栄博士と上手くやれている秘訣なのかもしれない。
「そうそう、ようやく先日の調査結果が出たんじゃったわい。……どっこいしょ」
「調査結果?……ああ、あのカニ重人のカニのこと?」
「うむ。君に持って帰って来てもらったカニ肉を調べて見たんじゃがな。…やはりというか、予想通り、あれはカニでも何でもない。全くの別物じゃった」
「え?どういうこと……?」
丈太の顔にクエスチョンマークが浮かぶ中、栄博士が持ってきたのは色々な数式やデータが書き込まれた何枚かの紙束であった。確認の為に目を通してみたが、何を書いてあるのかチンプンカンプンである。ざっと読んだあと「…なるほどね」と解った風に呟いてから、丈太は栄博士に説明を待つことにした。
「以前、君が倒したウシ重人の売っていたステーキもそうだったんじゃがな。あれらはカニでも牛肉でもなんでもない。MBN……
「ええっ!?そうなの!?確かにちょっと異常だったけど……でもさ、皆カニだって言って食べてたよ?」
「あのMBNや儂が開発した生体ナノマシンというのはな、ナノマシンと名付けているが正確に言えば機械ではない。実際にはある遺伝子を改良して作った有機物の集合体のことなんじゃ。なので、理論上はそれを満たすエネルギーさえあれば、有機物ならどんなものにも変化する事が出来る……重人となる素体の欲望に副った形で変異して、ああいう形になったんじゃろう。本物のカニや牛肉と変わらぬ味だったのは、まぁざっくり言えば恐ろしく出来のいい代替肉ってことじゃな」
「へぇ~……凄い技術だなぁ」
何というオーバーテクノロジーなのか、改めて丈太は栄博士の技術力に舌を巻いた。ファイアカロリーとして戦っている丈太からすれば、栄博士の作った生体ナノマシンがとんでもない代物だと解っているが、逆に言えば、敵もそれに匹敵する技術を持っているということになる。底知れぬハイカロリーという組織の力がどれほど強力なのかも、自ずと証明されるようだった。
「…ってことはさ、俺もああいう感じに牛だのカニだのに変身しちゃうかもしれないってこと?」
「いや、君の場合そうはならんよ。そもそも儂の作った生体ナノマシンは、脂肪が燃焼した際に出るエネルギーを吸収し、FATエネルギーに高効率で変換して熱を生み出しておるんでな。前にも言ったが、君の身体が変身するのは君の遺伝子情報を弄ったからであって、生体ナノマシンがやっているわけじゃないんじゃ。逆にMBNの方は、エネルギーの変換システムではなく、肉体の変異という特徴を持たせたのじゃろう。全く、厄介なもんじゃ」
「ううーん、それはそれでやっぱ嫌だな。……でも、そうか、元が同じようなものでも、全然違うんだね。で、それが解ったからって……何なの?」
「うむ。あれがMBNだというのなら、それを食した人間が肥満化するのは、体内に残ったMBNが悪さをしておるせいじゃろう。それを排除する事が出来れば、自然と元の体型に戻れるんじゃないかと思っての。……ほれ、うちの明香里も、肥満とまではいかんかったが、あれっきりちょいと体重がな……」
「ああ……」
そこまで聞いて、丈太はふとクラスメイト達の様子を思い返していた。あのカニを食べた生徒や教師達は、大きく太ったものとそうでないものがいたが、全員共通して多少ふくよかになったようだった。なので、運動部の人間を除けばクラスでの話題はもっぱら、ダイエットにまつわるものばかりだ。丈太はその話に参加しているわけではないのだが、勝手に聞こえてくるのだからしょうがない。特に女子達は己の体重増加に戦々恐々としており、丈太に対して嫌味を言う暇すらないほどである。
ちなみに、明香里もまたあのカニを食べて体重が増加した人間の一人であったが、それを気にして、家ではダイエットメニューなどが中心の食生活になっているらしい。それに巻き込まれる栄博士や妹の陽菜は、何とも物足りない食生活を余儀なくされているという訳だ。
しかし、肥満の原因がMBNという外的要因であるのなら、いくら食生活に気をつけても無駄である。そんな割と冗談抜きに恐ろしい事態に、丈太は寒気を感じるのだった。
「お祖父ちゃんただいまー!あ、おっきいお兄ちゃんだっっ!」
「あ、陽菜ちゃ…うぐっ!せ、背骨がっ……」
ちょうどそこへ現れた陽菜が丈太を見つけるや否や、ミサイルのように飛びついてきた。コタツに入って背を向けていたせいで、丈太はそれを受け止める術もなく背中に頭突きを食らっている。元気一杯なのは良い事だが、これでは身が持たない。次からは座る位置を考えようと丈太は心に誓った。
「ちょっと陽菜、手を洗ってから……何よ、また炎上野郎がいるじゃない。いい加減にしてよ!早く帰って!」
「こら明香里!またお前という奴は!……丈太君は儂の友人じゃぞ!友人を儂の家に招いて何が悪いんじゃ!?」
「まあまあ、博士……ん?」
後を追うように入ってきた明香里が丈太に鋭い視線と言葉の刃を向ける。その手には買い物袋が握られていて、今夜の夕飯の材料らしい。ちらりと見えたそれはどうやらキノコと、タケノコのようである。
「それ、タケノコ……?こんな時期に?」
「何よ、文句あるの?っていうか、人の家の買い物ジロジロ見るなんて最低!だから嫌なのよ、こんな変態を家に入れるの!」
「あ、ああ…ご、ごめん!そんなツモリじゃ……」
謝りながら、丈太の中では時期外れのタケノコの存在がどうしても気になって仕方がない。ちなみに、地方によっては幻のタケノコとして、秋のごく僅かな期間に収穫されるタケノコも存在するのだが、それは丈太達の住む地域にまで出回る事は滅多にない代物である。普通、タケノコと言えば春先がメインだろう。
博士もそこが気になったらしく、矛先を向けられた丈太を庇うように話に割って入った。
「いや、この時期にタケノコとは珍しいのう。どこで買ってきたんじゃ?」
「いつもの八百屋さんが休みだから、ショッピングモールの野菜売り場に行っただけよ。何でも、珍しいタケノコだからって無料で配ってたの。何よ、お祖父ちゃんまで…!」
「サービスで…?」
その明香里の説明に、丈太と栄博士は嫌な予感がした。何でも重人の仕業と結びつけるのはどうかと思うが、つい今しがたまで話していた内容が内容だ。どうしても関連がありそうに思えるのは、考えすぎとも言えないだろう。
丈太と栄博士はそっと目配せをして、強引に話を逸らす事にした。
「あ、あー、そう言えばこの間、テレビで言ってたんだよね。キノコとタケノコを一緒に食べると食物繊維同士が悪影響をして太りやすくなるんだとか…!」
「お、おお、そうじゃな!儂がヨネリカで研究してたダイエット方法にもその話が書いてあったのう!マサツーセッチュ工科大学の食育学で論文が出たんじゃった、ウンウン!」
「ええ、なにそれ?聞いたことないけど……あと何で工科大学なのに食育学なんてあるの?嘘くさいけど……」
「な、何を言う!?ノーベル食育学の権威が大々的に発表した論文じゃぞ!……ほれ、これを見てみい!」
栄博士が手元のPCで開いたHPには、何やらよく解らない英語の文章がびっしりと表示されていた。英語がそんなに得意でない明香里は、そんなものを見てもサッパリ解らない。なお、巧妙に隠されているが、それは海外の格ゲー大会の優勝者のインタビュー記事であり、先程丈太と栄博士が言った話も全くの出鱈目で嘘っぱちである。
「そんなの見ても解んないよ……何なのよ、一体!」
「と、とにかく!今夜は爺ちゃんが金を出すから飯を食いに行こうじゃないか!駅前のバーモヤンなんかどうじゃ?たまには中華もいいじゃろう?!」
「わーい!陽菜、バーモヤン大好きー!」
「ええ!?でも、中華って…太りそうだし……って、いつまでいるのよ、この炎上野郎!早く出て行って!」
「あ、ああ!ごめんね、それじゃ俺はこの辺で!博士、陽菜ちゃん、またねっ!」
これ幸いと飛び出して行く丈太の行き先は、もちろん自宅ではなく件のショッピングモールである。その嫌な予感が的中しないようにと願いながら、丈太は走るのだった。